8-2 未咲の夢

 未咲は夢を見ていた。

 何故夢だとわかったかと言うと、未咲の目の前に幼い頃の自分と、最後に見た時よりも幾分いくぶん若い姿をしている祖母が居るからであった。祖母の足の間に幼い未咲は座って、祖母に絵本を読んでもらっているところだ。身に覚えのある光景である。


 ――ねえ、おばあちゃん。未咲も指を青く染めて窓を作ったら、お母さんやお父さんに会えるかな?


 夢の中で、幼い未咲が無邪気に祖母に尋ねる。彼女たちの姿は鮮明に見えるけれど、不思議と声はこもっている。見えない壁が未咲との間にへだたっているようだった。


 ――未咲は、お母さんとお父さんに会いたいの?


 祖母が尋ねる。少し困っている表情にも見えた。

 未咲は切ない気持ちになる。この時は祖父母に引き取られて間もない頃で、幼い未咲は離婚した両親がやがて仲直りをして、未咲を迎えに来てくれることを信じていた。喧嘩が増える前まではとても仲の良い両親だったと記憶していて、時間が経てばまた元通りになると考えたのだ。


 ――……もう会えないの?


 幼いが故に、愚かであった。けれど、さとい子でもあった。未咲は祖母の反応から、もう二度と両親とは会えないことをさとった。それでもそう尋ねてしまったのは、やはり幼さ故だろう。


 ――そうねえ。未咲が真っ直ぐに育ったら、そのうち向き合える時が来るわ。


 祖母は“会える”とは言わなかった。向き合う、とは何のことなのか。幼い時分じぶんの未咲も、今の未咲も、答えを見つけられない。

 祖母が幼い未咲の頭を優しく撫でる。幼い未咲はくすぐったそうに目を細めて笑った。


 ――未咲はね、とっても素敵な力を持っているのよ。

 ――力?


 未咲はハッとした。そうだ、祖母にそう言われたことがある。当時は何のことかわからず無邪気に笑うだけだったし、以降も“力”について尋ねることはしなかった。

 けれど、祖母が今の未咲と同様、異世界へと渡り、怪異――鬼と対峙したと聞いた今は、違う。もしかすると、祖母は未咲が自分と同じく異世界へ渡ることを予期していたのではないか。だとすれば、“力”とは何だろう。幼い頃からその片鱗へんりんをのぞかせていたのか。思い出したい。……思い出さなくては。


 ――未咲、信じる道を生きなさい。


「……おばあちゃん」


 ――何があっても諦めないで。あなたの力は、あなた自身も、周りの人たちも、そして……。


 夢の中の祖母は言葉を切って、切なげに顔を歪めて笑った。


 ――きっと、私が救えなかったあの子たちも、あなたは助けてあげられるわ。


 未咲は目を見開いた。

 幼い未咲は首を傾げて、祖母の顔を見上げる。


 ――……あの子たち? 誰のことなの? おばあちゃん。

 ――きっと、出会う時が来る。そういう運命だから。


「運命……?」


 呟いた直後、祖母と幼い未咲の姿に白いもやが掛かった。夢の終わりを予感して、未咲は彼女たちに手を伸ばす。


「待って!」


 彼女たちが遠ざかる。伸ばした手は何も掴めず、視界はふっと暗くなった。



◆ ◆ ◆ ◆



 場面が切り替わった。

 未咲はまだ夢の中に居た。夢から覚めていないとわかったのは、立っている場所が森の真っ只中だからだ。

 そこは御神木の元へ行く途中で迷い込んだコバルトブルーの池の前だった。茫然ぼうぜんと佇んでいると、がさりと背後で草木を掻き分ける音がした。

 振り返る前に、右肩から茶色い犬のような鼻先が見えた。白くふわふわな毛が未咲の首筋や頬に当たって、未咲は思わず笑みをこぼした。

 あの時の狼だ。未咲は確信した。


「夢なのに、くすぐったいんだ」


 未咲は振り返って、真っ白で美しい狼の顔に自身の顔を寄せ耳の下辺りを撫でてやった。狼は気持ち良さそうに目を細める。


「可愛い」


 やはり、この通常よりずっと大きな狼に恐ろしいという思いは抱けない。柔らかな白い毛はとても触り心地が良く、狼の体温も相まってぽかぽかと気持ちが良い。癒しだ、癒し。未咲はにまにまと頬が緩むのを抑えられない。


「ん、何? どうしたの?」


 狼が未咲から離れたと思うと、鼻先を未咲の胸元辺りに押しつけてくる。じゃれているのかと思いきや、狼は一度未咲から顔を離し、未咲の様子をじっとうかがってから再び同じ場所へ鼻先をつけてきた。何か意図があるのかと、未咲はその様子を戸惑いながらも観察する。

 そういえば、何度か胸元辺りがひんやりしたことがあったような。

 ふと思い出して、再度狼の鼻が離れた時に、未咲は狼が触れていた箇所に右手でそっと触れた。すると、


「え」


 短く声を発した。指先に硬い感触がある。次に、首元に何かが掛かっていることにが気づいた。思い当たるものはペンダントだが、未咲は装飾品のたぐいを身につけていない筈だ。

 首に掛かっている紐を指で摘まみ、着物の中に仕舞われていたものを引っ張り出した。


「石?」


 それは何の変哲もない、ただの丸い石のようだ。手の平に乗せてよく見てみると、青みが掛かっているようにも見える。

 石の存在を教えてくれたのであろう狼に目をやると、狼はじっと未咲の様子を窺っているようだった。もう一度石を見る。やはり、深い青色で珍しくは思えるが、それ以外は普通の石だ。

 これは一体何なのだろう。未咲には検討もつかない。何故その石が自分の首に掛かっていたのかもわからない。幾度いくどかひやりとしたあの感覚は、この石がもたらしたものなのだろうか。


「これ、何かわかる?」


 狼に訊いてみた。狼はじっと未咲を見つめるばかりで何も答えない。

 未咲が困り果てていると、狼がまた未咲の頬に鼻先を寄せてきて、未咲は声を出して笑った。

 と、先ほど見た祖母と幼い未咲の夢の時のように、視界が白く靄が掛かったようになって、未咲は目覚めを直感した。


「また会えるかな」


 がう、と狼が答えた。初めて耳にした狼の声に、未咲は口元に笑みを浮かべる。またね、と狼をひと撫ですると、ふっと意識が遠のいていった。

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