7-2 痛みを想う

 気づきたくなかった。こんな短い付き合いの、それも異世界の男の子を好きになってしまうなんて。叶う筈もないと、わかっているのに。

 血は争えないのだろうか。祖母もこの世界に来て、この村の人間である祖父と出会って恋をしたのだ。そこにはどんな困難があって、どう乗り越えたのだろう。祖父は、祖母の世界へ渡ることに抵抗はなかったのだろうか。


「ん?」


 と、そこで未咲は気づいた。待って、祖母と祖父は、この世界から祖母の世界、つまり未咲の世界に渡っているのだ。正芳はそれを知っている。ならば、


「さっきから何をしているんだ?」

「ひゃあああ!」


 考えていたことが飛んだ。


「が、雅久」


 未咲はすぐ傍で立っている雅久を見上げた。先程まで未咲の心を占拠せんきょしていた少年に声を掛けられて、未咲は冷静で居られない。


「え、あの、雅久、いつからそこに」

「落ち着け。突然声を掛けて悪かった」


 雅久は未咲の慌て様にふっと笑みを漏らしてなだめる。未咲は恥ずかしくなった。


「お前が突然頭を抱えてうずくまるから何かあったのかと思ったが、何か考え込んでるようだったから様子を見ていた」

「そこから……!」

「な、何かまずかったのか」


 未咲がガクリと両手を地面につけると、雅久は少々焦った様子を見せた。


「大丈夫……雅久は悪くないの」


 未咲は力なく首を振ってから立ち上がり、パンパンと手についた土を払った。苦笑いを浮かべた顔を雅久に向ける。


「色んなことが起きて、混乱しているというか、なんと言うか」


 先程考えていたのはこの村で遭遇そうぐうした怪異や不思議な出来事とは関係ないが。


「雅久とは関係ないから、気にしないで」


 関係は大ありだ。

 未咲は雅久から目を逸らし、乾いた笑みを漏らした。

 今は雅久一緒に居たくない。気を抜いてしまえば、今しがた自覚した気持ちが溢れて雅久にバレてしまうのではないかと不安だった。これ以上想いが膨らんでしまうのも、避けたかった。

 未咲は今日のところは村に戻ろうと、雅久に別れを告げるため口を開く。


「雅久」

「すまなかった」


 一瞬何を言われたかわからなくて呆けてしまった。未咲は困惑の表情で雅久を見つめる。すると、雅久は再度、


「……すまなかった」


 と、今度は自信のなさそうに小さく告げた。未咲は首を傾げる。


「えっと、雅久に謝ってもらうようなことって、あったかな」

「あの日、お前の意にそぐわないことを言ったろう」

「意にそぐわないこと?」


 雅久は口をつぐんだ。未咲が眉を寄せて雅久を見つめていると、彼は観念したように溜息を吐いてから再び口を開いた。


「あの日、余計なことを何も考えず元の世界に帰る方法を探せと言っただろう。だから気を害したんじゃないのか?」

「えっ」


 未咲は呆気に取られ、まじまじと雅久を眺めてしまった。まさか気にしていたなんて、と驚いて上手く返事出来なかったことが少し申し訳ない。

 けれど、「意にそぐわないこと」というと、まるで未咲が元の世界に帰りたくないと思っているようにも聞こえる。きっと、雅久はそういう意味で言っているのではないと思うが。未咲は複雑な気分になった。


「雅久のせいじゃないよ。あの時は色々あって、わたしも、混乱してたというか……。ごめんなさい」

「いいや、お前が謝ることじゃない」

「雅久だって、謝ることは何もないよ」


 少しの間沈黙が降りて、それから二人して吹き出した。


「ははっ。そうか、俺が謝ることもないのか」

「そうだよ」

「未咲もないな」

「なら良いけど」

「ないよ」

「ふふ、そっか」


 言いながら、声を出して笑う雅久を見て、未咲は頬を染めた。一緒に笑えることが嬉しいと思った。いつか面の下に隠れた素顔と笑い合うことが出来たなら、もっと、そう、幸せを感じられるのだと思う。

 その時の自分は、元の世界に帰ろうなどと思うことは出来るのだろうか。

 苦悩するのだろう。それは既に決定事項だった。面を取ろうと取らなかろうと、雅久は雅久であって、未咲は彼に懸想けそうしている。


 祖母と祖父は、どうやって結ばれたのだろう。また、知りたいという気持ちが強くなった。

 けれど、彼らがどうであろうと、それに向き合わなければいけないのは未咲自身だ。

 耐えられるだろうか。人を想う故の痛みに。


 未咲はやがて訪れるであろう痛みを想って、微笑んだ。

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