第7話 痛みを待つ

7-1 白い狼

 祖母の話を聞けたは良いけれど、祖父のことを聞いていなかった。


 未咲はむぅ、とうなった。

 祖母と祖父は異世界で出会ったと聞いていて、祖母がこの村に来た、ということは、祖父はこの村の出身だったのではないかと思う。となれば、祖父のことも正芳は知っているに違いない。


 ああもう、訊けば良かった!


 未咲再び唸る。立て続けに色んなことが起きて、自分はどうも冷静でない気がする。

 知りたいことは沢山ある。きっと、一つ一つ紐解ひもといていけば、ことの繋がりも、解決策も、おのずと見えてくるのではないかと思うのだけれど。


 行き詰まった感が否めない。

 未咲の世界ではスマホ一つあれば何でも調べられたのに。此処ではそんな便利なものはないのである。スマホに頼り切っていた自分が恨めしい。お陰でスマホ以外の何で調べれば良いのかわからない。

 祖父のことは正芳に訊けば良いと思うけれど。それ以外のことはどうすれば良いのやら。

 鬼が来るのを待てば良いのか。いやいや、何か起こってからでは遅すぎる。何より、怖い。


「……もっと頭が良ければ……」


 と、思ったところでどうしようもないことを呟く。魚か。魚を食べるのか。

 かの有名な「魚を食べると頭が良くなる歌」が脳内再生される。案外余裕があるのではないかと自分を疑った。おそらく、現実逃避である。


「あれ?」


 ぴたり、と未咲は足を止めた。

 いつものように御神木の所へ向かっている途中で、左脇に白い道が出来ている。いや、よく見ると道が白いわけではない。草木の生えない踏みならされた細い土道が、白く輝いているように見えているのだ。

 それは不思議な光景であった。どう考えても昨日今日出来た道ではない筈なのに、未咲は花の香りに誘われた蝶のように、ふらり白の道へと踏み出す。


 どれだけ歩いただろう。未咲は不思議と疲れを感じないまま、ただひたすらに歩き続けていた。

 日中でも山林は薄暗い。人の手が入っていないため雑草は伸び放題で、時折未咲の頬や腕に横に長く伸びた葉が当たる。

 そんな中であっても、未咲の行く道は明るく照らされている。というより、道自体が光を帯びている。暗緑の空間ではその光景が神秘的に見えた。


 さらに奥地へと進んだ時、未咲はハッと息を呑んだ。どきどきと胸が高鳴り、ぶわあっと気分が高揚するのを感じた。

 木漏れ日がきらきらと輝くコバルトブルーの水面。生い茂る草花も青い光を帯びているように見え、空から池へと斜めに差し込む光の帯は天へと繋がっているかのように思えた。


「綺麗……」


 未咲は感嘆の息を漏らした。こんなに神秘的で美しい光景を、見たことがなかった。

 と、ザッ、ザッと草を踏み分ける音が聞こえた気がして、池を挟んだ向こう側へと目を凝らした。すると、


「……狼……?」


 暗がりから、まばゆい白い毛並みの狼が姿を現した。その体躯たいくは通常の狼より遥かに大きく、未咲の背丈よりも高そうだ。

 未咲はただ、狼を見つめていた。狼もまた、未咲を見つめていた。

 不思議と、おそれはなかった。狼の神々しさも感じられるその姿に、未咲は心を奪われていた。


 見つめ合うことしばし、ふと、狼がすっとこうべを垂れた。未咲は目を丸くし、その様を見つめる。決して、池の水を飲んでいるわけではない。その姿は、未咲に対して礼をしているようだった。


 どの程度の時間だったか。狼はゆっくりと頭を元の位置に戻し、未咲と目を合わせた後、身をひるがえして暗緑の森へと歩いて行く。その姿が見えなくなった後、未咲はいつの間にか止めていた息を一気に吐き出した。


 と、まるで紙芝居のように目の前の景色がパッと変わった。コバルトブルーの池は跡形も無く消えてなくなり、鬱蒼うっそうと茂る常緑樹じょうりょくじゅばかりがそこにあった。驚いて辺りを見回してみると、白い道に入る前の地点まで戻ってきていた。再度白い道があった場所を見れば、やはり消えてなくなっている。


 夢でも見ていたのだろうか。未咲は呆然とその場に立ち尽くした。

 野鳥の鳴き声が耳に届いてハッと我に返り、空を仰ぐ。太陽の位置は大して変わっていない。きっと、あの白い道に入ってから一時間も経っていないのだろう。顔の位置を戻して、未咲はふう……と息を細い息を吐いた。


「何だったんだろう……」


 どきどきも胸が高鳴っている。恐ろしい夢を見た時や、鬼の話を聞いた時とは違う。自分の背丈よりも大きい体躯の狼だなんて、本当なら怖くて堪らない筈なのに。

 また会って、今度はあの輝かんばかりの白い毛並みを撫でてみたい。

 口がむずむずしてにやけてしまいそうだ。誰にも見られていないのに手のひらで口を覆う。


 襲われるような気配はまったくなかった。寧ろ、安心感さえあった。あの背中に乗せてもらえたらどんなに気持ちが良いだろうか。嗚呼、もしも雅久が乗ったら惚れ惚れするくらい格好良いのだろうな。

 と、そこまで考えて、


「うあああ……!」


 頭を抱えその場にしゃがみ込んだ。


 ちょっと待って、ちょっと待ってよ深山未咲! いつも狐面を被っていて顔さえ知らない年下の男の子だ。ううん、顔なんて関係ない。雅久は優しくて、わたしを気にかけてくれて、声も格好いいし、安心するし、手も大きくてあたたかくて、それから……。


「違う違う違う違うぅ」


 抱えた頭をぶんぶんと振って、未咲はぶつぶつと否定を繰り返した。

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