6-3 鬼

 その日の夜、未咲は正芳と対峙たいじしていた。行燈あんどんの明かりで橙色だいだいいろに照らされている二人の表情は緊張でこわ張っている。

 未咲から朔の日に見た夢の内容を告げられた正芳は、しばしの沈黙の後、重い溜息を吐いた。


「……お伝えするのが遅くなってすみません」

「いいや、見るからに憔悴しょうすいしていた未咲にいることは出来なかった。それに、内容も内容……簡単に言い出せるものでもないだろうからなあ」


 正芳はあごを撫でて溜息混じりに言った。


「しかし、そうか……“つくよみ”か」

「正芳さんには、何かわかりますか?」

「そうだなあ……」


 正芳は腕を組んで考え込んだ。覚えがないか記憶を辿っていると言うより、言うか言わまいか迷っているように見える。

 未咲は眉をひそめて正芳を見据えた。


「どうして、わたしに隠すんでしょうか。それに、村の人たちも……御神木のことも、雅久のことも、怪異のことだって、言い伝えのようなものだって……何も、知らないみたい」

「……どうにも、恐ろしくてなあ」

「え?」


 独り言のように呟かれた言葉に、未咲は聞き返した。


「いつ聞かれているかもわからぬ。用心に越したことはないのだ」

「……誰に、ですか」


 未咲は無意識に声を潜めて尋ねた。正芳は目線を床に落とし、再び溜息を吐き出した。


「――鬼だ」


 未咲は息を呑んだ。心臓がどくりと大きく脈打つ。未咲と正芳を取り囲む闇がうごめいた気がして鳥肌が立った。


「もしかして、わたしの夢に出てきた声も」


 唇が震えた。鬼とはどんな生き物なのか、未咲には想像がつかない。よもや、『桃太郎』などの絵本に登場するあの鬼ではあるまい。現実はきっと、もっと恐ろしい。


「そうであろうなあ……。村の爺婆じじばばは知っとるだろうよ。だがな、決して口外してはならぬと言い含めておる。文子は村の外からやってきた女であるが故、仔細しさいは知らぬよ」

「御神木が枯れてから怪異が少なくなったことと、関係ありますか」


 正芳はしかと頷いた。


「数十年前、儂もまだ幼かった頃のこと。未咲の祖母がこの村に来たのも、その頃なのだ」

「――え……?」


 未咲は瞠目どうもくした。正芳は茫然ぼうぜんとする未咲を尻目に話を続ける。


「あの方もまた、“それ”と対峙した」


 “それ”が鬼を指すのだと察した。未咲は膝の上に乗せた両手をぎゅっと握る。心臓が騒いで五月蝿うるさい。焦りか、緊張か。身体は熱を帯びてじんわりと汗がにじむ。


「数十年前、おばあちゃんは、この村に来た」


 一言ずつ区切って、未咲は慎重に、ゆっくりと口に出した。


「人違いと言うわけではない、ですよね」

「名を、深山澄子すみこという」


 間違いなく、祖母の名前だ。未咲は言葉を失いながらも、やはり祖母が言っていた世界は此処ここで間違いないのだと改めて思った。


「当時、未咲よりは年上だったか。澄子さんもまた、御神木の場所に突然現われたらしい」

「らしい?」

「儂が直接見たわけではないのだ。当時の儂は五歳であったし、澄子さんを見つけたのは他の者だったよ」

「あ、あの、ちょっと待って下さい」


 懐かしげに目を細める正芳を、未咲は慌て気味に止めた。


「おばあちゃんは、わたしより年上に見えたんですよね」

「ああ。幼かった儂は澄子さんの歳を訊いてしまってなあ……二十九歳と言っていた覚えがある」


 二十九……と、未咲は呟く。


「でも、正芳さんは五歳だった」


 正芳は頷いた。


「その、失礼ですけど、正芳さんはわたしのおばあちゃんと歳が近いように見えます。二十歳以上も離れているようには……」

「澄子さんが亡くなったのは何歳の時なのかね」

「えっと、ちょうど八十歳でした」

「……今の儂よりも年下だな」


 正芳は目を丸くし、呟くように言った。未咲と正芳は顔を見合わせたまま、口を閉ざした。

 正芳の記憶が確かであれば、この世界と未咲の世界では時間の流れが違う、ということは明白だった。そこに法則性があるのか――例えば、この世界の十年は未咲の世界では一年、など――はわからない。空想の世界とは言え、タイムマシンを使用する時には時間の座標を指定出来る話だってあるのだし。そこに法則を求めたところで、この超常現象には意味の無いことかもしれない。

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