6-2 違和感

「雅久のこと、知らないんですか?」

「村の子でもないんでしょ? 雅久って名前を聞いたことなくても可笑しくはないと思うけど」

「でも、雅久はこの村を守ってるって」

「守ってるぅ?」


 寧々が疑わしげに顔をしかめる。想定外の反応に、未咲は焦りを覚えた。


「何から守ってるのさ。盗賊とか、そういうの? たまあに変な奴らも来るけどさ、こんな辺鄙へんぴな村にわざわざ来るなんて、余程の物好きよ」

「あの、怪異から……とか?」


 寧々の言い様に不安になった未咲は遠慮がちに言った。寧々は大きな目を丸めて、ふはっと吹き出した。


「もー! そんなに怖がっちゃって、可愛いんだから」

「え……え?」

「悪かったね。あたしが朔の日を少し大袈裟おおげさに言っちゃったもんだから、あんた、怖くなったんでしょ」


 話が噛み合わなくて、未咲は混乱した。寧々は可笑しそうに笑って、目元ににじんだ涙を指で拭った。


「まったく、素直というか、純粋というか。確かに『朔の日の夜は外に出るな』って言ったけど、実際に悪いことは起きたことがないよ。だからそんなに不安がらないでよ」

「でも、正芳さんも」

「あー……ま、じいさんばあさんは『怪異が起こるから』とか『ばけもんが徘徊はいかいするから』とか言うけどねえ。あんなの迷信だよ」


 あの日の寧々は、やけに真剣な顔をして朔の日について教えてくれた。なのに、今目の前で仕方のなさそうに笑う寧々にはその時の面影が欠片もない。未咲は戸惑う。


「でも……」

「はいはい。一々真に受けてちゃ疲れるだろ。適当に流せばいいんだよ。で、その雅久って子はどんな男なのさ」


 取り付く島もない。

 未咲は寧々に反論しようと口を開いたものの、これ以上話したところで、また笑われるかなだめられるかのどちらかだろうと思い、言葉の代わりに息を吐き出した。


「雅久は、狐のお面を常に被ってる男の子なんですけど」

「そりゃまた物好きな。……あ、待って。あたし、その子見たことあるかも」


 寧々は顎に手を当てて、思い出すように宙を見つめた。


「確かに村長と話してたかな……刀を持ってたもんだから驚いてね。狐のお面なんて被ってるし、印象的だったわ。ふーん、あの子がねえ……」


 寧々はちらりと未咲を見遣る。


「今まで何処で逢瀬おうせを重ねてたの?」


 その声にからかいの色が含まれていて、未咲はうぅ、と唸って寧々を睨めつけた。顔が真っ赤になっているため、残念ながら迫力は皆無である。


「もしかして、あんたが村の外に出てたのって、そういうこと?」

「べ、別に雅久に会うためではないけど、御神木の所に行ってました」

「御神木?」


 寧々が未咲に顔を向けて首を傾げ、未咲また寧々の反応に首を傾げた。


「あっちの、小さな山というか、丘の上にある大きな桜の木なんですけど……」


 未咲が御神木がある方を指差すと、寧々は指の方向を見ては、やはり首を傾げた。


「御神木なんて言われてるなら、あたしも聞いたことくらいありそうだけど。やっぱりわかんないわ」

「――」


 未咲は言葉を失った。未咲の世界でも、御神木のことは自分と祖父母くらいしか知らなかったけれど、まさか。


「それに、あの山にも行ったことがないし」

「……そうなんですか?」

「うん。未咲に言われるまで意識してなかったけどさ。誰も行ったことないんじゃない? その木のことって、村長から聴いたの?」


 未咲は頷いた。茫然ぼうぜんとしてしまって、視界に映る寧々の顔がぼんやりとしている。

 御神木や雅久のこと、そして怪異のことは、一部の人間しか知らないのだ。未咲は御神木を通じてこの世界に訪れ――本意ではないが――雅久と出会い、正芳から怪異について聴いたから、それらはこの村にとって当たり前のことだと思っていた。けれど、どうだ。寧々は何も知らない。


 そういえば、文子も怪異について知らないようだった。言い伝えのようなものなのだと、そう言っていたではないか。

 それは正芳が愛しい妻に心配を掛けさせまいとしてのことだと思っていたけれど、違う。

 もっと、違う意図で、村の人達にも隠しているんだ。


 ――ゆるすまじ、つくよみ。


 頭の奥で、あの声が響く。

 御神木、怪異、雅久、正芳。そして、“つくよみ”。

 やっぱり、わたしは知らないといけない気がする。このまま元の世界に帰っちゃいけないんだ。


 何が未咲を駆り立てるのか、未咲にはまだわからない。

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