5-4 一線
「落ち着いたか」
「うん。ありがとう」
「いや……」
雅久から離れて礼を言う未咲に、雅久はふいと顔を背けた。それが照れ隠しだと察することが出来たから、未咲はくすりと笑った。
「それより、何かあったのか」
「……うん」
「俺に話せるか?」
「うん、聞いてほしい。……でも、あの、雅久は大丈夫だった?」
雅久は少々考えてから、ああ、と要領を得たように頷いた。
「俺は大丈夫だ。何だ。まさか俺を心配して来たのか?」
「……そうだよ。心配するに決まってるでしょ」
未咲はむっとして返した。雅久はそうか、とだけ返して立ち上がり、未咲に手を差し出した。未咲はやや
「雅久は、どうして此処に居たの?」
御神木の根元で二人とも腰を下ろして、未咲は雅久に訊いた。座る時に離れた手が寂しくて、そろりと雅久の着物の袖を指で摘まむと、それに気づいた雅久が未咲よりも
「……どうしてだろうな」
「もしかして、わたしを待ってくれてたのかな」
雅久は口を閉ざした。けれど、未咲は雅久が黙る時はほとんどの場合肯定だとわかっていた。じわじわと嬉しさが込み上がってきて、顔がにやけてしまう。
「何を笑ってる」
「笑ってないよ。ありがとう、雅久」
「……何の礼だ」
「心配してくれたから」
「そうか」
雅久の返事は相変わらず素っ気ないが、未咲にはそれが心地良く感じられた。恐ろしい夢を、それも、正にこの場所で怖い思いをする夢を見たというのに、自分は存外、現金な人間だ。未咲は密かに苦笑いを浮かべた。
「怖い夢を見たの」
未咲はゆっくりと喋り出す。
「夢の中で、わたしはこの場所に居た。その時は夢だと思ってなかった。だって、風が吹いたり、寒かったり、全部現実と同じ感覚というか、夢だと思えなくて。だから、何かに此処へ連れ出されたんじゃないかと思った」
雅久の未咲の手を握る力が強まる。
「何が起こったかわからなくて、夜だから暗いし、とにかく怖かった。……それだけじゃなくて、『ずるずる』って何かを引き摺るような音も聞こえてきた」
「音?」
「うん。それで、その音がわたしの方に近づいてきたから、御神木の裏に隠れたの。そうしたら……」
未咲はぎゅっと目を閉じた。あの恐ろしく冷え切った声が耳に残っている。地の底から沸き上がってくるような低い……そう、女性の声。あの声には、悪意や怨念が凝縮されているように感じた。
「――“ゆるすまじ、つくよみ”」
隣からハッと息を呑む気配がした。
「そう言ってた。何のことかはわからないけど、どう言えば良いんだろう……何だか、こう、地獄に引きずり込まれそうな、そんな気がして」
未咲はふう、と息を吐き出した。身体の芯から冷たくなっていくような恐怖は、まだ未咲の中に巣くっている。
「“つくよみ”って、誰なんだろう。わたし、何となく……それを知らなきゃいけないって」
「未咲」
雅久はぴしゃりと未咲の言葉を遮った。未咲はびくりと肩を震わせて雅久に顔を向ける。
「知ろうとするな」
「どうして」
「……既に怖い思いをしたんだろう。踏み込めば、もっと危険な目に遭うかもしれない」
「雅久は、何を知ってるの」
雅久は口を
「雅久」
「お前は知らない方が良い」
「それは、わたしが見た夢がわたしと無関係じゃないってことでしょ? ただの夢じゃないって、雅久はわかってるんでしょ? なのに」
「未咲、落ち着け」
「落ち着いてるよっ」
雅久は未咲の手を離し、未咲の両肩をぐっと掴んで真正面から向き合わせた。
「この村に深入りするな。お前は元の世界に戻る方法を探せば良い。俺も手伝うから」
「……わたしは」
「昨日見た夢のことは忘れろ。何も考えなくて良いんだ」
未咲は俯いた。すべてを忘れて元の世界に帰ることが出来るのなら、その方が絶対良いに決まっている。そうわかっていても、納得出来ない。だけど。
未咲はぐっと歯を噛んで、肩に置かれた雅久の手に自身の手を重ねた。
「ありがとう」
今は、自身を気遣ってくれる雅久に礼を言うことしか出来なかった。胸のモヤモヤを奥の方にしまい込んで、未咲は笑みを作った。上手く笑えていないことは自分でもよくわかっていたけれど、悔しさや悲しさ、不安がごちゃ混ぜになって、下手くそな笑みを浮かべるだけで精一杯だった。
雅久はほっとしたように息を吐いた。未咲はその様子を見て、さらに切なくなる。
「ごめん、そろそろ戻るね」
「村まで送る」
「いいよ。雅久が何処から来ているかはわからないけど、早く帰って休んで」
「未咲」
「……一人になりたいの。色々、考えたくて。心配してくれてありがとう」
未咲は立ち上がった。その拍子に、両肩から雅久の手が離れる。雅久を突き放したのは自分の癖に、彼の手のぬくもりを失った肩が寒く感じて寂しくなった。
雅久は座ったまま未咲を見上げていた。未咲は意識して笑みを浮かべる。
「じゃあ、またね」
「……ああ。気を付けて戻れ」
雅久の返事を受けて、未咲は足を踏み出した。背中に視線を感じたけれど、一度も振り返らず足早にその場を去った。
彼に冷たく当たってしまった。未咲は俯き加減で道を進みながら、早速後悔の念に襲われた。
雅久は昨夜の疲れが残る中で未咲を心配して会いに来てくれたのに、自分は何をしているのだろう。あの忠告も、雅久が頑なに何も話さない理由だって、未咲を邪険に扱っているわけではなく、未咲の身を案じてのものだとわかるのに。馬鹿。何て馬鹿な未咲。子どもみたいに拗ねちゃって。
雅久は呆れてしまっただろうか。もしかしたら、嫌われたかもしれない。そうだとしたら、どうしよう。
いつの間にか、朔の日に見た恐ろしい夢よりも、雅久に嫌われたかどうかの方が怖くなっていた。
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