5-3 ぬくもりと安心

 ざ、ざ、と土を踏みしめて山道を登っていく内に、昨晩の夢――夢でないように思えたけれど、夢と言う他ない――が思い出されて心臓が騒ぎ出す。未咲はぐっと唇を噛んだ。


 御神木はいつだって自分を守ってくれる、そんな存在だと思っていた。昨晩はその信頼を裏切られたようで、けれど未咲は御神木に対して「守ってくれなかった」と思ってしまう自分を恥じた。


 時折草叢くさむらが揺れたり、風で葉っぱが擦れたりして音を立てると、未咲は自分の死角から何かが襲ってくる気配を感じ取ってしまい、ぞわぞわした。しかし、その気配は未咲自身の頭が作り出したもので、実際に何かが居るわけではなかった。未咲は腕をさすりながら渋い顔をする。


 あの恐ろしい夢のことは記憶から消し去ってしまいたい。そう思っているのに、頭は何度も夢の内容を思い浮かべてしまう。それに、決して忘れてはいけないという、予感めいたものが未咲にはあった。


 御神木の元に辿り着くと、大木の下には先客が居た。未咲が心配して止まない雅久が、片膝を立てて座って、御神木に寄り掛かっている。雅久の姿を目にした瞬間、未咲の目から涙が溢れた。

 ぼやけた視界でも、雅久が座ったまま動かないことがわかった。もしかしたら、眠っているのかもしれない。昨夜は村の警備で疲れているだろうに、何故村の外れにあるという自宅ではなく此処に居るのだろう。雅久が未咲よりも先に此処に居るのは初めてのことだった。


 雅久へと駆け出そうと足を踏み出すとよろけてしまい、数歩進んだところで転んでしまった。何をやってるんだろう、恥ずかしい。未咲は倒れた状態のまま地面から顔を上げて、手に触れた雑草をぎゅっと握った。

 ぽろぽろと涙が溢れていく。痛みに泣いているわけではない。それまで必死に我慢してきたものが溢れだしただけだ。


 何故自分がこんな目に遭うのか理解出来ない。大好きな祖父母が亡くなって、異世界に飛ばされて、帰る方法もわからなくて、あんな恐ろしい夢まで見て。散々だ。悪いことって、どうして一気に起こってしまうのだろう。


 未咲は決して強くはない。強がることは出来ても、その実、いっそ弱音を吐いてしまいたいし、幼子みたいに泣きわめいて助けを求めたい。一人では何も出来ない、弱い人間なのだ。未咲は自身をそう評していた。

 だから、ふとした拍子に強がりの仮面が剥がれ落ちてしまう。それが今だった。


「未咲、どうしたっ」


 焦ったような雅久の声が聞こえて、未咲は口を固く引き結んだ。彼にこんな情けない姿を見せたくない。きっと自分以上に大変な思いをしているであろう雅久の負担になりたくない。けれど、すがってしまいたい。未咲の心はぐちゃぐちゃだった。

 駆け寄ってくる雅久の足音が近くなり、彼がすぐ傍にかがみ込んだことがわかった。ふわり、と香った雅久の匂いに、また涙が流れていく。


「おい、大丈夫か」


 雅久の手が未咲の肩に触れた。未咲は身体を起こし、雅久を見る。


「な、泣いているのか」


 雅久はびくりと身体を震わせて、未咲の肩から離した手を彷徨さまよわせた。未咲はそんな彼の様子を涙を流したまま見つめた。


「もしかして、昨夜何かあったのか」


 心配そうに雅久は訊いた。未咲はたまらなくなって、雅久の胸に飛び込んだ。雅久は咄嗟とっさに未咲を受け止める。


「み、未咲、何だ、どうしたんだ」


 いつも冷静な雅久の狼狽うろたえている様子が可笑しい。未咲は泣きながらふふっと笑みを漏らした。


「……未咲」

「ふふ。ごめんなさい」

「泣き止んだか?」

「ん……もう少しだけ」


 ぎゅっと雅久の着物を握る。涙が染みついてしまって、未咲は申し訳ない気持ちになった。けれどそれ以上に、雅久のぬくもりに安心感を覚えて、このままこの心地よさに浸っていたいと思ってしまった。


 雅久のことが心配で来た筈なのに、逆に慰められてしまっている。未咲は我ながら情けない、と思いながらも、今さら取り繕ったところでどうしようもないと思った。

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