4-2 朔の日

 さくの日とはいつのことだろうか。未咲はあれから寧々に聞けないまま、居候している正芳と文子の家に戻った。

 わからないことを尋ねるのは悪いことでは決してない。そう思ってはいるけれど、「朔の日がいつか」はこの世界の常識として根付いているもののように思えて訊くことが出来なかった。要は、訊けば寧々に素性を怪しまれるのではないかと不安だったのだ。


「未咲ちゃん、何か悩み事でもあるの?」


 夕飯の最中、文子が首を傾げて尋ねた。未咲は麦飯の入った茶碗と箸を持ったまま固まっており、ハッとして文子を見た。


「すみません、ぼーっとしちゃって」

「いいのよ。それより、何か不安なことがあるなら教えてちょうだいね。力になれるかもしれないわ」


 文子の心遣いに、未咲はじーんとして目元を緩ませた。

 こうして異世界でも気丈に振る舞えるのは、ひとえに文子や寧々が優しく接してくれるからだろう。

 正芳だって、何かを隠している気配がすると言えども、こうして衣食住の提供をしてくれるし、それにやはり、優しくてあたたかいのだ。時折、未咲に対して申し訳なさそうな表情を見せることがあるので、正芳は隠し事について罪悪感を抱いているように見える。言えない理由があるかもしれないので、未咲はそんな優しい正芳を責めようとも、無理矢理聞き出そうとも思えなくなっていた。


 そして、優しいのは、もう一人。

 未咲は、素っ気ない所もあるけれど、それでも、じんわりと心に染み渡ってくるような優しさを持つ狐面の少年を思い浮かべた。


 雅久は今頃、どうしているだろうか。

 村の外れで、一人夕飯を食べている頃だろうか。

 それとも、村を守るため、周囲を見回っているのだろうか。

 と、未咲は雅久のことばかり考えている自分に気づいて、じわじわと頬に熱が集まるのを感じた。どうしてこんなに気になってしまうのだろう。未咲は自分の心がわからなかった。


「あの、寧々さんから聞いたんですけど……」


 頭に浮かんだことを振り払い、未咲は文子に訊く。


「『朔の日』というのは、いつのことなんでしょうか」

「ああ……『ついたち』のことだよ。月が見えなくなる日でね」

「ついたち?」


 答えたのは正芳だった。未咲はオウム返しする。「ついたち」とは、自分が知っている「一日」のことで合っているだろうか。


「あの、寧々さんが『朔の日の夜は外に出るな』と注意してくれたんです。でも、どういうことかわからなくて。それに、『朔の日』もいつのことかわからなかったから……」

「ああ、そういうことか」


 正芳は合点がいった様子で頷いた。


「儂らからすれば当たり前のことではあるが……未咲の世界では『朔の日』はないのかね?」

「月が出ない日はあります。その月の一日目を『ついたち』と言うんですけど、そのことなのかな……」


 最後は独り言のようになってしまった。「朔の日」という用語は、一応耳にしたことはある。けれど、それは確かとある漫画で読んだ程度のもので、こうして現実で――異世界ではあるが――聞くことになるとは思わなかった。


「それで間違いないわ。『朔の日』は月の一日目なの」


 文子が微笑みながら言った。未咲はなるほど、と頷いて一番訊きたかったことを口にする。


「それで、その日の夜に外へ出るなというのは……」

「朔の日は怪異が起こるのだ」

「えっ」


 未咲は驚いてあんぐりと口を開けた。怪異が起こると聞いては居たけれど、まさか日が決まっているだなんて思ってもみなかった。


「どうして、朔の日に怪異が起こるんですか?」

「朔の日はねえ……月が見えなくなって、村が真っ暗になってしまうの」

「ええと、つまり……真っ暗になると怪異が起こりやすいってことですか」


 それならば納得出来る気はする。未咲が観たことのある心霊番組でも、幽霊は暗い夜に現れていた。

 けれど引っ掛かるのは、それならば朔の日以外の夜に怪異が起こってもおかしくはない、という点だ。月光が村を照らしても、未咲の世界のように人工的な明かりがあったとしても、夜が暗いことには変わりないと思うのだ。


「でも、伝え聞いている程度のものなの。親から子へ、この村で生きる上で守らなければいけない規則としてね」

「……え?」


 未咲はちらりと正芳を見た。正芳は眉尻を下げ口元に微かな笑みを浮かべた。今ここで何も言う気はないようで、未咲はひとまず浮かんだ疑問を喉元で留め置くことにした。


「だから、未咲ちゃんも朔の日の夜は外へ出てはダメよ」

「わかりました」


 頷いてから、未咲はぱくりと麦飯を口に含んだ。咀嚼そしゃくしながら思考を駆け巡らせる。

 この村は一見長閑のどかで平和だけれど、隠されていることが多い気がする。それは未咲が見た片鱗へんりんのみに終わらず、もっと、根深いものがあるような、そんな予感だ。

 気を抜いたら、暗闇に足を取られてしまいそうだ。


「あ、朔の日のことはわかったんですが……結局のところ、いつなんでしょうか。今が何日かも気にしたことがなかったので、わからなくて」


 未咲はおずおずと訊いた。知らないことが多すぎて申し訳なくなってくる。この村にお世話になると決まったときに、今が何月何日なのかくらい教えてもらえばよかった。


「今が二十三日だから……八日後かしらねえ」

「そうだな」


 文子が首を傾げると正芳が同意する。一週間後か、と未咲は頭に刻み込んだ。おそらく当日になれば正芳と文子がまた教えてくれるだろうし、そもそもこの村の夜はいつも月の光のみで、未咲は日が沈む頃には与えられた部屋で休んでいるのが常だ。また御神木の所に行って帰りが遅くならない限り問題ないだろう。


 そこまで考えて、ふと狐面の少年が頭に浮かんだ。朔の日の夜、雅久は何処で何をしているのだろう。村の外れで、一人で。


 ――雅久はこの村を守ってくれているのだ。


 正芳の声が、響いた気がした。

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