第4話 知りたいと願うのは

4-1 穏やかな日

 雅久のことを知りたいと思い始めたあの日から幾日いくにちも経った。その間、未咲は村に馴染なじむために農作業を手伝ったり、文子とともに村の女たちと世間話に花を咲かせたりと自分なりに尽力じんりょくしていた。

 村の女たちとの話は、この世界のことを何も知らない未咲にとって神経をすり減らすものであったけれど――知らないうちにボロが出るのを避けるためだ――和気藹々わきあいあいと雑談出来るのは心の平穏に欠かせないのだと感じるような、楽しいものでもあった。


 雅久とは、驚くほどに何もない。そもそも、彼の姿を見てすらない。「村の人間ではない」という言葉の通りか、雅久は未咲が知る限りでは村に出入りしていなかった。初めて会った夜に正芳の元へ連れて行ってくれたのは、未咲という存在がイレギュラーであったからなのだと理解した。

 その事実に未咲の胸は冷たい風に吹かれたようで、思わず漏れ出た溜息にハッとしてぶんぶんと頭を振った。


 頭上からピーヒョロロ……ととんびの鳴く声が届く。今日も天気は快晴だ。村を囲むように連なっている山々の奥にも雲は見えない。清々すがすがしい春の陽気。


「未咲ちゃん、お疲れ様。そろそろ休憩にしましょうか」

「はーい!」


 そうだ、今は草刈りの手伝いをしていたのだ。未咲は声を掛けてくれた女性――寧々ねねに返事をして、額にじんわりとにじんだ汗を手の甲で拭った。ずっと身をかがめていたものだから腰の辺りが痛んだ。ぐっと身体をひねるとボキッと音がして、思わずうわ、と顔をしかめた。


「凄い音だねえ!」


 寧々が豪快に笑う。未咲は恥ずかしくなり頬を赤く染めて俯いた。

 寧々は正芳から紹介された村人の中でも年齢が近い女性だ。快活で世話焼きな性格の寧々はあっという間に未咲と仲良くなった。村での暮らしをほとんど知らない未咲にも嫌な顔をせず、色んなことを優しく教えてくれる。寧々は4つほど年上で、もし自分に姉が居たならこんな感じなのだろうかと未咲は思っていた。


「手伝ってくれてありがとね。昼にしようか」

「いえいえ! わたしも、お昼ごはんまでいただいてしまって……」

「いいのいいの。そんなこと気にしないで。村ん中じゃ助け合いが当たり前なんだからさ」


 からからと笑う寧々の優しさが染みる。未咲は頬を緩ませて礼を言った。

 あぜに登り、手に持った雁爪がんづめを足元に置いてからパンパンと両手を叩き合わせて土を払った。その拍子に小指にはめていたわらの指袋が落ちて、慌てて拾い上げた。


「少しは此処での暮らしに慣れてきたかい?」

「あ……お陰様で」


 未咲は控えめに笑って返した。畦道に座り込んで、寧々が差し出した木製の弁当箱を受け取る。


「寧々さんには本当に感謝してます。寧々さんが居なかったら、わたし……」

「良いってば! やめてよ、そういうの。何か、恥ずかしいだろ?」


 寧々は照れくさそうに笑った。いつも堂々と強気な姿を見せている寧々の可愛らしい表情に、未咲は思わずきゅんとした。年上の人に可愛いと思うのは失礼かもしれないけれど、寧々はとても可愛らしい女性だ。


「それを言うならあたしだって未咲に感謝してるんだから」

「わたし、何もしてません」

「この村に来てくれたじゃないか」

「え……」


 未咲は唖然あぜんとして寧々を見つめた。


「この村に来る奴なんて、行商人か修験者くらいだろ? 年の近い女の子が来ることもないしさ。何もないことは良いことだろうけど、毎日毎日畑仕事ばっかりじゃあ、つまらないじゃないか」


 寧々は歯を見せて笑う。


「未咲が来てからはいつもと違ってさ、何か楽しいんだ。ありがとね」


 未咲は頬が熱くなるのを感じた。何て返して良いかもわからず、どういたしましての一言も言えなかった。


初心うぶだねえ」

「初心って……。そ、それより、この村って外から人が来ることはあまりないんですか?」

「まあね。さっきも言った通り、行商人とか、修験者、あとは旅人くらいかねえ。……まあ、この村もちょいと危ないし、当然と言えば当然だと思うけど」

「危ない?」


 未咲が聞き返すと、寧々はあっという表情をした。それからばつの悪そうな顔をして、ぽりぽりと指で頬を掻く。


「あー……そのうちわかることだし、村長さんから聞いた方が良いとは思うけど。あたしからも注意しておこうかね」


 ふう、と寧々が息を吐き出す。未咲は心臓が騒ぎ出すのを感じた。


「朔の日の夜には、外に出ちゃいけないよ」


 そう言う寧々の表情があまりにも真剣味を帯びていて、冗談でもおどかしでもなく、絶対のおきてとして未咲に言い聞かせているのだと確信した。

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