3-4 年下の男の子

 隣にただ居てくれる雅久の存在は未咲の心を落ち着けてくれた。

 未咲は数歩先を歩く雅久の背中を見つめて、胸の奥から沸き上がってくる羞恥心しゅうちしんもだえた。


 うぅ……年下の男の子になぐさめられるなんて、恥ずかしい。


 幾分いくぶん話しやすくなった雅久に年齢を尋ねてみたところ、彼は「16だ」と答えた。未咲はもう少しで成人する19歳である。つまり、雅久は未咲よりも3つほど年下であった。

 未咲の世界では、雅久は高校生だ。自分が高校生だった頃はどんな感じだっただろうかと、未咲は思い返す。少なくとも、雅久ほど大人っぽい子どもではなかった筈だ。育った環境の違いだろうか。時折、雅久は自分よりも年上に感じられる節がある。


 と言っても、雅久と未咲の付き合いの長さなんて、両手で数えられる程度のものなのだが。雅久について知っていることなんて、彼の人生のほんの一部でしかないのだろう。まだまだ、未咲から見た雅久の輪郭りんかくはぼやけている。そう思うと、少し寂しい気がした。


 雅久のことを知りたいと、未咲は思う。何故素顔を見せないのかも気になるし、村の外れに住みながら村を守っている理由も気になる。それに、わたしと初めて出会った時、何故御神木の場所に居たのかも――。


「あ」


 未咲が短く発した声に気づいて、雅久が足を止めて振り向いた。未咲もまた足を止める。


「あの、雅久に聞きたいことがあるんだけど」

「何だ」

「わたしを見つけた日、どうして彼処あそこに居たの?」


 未咲がこの世界に飛ばされ、雅久に声を掛けられるまでの時間は短かった。未咲が世界を渡った時に何かしら異変が起こっていて、それに気づいた雅久が御神木の場所まで来たというのも違和感はない。けれど、村から御神木までの道程はそう短いものではない。ということは、未咲が此処に来るまでの間に何か兆候ちょうこうがあった可能性がある。


「……偶然だ」


 妙に、間があった気がする。


「御神木は枯れていたが、それでもあの場所へ何度も足を運んでいた。あの日はたまたま、その時だっただけだ」

「……あんなに暗い夜に?」

「お前も言っていただろう。『結構、はっきり見えてる』と。俺も同じだ。あれくらいの月夜なら、日が沈んでから行く時もあるさ」


 上手くはぐらかされたようにも感じたが、未咲はそれ以上訊かないことにした。自分だって、日が暮れる頃にわざわざ枯れ木の元へ足を運んだわけであるし、そういう日もあると言われれば頷くしかない。少なくとも、信頼関係の築かれていない今の状況では。

 雅久が前を向いて再び歩き出す。未咲もまた足を動かした。


「じゃあ、わたしが此処に来る前に変なことが起きたってことはないかな?」

「特には」

「本当に?」

「本当だ。嘘を吐く理由がない」


 雅久は未咲に顔を向けないままに言った。そっか、と未咲はしゅんとして視線を地面に落とした。沈黙が続き、辺りにはこずえが揺れ葉が擦れる音が響く。頭上をおおいい空を隠している木々は土道に影を落とし、枝葉の隙間から溢れる光が風の吹く度ゆらゆらと揺れた。未咲は歩きながら思考の海に沈む。


 未咲が異世界に来たこと。御神木が花を咲かせたこと。それらに関係ありそうな異変が他に起こっていれば、それがヒントになるかもと思ったのに。やはり、正芳が隠していることが何なのか無理矢理にでも訊くべきか。いやいや、あんなに話すことを拒絶していたのに聞き出すなんて不可能だろう。他の手段を考えないと。しばらくは村に馴染なじめるように努力して、正芳が話してくれるのを待つか。いや、でも。

 未咲は眉間のしわを指で揉んだ。ついでに溜息を吐く。そのうち心身の疲労で倒れてしまいそうだ。


「――未咲」


 ふいに名前を呼ばれ、未咲はぴくりと肩を震わせた。雅久が立ち止まったことに気づかず数歩追い越してしまい、慌てて振り返る。狐面が真っ直ぐに未咲を見据えていた。


「ど、どうしたの?」


 突然呼び止められたことよりも、名前を呼ばれたことに心臓が騒いでいる。未咲は無意識に胸の辺りを触れた。男の子に呼び捨てにされる経験はおそらく小学生以来で慣れていない。こんなに心臓がざわつくものなのかと未咲は目を泳がせた。静まれ、と自分に言い聞かせながらふう、と息を吐く。

 何とか冷静さを取り戻したところで、未咲は雅久が何も言わないことを不思議に思い、彼に目を向けた。雅久は未咲をじっと見つめたままで微動だにしない。未咲は首を傾げた。


「えっと……何かあった、かな?」


 なるべく柔らかい声を意識しながら尋ねる。雅久は微かに顔を下に向け、

「……何でもない」と、一言だけ返した。

「引き留めて悪かった。行こう」


 雅久が未咲を追い越す。先ほどよりも歩くのが速い。呆気に取られ反応出来ずにいた未咲との間にどんどん距離が出来る。


「え、何? 何だったの?」


 未咲は小走りで雅久を追いかけた。雅久はスピードを緩めないまま答えた。


「何でもない。……忘れてしまった」

「ええ?」


 未咲は唖然あぜんとし、歩みを遅め、やがて立ち止まってしまった。足を止めない、けれども速度だけは緩めた雅久の後ろ姿をじっと見つめる。


「雅久」

「早く来い」


 一度だけ振り返り、雅久はまた未咲に背中を向けた。未咲は彼の名前を呼ぼうと口を開いたが、吐き出されたのは息だけだった。

 雅久の後ろ姿が何処か寂しそうに見えるのは、何故なのだろうか。未咲はその理由が知りたくてたまらなかった。

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