3-3 ふたりぼっち

「ここで眠っていたのは、考えた結果か?」


 未咲は思わず目をぱちぱちとさせた。雅久の声にはほんの少し悪戯いたずらっぽい色がにじんでいて驚いた。しばし呆気に取られていた未咲は、やがてばつが悪そうに目を泳がせる。


「……ちょっと休憩してました」

「そうか」


 雅久が狐面の下で笑ったような気がした。ほんの少しだけでも心を開いてもらえたのだろうかと、未咲は嬉しくなった。

 この柔らかな雰囲気の中であれば、雅久のことを聞いても許されるだろうか。未咲はごくりと唾を飲み込み、わず躊躇ためらってから口を開いた。


「あの、雅久……くんは」

「雅久で良い」

「あ、うん。じゃあ……雅久」


 未咲は何故だかどぎまぎしてしまい、遠慮がちに雅久の名を呼んだ。それが甘えたような声にも聞こえて、未咲はますます恥ずかしくなった。深呼吸をして心を落ち着けてから、再度口を開く。


「えっと、この前此処から村に戻った時、雅久は村の外というか……わたしたちとは違う場所に行ったよね。村から離れている場所に家があるのか、気になって」


 未咲は隣に立つ雅久の横顔を見て言った。すると雅久は、

「俺は村の人間ではないから」とだけ言って、口を閉ざした。


 その声がほんのりと寂しそうに聞こえて、未咲は雅久の寂しさが移ったように切ない気持ちになった。と同時に、雅久が村の人間ではないことが不思議だった。未咲の目には、雅久と村長である正芳は信頼関係を築いているように見えたし、雅久がこの村を守っているということも正芳から聞いている。それなのに、村の人間ではないとは。村を守るために雇われた傭兵ようへい、みたいなものなのだろうか。


 未咲はじっと地面を見つめて雅久の言った意味を考える。お金で雇われた傭兵だとしたら、村の人間ではないと寂しげに言う理由が見えない。寂しそう、というのがそもそも勘違いなのか。


 むむむ、と未咲は眉根を寄せる。難しい。人の感情って、難しい。

 けれども。本当に、本当に不謹慎ふきんしんで、我ながらなんて情けないのだろうと思うけれど。


 この村の人間ではないと言う雅久と、世界から弾き出された人間としての痛みを分かち合えるような気になってしまった。


 なんて情けないことだろう。この気持ちはきっと、雅久にも村の人たちにも失礼だ。けれど、誰かとわずかでも共通点を見つけられなければ、自分一人だけが取り残されたような気分になってやるせなくなるのだ。欠片でもいいからすがれるものがほしかった。未咲はふっと自嘲的に笑った。どんなに強がっても、自分は自分が思っている以上に心細くなっているようだった。


「ここは不思議な場所だね。桜が散っていく様子を見てると、切ないような、でも、穏やかな気持ちになる。」


 桜の根元には、人の亡骸なきがらが埋まっているという。本当に亡くなった人が埋められているならば、そしてその養分を吸って桜が咲き誇っているならばおぞましい話だけれど、命尽きた後に桜の一部となると考えれば、美しい終わり方だとも思う。


「ねえ」

「何だ」

「わたし、元の世界に戻れるかな」

「……」


 雅久は押し黙った。未咲は雅久の様子を見て、口元に笑みを貼付けた。きっと戻れる、と束の間のなぐさめに言われるより、余程良い。下手な慰めは時に凶器に成り代わるから。


「なんて、そんなこと言ってても仕方ないよね」

「……そうだな。俺には、答えられない」


 正直に、雅久は言った。未咲は泣きそうになって、きゅっと口を結んだ。包み隠さず率直に言ってくれることが嬉しいと同時に、悲しかった。わたしはこれから先、誰にもわからず、検討もつかないことを相手に、一人で進んでいかなければならない。雲を掴むようなものだ。間違いなく、これまでの人生で最大の難関だった。


 それでも、信じるしかない。自分は大丈夫なのだと、言い聞かせて。少しずつでも進まないと、一生元の世界には帰れず、迷子のままなのだろうから。


 そよそよと、少し冷たさをはらんだ風が未咲の頬を撫でていく。此処に来た時には日が真上にあった筈なのに、もうすぐ空が燃え始める時間だ。


「ごめん。もう少しだけ休んでから帰るね」


 だから先に戻ってもいいよ、と雅久に伝えてから、未咲は両膝に顔をうずめて目を閉じた。もう少し心を落ち着かせないと、ふとした拍子に泣いてしまいそうだった。泣いたってどうしようもないと、自分の力で何とかしなければいけないと頭ではわかっているのに、感情が制御出来ない。


 大きく呼吸を繰り返していると、隣に雅久が腰を下ろした気配がし、驚いて目を開けた。顔を上げて隣に目をやると、雅久が片膝を胸に抱えて座っていた。未咲に見せているのは横顔で、こちらを見る様子はない。


 寄り添ってくれているのだろうか。きっとあわれに見えているであろう、わたしに。


 それだけでも心強いと感じた自分が、酷く情けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る