3-2 溶けゆく、揺蕩う

 村で過ごすようになってから数日経ったある日、未咲は一人で御神木の元へ向かっていた。


 先日訪れた時は、途中で正芳や雅久との間に流れる空気が変になってしまって、満足に御神木周辺を調べることが出来なかったためだ。昔から御神木の傍に居ると心が落ち着くので、頭の整理をするために、そしていやされるためにという理由もある。


 辿り着いた先の御神木は、やはり桜が咲き乱れていて、風にふわりと乗った花びらが空を踊っていた。何度も見ても、夢のような光景だ。この大木が数日前までは枯れていただなんて、一体誰が信じるだろう。むしろ枯れ木であったことが夢なのだと、人々は言うかもしれない。


 何故、御神木はまた花を咲かせたのだろう。未咲は御神木の影に踏み入り、桜花爛漫おうからんまんの景色を見上げた。桃色の花と茶色い枝の隙間から薄水色が覗く。こずえが揺れて、ほのかに桜の匂いを含んだ甘やかな風が鼻腔びこうくすぐる。未咲は目一杯息を吸い込んだ。


 雅久の言う通り、自分がこの御神木を再生させたのだろうか。それとも、たまたま枯れ木が再生する瞬間に立ち会ってしまっただけなのか。そうだとして、あんなに一瞬で花が咲くことはあるのか。そもそも、枯れ木が自然に再生するなどありえるのだろうか。考えれば考えるほど疑問が浮かんでくる。


 頭がパンクしそうになって、未咲は御神木の下にごろりと寝転がった。ひらひらと、ゆっくりと一片ひとひらの花びらが舞い降りてくる。その花びらは、そっと頬に触れ滑り落ちていった。それがくすぐったくて、思わず笑みを溢した。


 未咲は静かに目を閉じる。両手両足を広げて仰向けに寝るのは心地が良い。ぽかぽかと春の陽気に誘われて眠気を感じた。


 しばらく目を閉じていると、身体の下の土や、草や、木や、桜の花や、風……その空間に存在するすべてと一体になっていくような感覚になった。意識が溶けていって、未咲という概念が空気となって雲散うんさんしていくような。海の中で、ゆらゆらとただようような。


 お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんは、こんな気持ちなのかな。


 視界が段々白くなっていく。山の音たちが、遠ざかっていく。


 ――未咲はね、……な…………のよ。


 そのさらに遠くで、祖母の声が響いたように感じた。何を言っているかは聞き取れない。けれども、その声がとても優しくて愛情に満ちていることだけはわかる。未咲は祖母の声が大好きだった。


 このまま、溶けてしまえないだろうか。


「何をしている」


 ハッと目を開けた。未咲の反応が素早かったせいか、声を掛けてきた少年――雅久が小さく肩を震わせたのが見えて、未咲は思わず笑ってしまった。未咲の顔を覗き込む狐面が、影で灰色に染まっている。


「赤ちゃんって、あんな感じなのかなって」

「え?」

「そう思った」


 未咲はゆっくりと身体を起こし、膝を抱えた。


「わたしのこと、疑ってる?」


 何を、とは言わなかった。未咲には、雅久が自分のことをどう考えているのかわからなかった。正芳は未咲が異世界から来たことを何処か確信しているような雰囲気であったし、それ以上のこと――例えば、未咲の祖父母のことであるとか――を知っていると思える反応をしていた。けれど、この少年はどうなのだろうか。顔を隠すと感情を読み取るのは難しくて、探ることも出来ない。


 雅久からの返事はない。黙って未咲を見るだけで、けれども、未咲にとってはそれが何よりの答えだった。


「わかってる。疑わない方がおかしいよね。正芳さんはわたしのことを村の人たちに上手く言ってくれたみたいだけど、村の人たちだって、わたしが変なことは察してる。服を皆と同じにしたって中身は変わらない。どんなに優しくしてくれても、目がわたしを受け入れてないもの」

「……ああ」


 雅久は少しの間を開けて返した。未咲は微笑を浮かべて続ける。


「信じられないよね、違う世界から来たなんて。その気持ちもわかるから、信じてほしいなんて言えない」

「だが、お前はその現象を受け入れているように見える」

「そうだね」と、未咲は頷いた。

「だって、これがわたしの現実なんだもの。もしかしたら、少し長めの夢を見ているだけかもしれない。それでも、目で見て、耳で聞いて、体で感じたことがわたしの現実だから。信じるしかない。受け入れるしかない。これが現実じゃないって疑ったとして、わたしはどうすればいいんだろう。ずっと、夢が覚めるのを待てばいいのかな」


 ざあ、と風が未咲の髪をさらっていく。未咲は桜が舞う穏やかな山の風景を真っ直ぐに見つめながら言った。


「だったら、これが現実なんだって受け入れて、じゃあどうするのって考えた方が良い。少なくとも、わたしにとっては」


 雅久は小さく、そうか、と呟いた。

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