2-2 御神木と怪異

 野良着のらぎに着替えた未咲は文子に見送られて正芳とともに御神木のある山に向かっていた。


 田畑に囲まれている畦道あぜみちを進み、時折土をたがやしたり草むしりをしたりと農作業にいそししんでいる村人たちと挨拶を交わす。村人たちは見覚えのない未咲の顔を不思議そうに見ながらも、未咲が頭を下げればほがらかに笑みを返してくれた。


 こうして村の様子を眺めると、やはり昔ながらの日本というか、祖父母がいた村と何ら変わりないようにも思える。どこまでも長閑のどかな村の風景は、正芳がほのめかした怪異の存在にざわついていた未咲の心を落ち着けてくれた。


 山のふもと付近まで来ると、丸太で組まれた柵が設置されていることに気付いた。昨夜村まで降りてきた時には気にしていなかったのだが、村の敷地を判別するために作られたのだろうか。

 丸太柵は土が盛られて作られた段差の下に埋め込まれていて、奇妙な造りに思えた。それに、この村自体が山脈に囲われていて孤立しているようにも見えるので、わざわざ柵を設ける必要があるのか不思議だ。


「村の結界なのだ」

「……結界?」


 未咲の疑問を見透かして、正芳が言った。


しきものが村に入って来れないようにな」

「悪しきものって、さっき言っていた怪異のことでしょうか」


 正芳は答えずに柵の間の段差を上がる。人が通れるように空いている柵と柵の間は、大人が二人並ぶと隙間が埋まりそうなほど狭い。昨夜は雅久の後ろをついて行っただけなので、大して気にも留めなかった。


「雅久」


 山の麓で狐面の少年が待っていた。踏みならされた山道の入り口付近に生えている小楢こならの幹に身を預けていた雅久は、正芳と未咲を見ると二人へと歩み寄る。

 太陽の下に姿を現した雅久の髪は白に近い灰色で、きらきらと光をまとっているのが美しいと、未咲は見惚れてしまった。


「俺も行きます」

「おお、それは心強い」


 と、正芳は雅久の申し出に嬉しそうに笑った。


「えっと、ありがとう……?」


 未咲は見上げるように雅久の顔色――狐面で見ることは出来ないのだが――をうかがいながら言った。雅久は未咲を一瞥いちべつすると、ふいと顔を背ける。


「……いや」


 どうやら自分は雅久に警戒されているらしい。未咲は思わず溜息が出そうになるのをぐっと呑み込んだ。


 雅久が先導して歩き始める。正芳と未咲も後に続いた。さやさや……と葉が擦れる音がして、土道を照らす光が揺れる。頭上から鳥の声も聞こえ、穏やかな朝だと思った。とても正芳の言う『怪異』が起こるとは思えない、生命の力に満ちた朝。


「御神木が枯れてしまったのは、数十年前だったか」


 ふと、正芳が話し始めた。


「儂も幼かった故、朧気おぼろげではあるが……桜が咲き誇る様は本当に美しかったと覚えているよ」


 と、懐かしむように目を細める。未咲は誰にともなく頷いた。あの桜は本当に綺麗で、空を舞う花びらは時に蝶のように、時に雪のようにも見えた。


「それが突然枯れてしまってなあ」


 そういう正芳の声は寂しげだ。前を行く雅久は振り向くことなく進んでいく。

 がさり、と草叢くさむらが揺れた。音に気を取られ、未咲の目はそちらに向いた。サッと黒い影が草と草の間を駆け抜けていく。兎か何かだろうか。


「それからか。怪異が少なくなったのは」

「え? ……わあ!」


 足元の石につまづいて転びそうになった。心臓をバクバクとさせながら体勢を整える。目を丸くして未咲を見る正芳と足を止めて振り返った雅久に、未咲は失態を誤魔化すように笑った。


「お前はほうけるのが趣味なのか?」


 雅久が溜息交じりに言う。昨夜も何度かぼーっとして雅久に迷惑を掛けてしまったために、未咲は彼の嫌味に何の文句も返せない。


「い、いや、今のは驚いたというか……」


 代わりに、なにもぼんやりしていた訳ではないのだと弁解する。


「一体何に驚いたんだ」


 と、雅久が訊くので、未咲は人差し指で頬を掻いた。


「御神木が枯れてから、怪異が少なくなったってこと……かな。御神木って、そういうのから守ってくれるものだと思っていたから」

「確かになあ」


 正芳が頷いた。少しの間沈黙が流れ、特に合図もなく一斉に歩みを再開させた。

 それからは誰も喋らず、黙々と歩き続け、やがて御神木がそそり立っている空間へと辿り着いた。御神木がある土地は小高い山の上で、それまで所狭しと並んでいた木々が御神木を取り囲むように円形の空間を作っている。まるで御神木を守っているかのようにも見えた。


「なんと……」


 正芳は感嘆した。御神木は、枯れる前の姿同様に瑞々しく、その枝には淡い桃色の花を咲かせている。枝から旅立った花びらは宙を舞い、太陽の光を纏って空を彩っていた。


 まさしく、枯れ木は蘇ったのだ。

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