第2話 蘇った御神木

2-1 家族の優しさと怪異

 翌朝、未咲は正芳の妻である文子ふみこに起こされ目を覚ました。文子は既に正芳から話を聞いていたらしく、未咲が慌てて布団から起き上がると「大変だったわね」といたわるように未咲の頭を撫でた。その手のぬくもりが未咲の祖母を思い起こさせ、未咲はうっかり涙ぐんでしまった。


 昨夜未咲が通された客間には布団一式があって、その感触は未咲がいた世界のものと大差ないものだった。歴史に詳しいわけではないので、布団がいつ頃から普及したのか明確なことはわからない。しかし、未咲のイメージとしては、昔、それも山村ともなれば、寝具はわらなどで作られたものであった。


 思っていたより眠ることが出来た。未咲は大きく身体を伸ばした後、安堵あんどの息を吐いた。未咲の様子を見守っていた文子がくすくすと笑う。


「よく眠れたようで、良かったわ」

「あ……ありがとうございます」


 未咲は気恥ずかしさにうつむいた。


「私のお古で申し訳ないけれど、着られるかしら?」


 文子が差し出したのは、色合いは淡紅藤うすべにふじで格子模様の着物であった。未咲が驚いて文子を見ると、彼女はにっこりと微笑んだ。


「動きやすい野良着のらぎもあるのだけれど、それは後でお渡しするわね。やっぱり女の子は綺麗な格好がいいわ」


 野良着とは何だろうか。未咲は内心首を傾げつつ、文子の気遣いに感謝と申し訳なさを感じた。それで未咲が何も言えずにいると、文子は困ったように笑う。


「やっぱり、私が着ていたものでは駄目かしら」

「い、いいえ!」


 未咲は即座に否定した。


「すみません、何だか申し訳なくて」

「気にしなくて良いのよ。娘が出来たみたいで楽しいんだから」


 文子がおどけて言うのを見て、未咲は呆気に取られた。あ、この人可愛い人だ。そう思ったら気が抜けて、固くなっていた頬がふにゃりと緩んだ。


「わたし、一人で着物を着られなくて。着方を教えてくれませんか?」

「もちろん」


 文子は快く頷いた。未咲は少々照れ臭さを感じながら文子に着付けてもらう。


 着付けは祖母に教えてもらったことはあれど、どうにも上手く出来るようにはならなかった。それは、今となっては恥ずかしい話であるけれど、祖母に着物を着させてもらうのがまるでお姫様になった気分で嬉しかったのだ。だから、いつまで経っても一人で着付けられない子どものままでいた。祖母も祖母で、何だかんだ嬉しそうにしていたことを覚えている。お互いに甘えていたのだろう。祖母に着付けてもらいたい孫娘と、孫娘に構えて嬉しい祖母。そして、そんな二人を温かい目で見守る祖父の姿。


 未咲はぐすっとはなすすった。異世界に飛ばされたことより何より、祖父母がこの世から旅立ってしまったことの方がずっと悲しい。

 文子は未咲の様子に気づかない振りをして、時折説明しながらの着付けが終わると未咲の肩をぽんと叩いた。


「終わったわ」

「ありがとうございます」


 未咲は頬を赤く染めてにこりと笑う。


「どういたしまして」


 文子も笑みを返すと、


「さあ、朝餉あさげにしましょうか」


 と、未咲の背中を柔く押した。


 未咲が連れられていったのは、昨夜正芳や雅久と話をした囲炉裏のある部屋ではなく、そのさらに奥の座敷だった。障子が開けられていて、太陽の光が部屋全体を優しく照らしている。障子の向こうには薄水色の空とまだ何も植えられていない田んぼが見えた。


 座敷には既に正芳が座っていた。正芳の前には食事が置かれたおぜんがあって、彼の右隣にもう一客、左斜め前にも一客ある。文子がさっと正芳の右隣に座った。その際に未咲の背中をぽんと叩いて座るよう促したので、未咲も空いているお膳の前に座った。


「おはよう。よく眠れたかね?」


 正芳が未咲を見て微笑む。未咲は苦笑した。


「はい、とても」


 存外、自分は図太いのかもしれない。いくら疲れていたとは言え、異世界に来てしまった不安から眠れないのではと思っていたのに、布団に入ってからすぐ眠りに就けた。


「それはよかった」


 と、正芳はうんうんと頷いた。


「まずは食べようか」

「はい。……あの、すみません、何から何まで」

「良いんだ。違う所から来たとなれば、色々大変だろうからね」

「ありがとうございます」


 正芳と文子に促され、未咲は朝食をいただく。お膳には炊きたての白米や野菜とキノコの煮物、たくあんに味噌汁が置かれていて、祖父母が好んで食べていたものと同じようで安心した。


「さて、これからどうするつもりだね」


 三人とも食べ終えた頃、正芳が尋ねた。未咲は居住まいを正し、正芳と目を合わせた。


「元の世界に帰る方法を探そうかと……。今日は、その、昨日の桜の木の場所へもう一度行きたいんですけど」

「うむ。御神木の所は儂も行きたいと思っていたからなあ。この後一緒に行くとしようか」

「不思議なこともあるもんですねえ。枯れてしまった木がもう一度花を咲かせるだなんて」


 文子が感心したように言った。正芳は頷く。


「雅久は未咲が桜を咲かせたのではないかと思っているようだが」

「わ、わたしにもよく」


 未咲は乾いた笑みを浮かべた。


「あの、その、雅久という男の子についてなんですけど」

「雅久?」

「はい。ええと、どうして狐のお面を被っているのかと気になって。それと、刀を持っていたので……危ないことがあるのかなって」


 刀のことはともかく狐面のことは聞かない方が良かったかもしれないと、未咲は尋ねてから思った。事情があって面をしているのであれば、それは本人以外の口から聞かない方が良い。自分の知らない所で個人的な事情が他者に知られているというのは、あまり気分の良くないものだ。未咲は言葉を取り消そうと慌てて口を開いた。


「やっぱり、お面のことは大丈夫です。知られたくないことかもしれないし」

「……そうか」


 正芳の眼差しがふっと柔らかくなったように見えた。未咲は肩の力が抜けていくのを感じた。


「雅久はこの村を守ってくれているのだ」

「守る?」


 一体何から守るのかと、未咲は言外に尋ねる。


「この村には怪異が起こるのだ」

「え?」


 未咲は目を丸くして正芳を見た。怪異とは、所謂いわゆるポルターガイストであるとか、妖怪だとか、そういう類のもののことだろうか。


 この村ではそういうことが起こる? 刀を持ってるってことは、物理? 物理的なもの? 実体があるの? それから、あの狐面の少年が守っているって?


 疑問が次々と湧き上がってきて頭が追いつかない。正芳の言う『怪異』とは一体どのようなものなのか、上手く想像できなかった。


「わからぬことを無理に考える必要も無い。……さて、御神木の所へ行くとしよう」

「あ……はい」

「あそこまで行くなら、着物じゃない方が良かったかしら」


 それまで黙って話を聞いていた文子が頬に手を当てて申し訳なさそうに言った。正芳が大きく頷く。


「山を登るにはつらいだろう。待っているから、着替えてきなさい」


 折角着付けてもらったのに勿体ないと思いつつ、確かに山道を歩くには着物はそぐわないので文子から別の服を借りて着替えることにした。

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