1-6 掴めない輪郭

「信じてもらえないとは、思うんですけど……」


 前置きをしてから、未咲は自身の状況を説明した。祖父母の遺品整理のためにある村を訪れたこと。日が暮れる頃に祖父母が「御神木」と呼んでいた桜の大木がある場所に行ったこと。その大木は既に枯れていたこと。きつねの窓を作って大木を覗いたら、突然花を咲かせたこと。その後、雅久に声を掛けられたこと。そして、恐らくここは未咲がいた世界とは異なる世界であること。

 未咲の話を聞き終えた村長は難しい顔をして唸った。


「ううむ……。お主、名は何と言う」

「あ、えっと。深山未咲、です」

「未咲か。良い名前じゃ」


 未咲は曖昧に笑って見せた。


「儂は正芳まさよしという。もう察しているだろうが、この村の長をしている」


 正芳は名乗った後、未咲から視線を外し、囲炉裏の火をしばし見つめた。その表情はどこか複雑そうで、未咲は太腿の上でぎゅっと拳を握った。


「……異なる世界の人間がやってきた例が、無いわけではない」

「えっ」


 予想だにしない正芳の言葉に、未咲は目を見開いて彼を見つめた。正芳は表情を変えず、囲炉裏の中で踊る炎をじっと見たままだ。ぱちぱちと炎が弾ける音だけが響く。

 やがて正芳はふっとわずかに笑みを作り、顔を上げ未咲に目を向けた。


「と言っても、儂も伝え聞いただけではあるから、何とも言えん。伝説のたぐいかと思っていた故、興味こそ惹かれはしたが、それについて調べたことはないのでな」

「そうですか……」

「この者の話を信じるのですか?」


 それまで黙って話を聞いていた雅久が正芳に尋ねた。未咲は息を呑む。


「ひとまず、信じることにしよう。既に、枯れていた御神木が花を咲かせるという奇妙なことも起きている。それは儂も直接確かめに行くとして……」


 正芳は未咲の姿を眺め、苦笑いを浮かべた。


「そのような装いをした女子も、初めて見るでな」


 未咲はあっと声を出して正芳や隣の雅久を交互に見た。彼らはどちらも和装で、未咲は白のブラウスに淡い黄色のカーディガンを羽織っており、下半身は紺色のジーパンを履いている。

 やはり、この世界は異世界というより、未咲が生きていた時代より過去の時代、なのだろうか。未咲は眉間に皺を寄せて唇を結んだ。


「それより、もう夜も更けてきた。今日のところは此処で休みなさい」

「ありがとうございます」


 正芳の申し出を有難く受け、未咲は頭を下げて礼を言った。今日は色んなことがありすぎて、もう何かを考える気力はない。


「雅久も、もう遅いから此処で休んでいくといい」

「いえ、俺は帰ります」

「しかし……」

「何かあった時に困りますから」


 雅久はかたくなに首を振った。

 何かあった時、とはどういうことだろうか。未咲はそっと雅久を見遣る。帯刀しているということは、この世界は刀を使わなければならない状況が起こり得るということだ。そんな世界の、こんな暗い夜に雅久を出歩かせてしまうのは心配だった。正芳が此処に留まるよう言っているのだから、無理に出なくても良いのではないか。


「あの、村長さんもそう言ってるし、此処に居た方が」

「関係ないだろう」


 ぴしゃりと、雅久は一蹴した。干渉するなと未咲を突き放す冷たい態度だ。未咲は眉尻を下げる。未咲に向ける顔は、やはり狐面に隠れて窺えないが、見えていたら彼の表情は冷え切っていたかもしれない。これまで聞いた中で、一番刺々しい声だったように思える。


 雅久は刀を手に立ち上がり、正芳に一礼してから玄関へと向かう。未咲はその場を動けず、顔を伏せたまま雅久が立ち去る音を聞いていた。


「悪い奴ではないのだがなあ」


 正芳はぼそりと呟いた後、雅久の後を追った。

 雅久が悪い人でないことくらいは、未咲もわかっている。はあ、と溜息を溢し、痺れ始めた足を撫でた。


 未咲のことを気遣ったり、警戒したり、突き放したり。雅久のことが掴めない。出会って数時間程度の相手に思うことではないだろう。けれど、雅久という少年は、薄雲がかかった月のように輪郭がぼやけて掴めない人間だと未咲は感じた。

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