1-3 不思議な少年

 狐面の少年に連れられ、未咲は山道を下っていた。月に照らされたその道が自分が登ってきた道と殆ど同じ姿に見えたので、未咲は本当にここが祖母の言う「異なる世界」なのかと少し疑ってしまう。とはいえ、未咲が歩いている道はやはりほぼ獣道で、時折足を取られてしまうのを木の幹にしがみついてえるような道に似ているも何もないのかもしれない。


 先に行く少年はたまに未咲を振り返るだけで、一言も発そうとはしない。彼からすれば自分は怪しい人物だと言うことはわかっているけれど、もう少し会話しても良いのではないだろうか。未咲は慣れたように進んでいく少年の背中をじとりと見た。


「あ、あの、ちょっと早い……」


 けれど、生来気の弱い所のある未咲は遠慮がちに声を掛けることしか出来なかった。それも、言葉も尻すぼみで、怖々と言葉を発していることが丸わかりだ。未咲は自身を情けなく思い泣きたくなる。


 でも、突然意味のわからないことが起こって、今までと違う場所に飛ばされたら、誰だってこうなるよね。


 未咲はそう思い直し、ふっと短く息を吐いた。気合いを入れ直して少年を見る。すると、少年は身をひるがえしじっとこちらを見つめていた。未咲はびくりと肩を震わせる。


「山に慣れていないのか」


 狐面の向こうから尋ねられた。面を通している分少年の声はこもって聞こえにくい筈なのに、不思議と未咲の耳にはハッキリと届く。会話に不便がなくて有り難いけれど、狐面の少年という面妖さも相まって違和感を覚えてしまう。


「た、多分」


 未咲は曖昧に答えた。元いた世界では周りと比べて山に慣れている筈だけれど、疲れた様子も見せずよどみない動きで前を行く少年の様子に、この世界では未咲は不慣れな部類に入るのだろうと考えたのだ。


「もう少しで村に着く。今夜は月が明るいからマシだが、危険なことに変わりはない」


 だから止まるな、と言いたいのだろうか。察することは出来るけれど、もう一言付け加えることは出来ないものか。未咲は思わず苦い笑みを浮かべた。


「ゆっくりで良いから、そのまま進め」


 先ほど未咲のことを「神の御使いか」と勘違いした割には扱いが雑だ。いや、彼は未咲を神の御使いではなくただの怪しい人物だと認識を改めたのだと考えれば、ゆっくりで良いと言ってくれる分優しいのかもしれないが。


 少年が再び歩き出す。未咲もまた気を引き締め直して足を進めた。今自分たちが向かっている村とはどんな所なのか、そこで自分はどんな扱いを受けるのか等聞きたいことは沢山浮かんでくるが、未咲は口をつぐんで山を下ることに集中した。実際、喋りながらこの暗がりを進める気はしない。


 それにしても、月の光とはこんなにも明るく照らしてくれるものなのか。

 足元も太陽が出ている時ほど見えはしないが、夜の山に不慣れな未咲も石や木の根が飛び出している所を避けるなり注意するなりすることが出来るくらいだ。懐中電灯がなくても問題ないのではないだろうか。


 そこまで考えて未咲はハッとした。そういえば、貴重品のみを入れたショルダーバッグを提げていた筈だ。御神木の場所に着いた時、それに懐中電灯を入れた覚えもある。


 肩から提げていたショルダーバッグに触れようとすると、想像していた感触はなくて焦った。まさか、御神木の所に置いてきてしまったのだろうか。地面に落ちたのなら音や肩の感触で気付きそうなものだけれど。


「あの……」

「今度は何だ」


 呆れたような声だ。未咲は肩を縮こませる。


「バッグを置いてきちゃったかもしれなくて。戻ってもいいかな。あ、えっと、明日探すでも良いのか……」


 話している内に何もこんな夜に戻らなくても良いだろうと気付き、最後は独り言のようになってしまった。


「ばっぐ……?」


 首を傾げる少年の発音が覚束おぼつか無い。未咲は慌てて言葉を重ねた。


「ええと、財布とかスマホとか、そういうのを入れてる鞄……入れ物というか。肩に提げてた筈なんだけど、今持ってなくて。落としたのかなって」

かごのようなものか? 何かを持っているようには見えなかったが」

「え!」


 思わず声を出して驚いた。未咲はいぶかしげに少年を見る。けれど、例え少年が嘘を吐いていてもわかるわけがないし、彼がそんな嘘を吐くメリットもわからない。

 元の世界に置いてきたのだろうか。わからないことだらけで目眩がしそうだ。


「とりあえず、明日探すことにするね。引き止めてごめん」


 気まずさを感じ、このまま会話が途切れることが怖くて未咲は言葉を続ける。


「懐中電灯って言う、えっと、明かりを付けられるものがあるんだけど……それがあったら歩くの楽になるかなって思って。あ、でも、こんなに明るいなら特にいらないかな。結構、はっきり見えてるし」


 あははと誤魔化すように笑った。そもそも、少年だって光源らしきものは持っていない。もしかしたら、この世界では夜目の利く人間が多いのかもしれないし、ともすると、未咲が明かりを気にするのは、やはり少年にとっては怪しく見える可能性がある。未咲がちらりと少年を見遣ると、彼は何か考え込んでいるような様子を見せていた。


「……ああ。この程度なら問題ないだろう」

「う、うん。ごめんね」


 狐面の奥にある目が未咲の一挙一動を観察しているように思えて、未咲は居心地が悪くなり身じろいだ。


 とにかく、まずは少年の案内に従って村まで行かなくてはいけない。

 此処が未咲が生きていた世界ではないということは察している。ということはもちろん、未咲が滞在する予定だった祖父母の家もないし、頼る人も居ない。

 今やるべきことは、状況の把握と、衣食住の確保、そして元の世界へ帰る方法を探すことだ。


 少年が未咲を見つけてくれたのは不幸中の幸いだろう。少年が声を掛けてくれなければ、きっとここが異世界であることにも気づかなかっただろうし、こうして村に案内してもらうこともなかった。あのまま一人で夜を明かし、あてどなく彷徨さまようことになっていたと思うとぞっとする。未咲は密かに少年に感謝した。

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