1-2 花明かりの奇跡

 未咲は御神木の根元でお昼寝をするのが大好きで、御神木の傍に居ればどんな憂いも払ってくれるような、柔らかなベールに包み込まれているような安心感で満たされた。

 未咲は御神木の傍で何度も心地よい眠りについたことを思い出しながら山林へと入った。


 御神木までの道はある程度作られているが、ほとんど獣道のようなものだ。未咲はしっかりと土を踏みしめて登る。 すっかり日が落ちてしまい、頼りになるのは月の光と手に持った懐中電灯のみだ。あれだけ立派な大木があるのにそれ以外は何も無いなんて、本当に祖父母や自分以外が訪れることもないのだと思い、未咲は寂しさのような、けれども優越感のようなものを抱いた。


 足下に注意しながら進み続けて、ようやく目の前の景色が開けた。

 月の光を一身に浴びる桜の大木。春だと言うのに花を咲かせることもなく、ただそこにあり続ける枯れ木。数年前に枯れたというその大木は、既に生命が尽きているにも関わらず、未咲の目には息を飲むほど美しく映った。


 さく、さく、さく。未咲が御神木の元へ足を進める度に踏まれた草の音が響く。

 淡い月光がスポットライトのように照らしていて、その姿は幻想的で、そして酷く儚いものに見えた。


 未咲は御神木から距離を取って正面に立ち、ただその姿を眺めた。どこか遠い所から、祖母の愛おしむような表情で紡がれた言葉が聞こえてくる。


 ――まさに御神木ね。この子が、私と旦那様を引き合わせたのよ。異なる世界の私と、旦那様をね。だから、この子はとても大切で愛おしい存在なの。


 祖母の言う「異なる世界」が何なのかは、未咲にはわからない。けれど、御神木を本当の我が子のように話す祖母の顔が大好きだった。


 人間からすれば気が遠くなるほどの年月を生きてきた桜の大木は、ずっとこの地に生きる人々を、根付くすべての生命を、見守ってきたのだろう。未咲もまた、この大木に守られてきた。

 もう二度と、花を咲かせた姿を見ることは叶わない。未咲は目の奥が熱くなるのを感じた。祖父母も亡くなり、御神木も枯れ、幼い頃から自分を守り育ててくれた存在が居なくなってしまった。


 両手の人差し指と親指の先をくっつけて、目の前に小さな窓を作る。祖母が読み聞かせてくれた絵本に描かれていたように青く染まった指ではないけれど。


 もう一度、見せてくれないだろうか。祖父母との思い出の景色。根元で寝っ転がった時に見上げていた美しい桃色の花。温かくて、優しくて、母親のような御神木。

 もう一度、花を咲かせてくれたなら。

 わたしはきっと、この先もわたしの未来を信じて強く生きていける。


 ――未咲、信じる道を生きなさい。


 誰かの声が聞こえた気がして、未咲はハッと目を見開く。

 胸元の辺りがひやりとしたと思えば、一瞬視界が真っ白になった。


「きゃあ!」


 ぎゅっと目を瞑り、顔を伏せる。身体を強張らせたまま動けずに居たが、その後は何か起こった様子もなく、未咲はおそるおそる目を開けて顔を戻した。


「え……?」


 眼前に、満開の桜があった。

 月の光を受けてきらきらと光り、風に揺れる花。枝から離れた花びらがひらひらと踊るように宙を漂い、呆気に取られる未咲の頬を撫でていく。


 夢でも見ているのだろうか。


 ありえない光景に心臓が波打つ。一体この数秒の間に何が起こったのか、皆目見当がつかない。


「――お前、今何をした?」


 突如背後から聞こえた声に、未咲はバッと振り返った。

 暗くて色はわからないが、おそらく男性用の着物に袴。月光に照らされた顔は白の狐面を被っておりその表情はうかがえない。見るからに怪しい人物が未咲を捉えていた。


「何をしたと聞いている」


 声から察するに少年、だろうか。未咲に問う声は低く鋭い。未咲からすれば少年の方が怪しく思えるが、彼にとっては未咲が怪しい人物なのだろう。未咲はごくりと唾を飲み込んだ。


「答えろ」


 何をしたと聞かれたところで、未咲は何も答えられない。未咲がしたことと言えば、きつねの窓を作ってそこから桜の大木を覗いたくらいだ。

 未咲が黙っていると、少年はふっと桜の大木を見上げた。


「この木が花を咲かせたところなど、何年もの間見たことがない。だと言うのに、お前が奇怪な構えを取った後、根元からみるみるうちに生気を取り戻していき花が咲いた」

「き、奇怪な構え……?」


 もしかして、きつねの窓のことを言っているのだろうか。


「こんなこと、ありえない……何故木が生き返ったんだ……この女は何をした。いや、まさか、そんな……」


 少年は戸惑う未咲を放ったまま、ぶつぶつと呟く。それから顔を未咲に向けて、

「あなたは、神の使いか何かか?」と言ってのけた。


「余程霊力の無い限り、こんなことを出来る筈がない」

「いやいやいやいや」


 未咲は顔の前でぶんぶんと右手を振って否定した。神の使いだの霊力だのとよくわからないが、枯れ木が息を吹き返した理由なんて自分にもわからないのだ。


「わたしも突然桜が咲いた理由はわかりません。本当に、まばたきしたら花が咲いていた、みたいな感じで……なので」


 しどろもどろになりながらも伝えると、少年は何かを考えるように少々顔を下げた。狐面を被っているためか、未咲には少年の感情が微塵みじんも伝わってこない。未咲は自分の行く末を案じ、胸の前で重ねた両手をぎゅっと握りしめた。


「……そうか」


 少年は静かに頷いた。


「だが、お前が関わっていることには違いないだろう。悪いが、村まで来てもらう」

「村?」

「ああ。俺が世話になっている村だ。そこで村長に会ってもらう」


 祖父母の家がある場所も、村ではあった。けれど、少年が言う村とは、きっと祖父母の村とは違うのだろうと未咲は予感する。


 ――おばあちゃんはね、こことは違う世界でおじいちゃんと出会ったのよ。


 祖母の声が頭の奥で響いた。

 ああ、そうか。ここは祖母と祖父の出会いの地なのだ。

 未咲は明確な理由もないくせに、確信した。

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