第5話

 結局、ルークはあの後にリリーに別れを告げることが出来なかった。しょうがないのかも知れない。別れを告げるということは非常に勇気のいることだ。


 友人に別れを告げることのできなかったルークは、どこかもやもやとした感情を抱いているようだった。彼の好物のシチューがあるというのに、ゆっくり食べていた。

 



「3日後に出発するぞ」


「え、そんなに早いの?」


「決まったらすぐに行動するのが、儂の教訓じゃ。先延ばししても良い事なんか、ほとんどないからの」



 ルークは夕飯を食べていた手を止めて驚いた。

 私も、ビル爺がそんなに早く出発するとは思ってもいなかったので、目を丸くして驚きの顔をつくった。

 ビル爺の即決即断は昔から慣れていたが、まさかここでもそれを発揮するとは思わなかった。過去にも、ルークに魔法を教える時や、剣の訓練を施すときなど、突如思い付きで小型の魔物と戦わせるなどのことをしていた。



「それと、ノゾムのことじゃが」


「私?」



 私はビル爺の作ってくれた食べ物を食べていた。12年ぶりの食事だ、美味しくないわけがなかった。朝食などで軽く水などを飲んで、感動した以上のものがあった。薄く塩が振られた蒸かした芋を食べるだけで涙が零れ落ちるほどだった。



「そう、お主のことじゃ。ノゾムという名前は少々人間臭い。旅の道中でお主が、守護霊が憑依した動物だと知られては、めんどくさい事に巻き込まれるじゃろう。だから、お主の呼び方を変えようと思ってな」


「そうか……」


 

 確かに、私の月見里望という名前は人間の名前だ。ノゾムという名前も、私が守護霊だということに気づくきっかけになるかも知れなかった。



「それで、何か思いつくいい名前はあるか。人間だと疑われないような名が……」



 そう言われても、私の頭の中には全くいい名前が浮かんでこなかった。前世でも、動物を飼った経験というと、夏祭りで買った金魚を育てたことがあるぐらいだった。名前をつけることは無かったし、何より名付けのセンスが自分にあるとは思えなかった。

 狸、狸の名前とは何であろうか。基本的に害獣として扱われる狸を飼っている家等見たことがない。参考にするとしたら動物園だろうが、残念ながら最後に私は動物園に行ったのは、前世の小学校だった。その時の記憶など、まったく存在していなかった。


「ポン太」


「え?」


「ポン太って名前が良いと思う」


「そうか、それではお前は今日からポン太じゃ。旅の間はその名前で呼ぶからな」


「はぁ」



 ポン太、それは安直といわざる追えない名前であった。狸だからポン太。日本人ならば誰でも思いつく名前だ。

 私も、自分が狸だということを考慮したところ、真っ先に頭に浮かんだ名前だったので、そこまで反論するつもりは無かった。

 それにしてもポン太か……。

 こんな絵本に出てきそうな名前になるとは思わなかった。



「よし、名前も決まったところで今日は寝るとするか。明日、明後日の二日間は忙しいぞ」


「そういえば、ビル爺」


「なんだ」


「私たちがいない間、この家はどうするの?」


「それは問題ない。リリーの親に頼んでおいた」


「え、リリーの親に!」


「どうしたルーク。リリーの家はここから近いし、儂もあの家族のことは信頼できる。まあ、簡単な防犯魔法をかけておくことになるし、金目のものは持っていくつもりだから、盗みに入るやつなど居ないと思うがの」


「そうなんだ……」



 ルークはまだリリーに旅に出ることを言っていなかった。それなのにもかかわらず、リリーの両親にビル爺が話してしまったということは、リリーは親伝いに話を聞くだろう。

 ルークが王都に行くということを。



「さあ、飯を食ったらさっさと寝るか。明日は朝から大忙しじゃ」


「分かった……」



 なんだかんだ久しぶりに旅に出ることになって、ビル爺は元気になっているが、その一方でルークの気持ちは落ち込んだままだった。



「眠れない」



 二階に上がり、自室のベッドにもぐりこんだルークであったが、一向に睡魔が訪れないようだった。いつもはほんの数分も経てば眠りに落ちていたのにも関わらず、今日は色々あったためかどんなに頑張っても、眠ることが出来なかった。



「ねえ、ノゾム。起きてる?」


「起きてるよ」



 私はベッドの横にある籠の中で丸くなっていた。何となく収まり心地の良い籠の中に、もう小さくなって使わなくなった冬着を入れてもらい、簡易ベッドのようにしてくれたのだ。


 そこで私も眠ろうとしたのだが、一向に私も眠気が訪れなかった。守護霊として宿主とリンクしているからなのかは分からなかったが。目をつぶるだけで、ぼんやりと今後のことについて考えていた。



「なんか大ごとになっちゃたね……」


「そうだな」


「ノゾムは怖くないの?」


「何が?」


「いきなり動物になっちゃったじゃん」


「まあ、私がルークの守護霊になった時ほどは驚きはしなかったかな」



 私は自分が狸になったことについて、多少驚きはしたものの、しっかりと心を落ち着かせることが出来ていた。

 12年前、私が守護霊になったときは全く知らない外国に拉致されたのかと思って、部屋の隅っこで小さくなっておびえたのだ。


 その時と違って、今回は周りは同じ環境だし、言葉も通じる。しかも、何となくだがルークの守護霊であるという自覚がまだあるのだ。その安心感があるからか、今回のことで恐怖を感じることはなかった。



「僕は怖かったよ。ノゾムが居なくなっちゃうかと思った」



 ベッドを見ると、ルークが瞳を潤ませていた。

 今朝のことを思い出したのだろう。突然いなくなった私を必死に探していたのだ。そして、その必死な声によって、私は目が覚めることが出来た。

 私は籠を抜け出し、ルークの元へとジャンプした。枕元に着地した私は彼の頭を、狸の小さな手で撫でた。



「本当に怖かった。人生の中で一番……」



 彼は眼に涙を浮かべていた。

 私はそんな彼の心をいやすように撫でた。せめてでも彼の心が癒されるように。



「もう、何も言わないでいなくなっちゃだめだからね」


「大丈夫いなくならないよ」



 よくよく考えてみると、私も怖かったのかもしれなかった。私が姿かたちを変えることで、彼の心が傷つくことを……。

 

 彼はもう十分傷ついているはずだ。


 これ以上の心の傷はいらない。こんな体になってしまったけれど、どうにかして私は彼を守りたいと思った。


 そんなことを考えていると、私の宿主様は睡魔がやってきたようだった。そんな彼を見ていると、次第に私にも睡魔がやってきた。

 

 いい夢が見られるだろうか……。

 さあ12年ぶりの夢を見ることにしよう。







 朝、目が覚めると珍しくルークは一人で起きていた。すでに寝間着から洋服に着替えており、朝の支度を完了していた。

 

 私は特におめかしするということもないので、この体に備わっている本能なのか、体をぶるりと震わせて、背すじをそらして伸びをした。



「おはよう、ルーク」


「おはよう」


「今日は早いね」


「なんか朝になったら目が覚めちゃってね……なんでなんだろう?」



 昨日のイベントのせいかは分からないが、ルークが朝に強くなったことは良いことだ。少々、毎日のルーティンであったルークを起こすということが出来なくなって悲しい面もあるが、彼の成長を祝うことの方が先だろう。



「ルーク、朝……だぞ……」



 勢いよく扉を開けたのは、ビル爺だった。彼もルークが一人で起きていることに驚いているみたいだった。まるでありえないものを見るような目をして、自分の孫を見ていた。



「ノゾム……おまえが起こしたのか?」


「違うよ、私が起こす前に起きていたみたいだよ」


「それは……なんと……」



 私の話を聞いても自分の孫を信じられないようだった。まあ、それもそのはずだ。この12年間彼が自分から起きてきたなんてことは、ほとんどなかった。本当に数えるぐらいしか自分で起きた経験がないのだ。



「そんなに僕が一人で起きるのがおかしいの?」


「いや、う、そのじゃな」



 朝起きるたったそれだけのことでビル爺を驚かせることが出来るのは、ルーク一人だろう。

 そんな私たちの反応を見て納得できないのか、ルークは頬を膨らまして怒っていた。



「おい、ノゾム。何があったんじゃ」


「分からないよ。昨日のことで何か気持ちが入れ替わったんじゃ……」


「もう二人とも、朝ごはん食べるよ」


 

 あーじゃない、こーじゃないと話し合う私達二人を置いて、ルークは一階へと降りて行ってしまった。

 ルークには失礼だったかもしれないが、それほど重要なことだったのだ。



「「「いただきます」」」


 

 私たちは声を揃えて朝食の挨拶をした。この掛け声は、何となく昔ルークに教えたものが常習化したため、今もいうようになった言葉だ。

 私の前には、昨日と同じような御芋と、昨日の残りだろうと思われるくず肉が焼かれておいてあった。



「美味しい?」


「ああ、美味しいよ」



 昨日から食べ始めた食事は、私の生活水準を大きく上げた。人間の食べるようなものではないが、ビル爺は私に出すものもちゃんと調理してくれるため飽きることは無かった。

 ホカホカの御芋の美味しさと言ったら、語りつくせないほどだった。そんな私を二人はあたたかな目で見守っている。



「それでじゃ、ルーク」


「何?」


「今日の予定じゃが……」





 ビル爺が今日の予定を話そうとすると、勢いよく玄関の扉が開いた。扉を壊さんばかりの勢いで開けたのは、リリーであった。

 リリーは挨拶もしないままに、どかどかと家の中に入ってくると、ルークの前に立った。



「ルーク! どういうことなのか説明して!」


「え、何が?」


「何がじゃないわよ。ルークあなた王都に行くんだって聞いたわよ」


「あっ」


「あじゃないわよ。なんで言ってくれなかったの?」


「いや、昨日決まったことで……」


「そんなの知らないわよ。挨拶もしないで行っちゃうつもりだったの? 町の外に出たら魔物だって出てくるのよ。死んじゃうかもしれないじゃない」



 リリーは泣きそうになりながらそう言い放った。この世界では、旅というのは危険な行為だ。

 前世のように電車もなければ飛行機もない。それに王都はここからとても遠いい、最短で片道三か月。歩いて鹿児島から青森に行くよりも時間がかかるだろう。

 しかも、この世界には魔物や盗賊なんてものもいる。安全な町の中ではなく、野宿することだってあるだろう。次の朝日を拝める確証はないのだ。



「リリー……」


「もう、知らない!」



 リリーはいうことだけ言うと、その俊足を生かし、風のように走って行ってしまった。突然のことでビル爺も私も何も言うことが出来なかった。

 


「ルーク。リリーに王都に行くことを言ってなかったのか?」


「言い出せなくて……」


「まだ出発には時間がある。行く前に別れの挨拶を済ませておくのじゃぞ」


「うん……」



 ルークは、リリーから言われた言葉で傷ついているようだった。昨日勇気を出せばとか思っているのだろう。


 そういう経験が彼をつくっていくのだ。私は自分の子供はいなかったが、年の離れた弟がいた。あいつも、こんなふうに傷ついていたのだろうか……。


 今となっては分からなかった。死ぬ前にもっと話しておくべきだと反省はしていた。


 そんなこんなで朝食を食べ終えて、旅立ちの準備に取り掛かったのだが、これが予想以上に大変であった。約10年前にこの町に来た時に使っていた、荷物入れ等が破損していたのだ。


 どうにか皮などを融通してもらい、直したが旅の途中で専門の人に直してもらわなくてはならなかった。


 他にも、保存食や寝袋といったたびに必要なもの。それに結界石に魔力を注入するなどといったことをしなくてはならなかった。


 結界石は、街の外で野宿する時に必須のものだ。簡易的な結界を張ることで魔物の襲撃から身を守るのだ。大型の魔物や、ドラゴンといった特殊な魔物には時間稼ぎぐらいにしかならないが、それでも必要なものだった。


 そんなことを一日中行っていたため、リリーに謝りに行くことが出来なかった。

 いや、正確に言うと謝りに行っても取り合ってくれなかった。今朝のことが相当彼女の心に響いたのかもしれなかった。

 

 リリーが部屋から出てこないことに、ルークは悲しんでいたが、用事が詰め込まれているルークは、リリーの母親に伝言を残し家に帰るのであった。

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