第4話

「それで、ノゾムはなんでそいつに乗り移ったのか分からないのじゃな」



 ルークが私に抱き着いた後、私は数時間の間、気を失っていたようであった。昨日、生死を彷徨っていたはずの肉体に憑依したのだ。強い衝撃を与えられれば、そうなるのも納得だった。


 ルークは私が気を失ったことで、私が死んでしまったと思い、更に泣いていたらしい。さっき見たよりも目の周りが赤く腫れ、鼻からはずるずると鼻水をたらしていた。


 そして、気を取り戻してからはずっと膝の上に私を置いて、胸に抱きしめていた。その様子は、大切なぬいぐるみを無くさないように抱きしめている幼子のようであった。



「分からないよ。昨日ルークを寝かしつけてからの記憶がないんだ」


「気がついたら、そいつに憑依していたということか……。全く面妖なことじゃ」


「ノゾムが居なくなってなくて本当に良かった」



 ルークはそういうとぎゅっと私を抱きしめる力を強めた。この数十年感じることのできなかった人間の暖かさが感じられた。

 そのほかにも、人間の柔らかさや、木の硬さ、風が吹く感触そのどれもが当たり前だが、懐かしいものだった。



「どうするか……」


「ずっとこのままでいいんじゃない?」


 ビル爺は真剣に悩んでいるようであったが、ルークは私が狸に憑依したことに対して、特に気にした様子は無いようだった。

 

 そんなのんきな孫に対して、ビル爺はため息をついた。



「そういうわけにはいかん。守護霊が実態を持つものに憑依するなど、聞いたこともない。このままいればどうなるか分からん。今は安定しているようだが、このままずっとこうだという保証はどこにもないからの」


「そうかぁ……」



 ルークは私を膝の上でくるりと回すと、じっと私の目を見てきた。いつもは上から彼のことを見ていたが、今回は下から見るのだ。なんとも、不思議な感覚だった。



「ノゾムはどうしたい……?」


「私は……」


 

 私はどうしたいのだろうか。この世界では半分ぐらい幽霊のような生活を送ってきた。そんな私が肉体を手に入れたのだ。本来うれしいはずなのだが。



「なんと言えばいいのか分からないけど……なんか慣れないな」


「そうなんだ……僕は良いと思うけどな……」



 ルークの手がわさわさと動いて、私の背中や首をなでてくる。狸に憑依してしまったからなのか、今まで感じたことのない気持ちよさを感じた。

 なんという魔力なのだろうか、ルークの手によって私は溶かされていくようだった。



「教会に行ってみるか……」


「教会で何かわかるの?」


「それは分からないが、ここらへんで一番守護霊のことについて詳しいのは、神父様じゃ。他に当てもないことだし、聞いてみるしかなかろうて」


「そうだね」



 いつもルークに教えているこの町でただ一人の神父は、人格者で知られている。そして、その教養の深さから町の人から一目置かれているのだ。

 昔は王都にある教会で神父をしていたと言っていたが、なぜそんな人が、この王国で最も栄えている王都から一番離れている、この最果ての町にやってきたのかは、誰も知らなかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「この動物の中にルークの守護霊が……」



 この街で一番大きい建物である教会の一室で、私を探るように見つめる神父の目は鋭く光っていた。私の身体の隅々まで観察し、時には触り、時には嗅ぐことによって情報を集めていたのだ。



「本当に興味深い……」


「神父様、ノゾムは元に戻りますか?」


「うーむ……確認だが、彼はもともと人間の守護霊なはずだったと思うが、違うかね?」


「はい、それであっています」


「うーむ……」


 

 神父はうなりながら私の瞳を覗いてくる。

 まじかで見る神父の顔は、いつもと違って見えた。いつもは、厳しさの中に暖かさを持っていると思うような柔らかな顔をしている。しかし、今は厳しい目で私を見つめていた。



「申し訳ないが、私も守護霊が何かに憑依したという話は聞いたことがない」


「そうですか……」


「何か分かる事は無いかの……」


「んー。少々お待ちください」



 そう言うと神父は部屋の外に行ってしまった。

 初めて見る神父の表情に何か感じたのか、ルークはおびえたような声でビル爺に話しかけた。



「ねえ、大丈夫だよね」


「ああ、大丈夫だよ。神父は儂の長い人生の中で、儂が知る最も賢い者の一人じゃ。彼に手がかりが掴めぬのなら、儂にはお手上げじゃよ」



 ビル爺は神父を信じているようだった。それもそのはずだ、私も彼のことは信頼している。私たちが王都にいたときに、私の精神を安定させるのに一役買ってくれた御仁だ。


 彼のことを信じているし、もし彼が分からない事だったとしても、何かしらのことを私たちにもたらしてくれるだろう。



「お待たせして、すみませんでした」



 そう言って部屋の中に戻ってきた神父の腕の中には、大きな本が一冊あった。それは見覚えのある本であった。



「それは、聖書か?」


「はい、といっても今は使われていない古い聖書ですが……」


「なんで今は使われていないの?」


「それは、今は使われていない文字で書かれていたからだよ。それにその解釈によってさまざまな分派がうまれてしまったから、一時期禁書として扱われていたんだ」


「そんな本をなんでお前が持っておるのじゃ?」


「お師匠様から頂きまして……」


「あいつか……」



 どうやらビル爺は、この神父の師匠のことを知っているようだった。私も、昔一度だけ見たことがあるが、どんな姿だったかすらも今は思い出せない。

 そんな事よりも重要なことは、聖書の中身だ。



「このページです。ここには守護霊のことについて書かれています。そして、そこにはまるで守護霊が実体をもっているかのように書かれているんです」


「じゃあ、昔は守護霊って言うのは実態を持っていたということか?」


「分かりません。私は、今までこの箇所は、比喩だと思っていたのです。魔法で実体があるかのように扱えるようになるという。人型の守護霊は念力などを使って、物を動かすことが出来るでしょ。そう言うことの例えとばかり思っていたのです」


「実体のある守護霊か……それで、お主はこれからどうすればいいと思う?」


「とりあえず、王都に行くことをお勧めします」


「王都か……」



 ビル爺は、その言葉を聞いて苦虫をかんだように顔を歪ませた。そんな顔を見て、神父は言葉をつづけた。



「ここでは分かる事に限りがあります。できるなら、王都の大聖堂にある中央図書館で調べてみるしかないと思います。あそこで調べて分からないことはほとんどありませんから」


「分かっているのじゃがな……」



 ビル爺は何かあきらめたように首をがくりと落とすと、ルークの方を見た。



「王都には16歳になったら戻る予定だったのだが……仕方がないか……」


「それしか、私の考えつく範囲で方法はありません」


「分かった。王都に行こう」



 バシンと膝を叩くと、ビル爺は勢いよく立ち上がった。ルークはびくっと体を震わせると、立ち上がったビル爺を見て、いそいそと私をもって立ち上がった。



「ちょっとお待ちください」


「なんじゃ」


「もし、ビル様が王都に戻られる際には、この手紙を渡せと師匠から言いつけられていまして」



 そう言うと懐から一通の、封のされた手紙を取り出した。封筒に使われている紙を見るだけで、上等なものだとわかるほど質のいいものであった。



「あいつからか……」



 ビル爺はそういうと、手紙を無造作に開けた。中身を鋭い目つきで確認すると、懐にしまった。



「手紙の中身は了承した」


「ありがとうございます。できるだけ早く行動されたほうがよろしいかと思います」


「16歳まで3年しかないからな」


「そうです。16歳までに憑依を解除できなければ何が起こるか想像もつきません。最悪は……」


「分かっておる。そんな結末には儂がさせん」



 任せておけと言わんばかりに厚い胸板を自分の手でたたくと、ルークの方へと顔を向けた。



「ルーク、王都へ行く必要が出来た。できるだけ早く用意をして出発するぞ」


「それってどれくらいかかるの?」


「わからん。最短で1年はかかるじゃろう。もっとかかるかもしれぬから、リリーや友達に挨拶をしてきなさい」


「そんなにかかるの?」


「王都まで、寄り道をしなくてはならぬから遠回りで行くことになる。行きに6か月、帰りに3か月。調べものにも時間がかかるじゃろう。全く、わざわざ辺境に来たのが裏目にでたわい」


「そうなんだ……」



 ルークは、ビル爺の言葉を聞いてうつむいてしまった。仲のいい友人から離れてしまうのが悲しいのだろう。幼いころに私も、親の都合で転校した経験があったから彼の気持ちは痛いほどわかった。



「なーに。一生の別れじゃないのだ。また会おうって言えばいいのじゃ」


「それでいいの?」


「まあ、1年という期間はルークにとっては長いかもしれんが、新たな出会いが待っているかもしれんぞ。小さい時にこの街に来たから、王都のことなど覚えてないじゃろ」


「うん」


「それに王都に行けば、婆さんに合うこともできる。数か月ごとに送ってくる手紙でも、会えなくて悲しいって書いているからな。いい機会じゃろうよ」


「そっか。お祖母ちゃんに会えるんだ」


「そうじゃ。おそらく婆さんも喜ぶじゃろうよ。喜びすぎて騒ぎにならなければ良いが……」



 最後に不安なことを思い起こさせることを言っていたが、何とかルークを説得したようであった。ビル爺の話を聞く前は不安そうな顔だったが、今はある程度改善された。



「そうと決まれば、早速準備をせねば。神父よ、助けていただきありがとうございました」


「ありがとうございました」


「あなた達の旅が、良きものになることを願っています」



 神父に別れを告げ、私たちは二手に分かれた。ビル爺は旅に必要なものを買いに、私とルークはお別れを告げに行くことにした。


 数十分ほど歩き、いつもみんなで遊んでいる広場までやってきた。そこには、どこからか持ってきた木剣が転がっていた。

 そして、そこにはルークの友達がいた。ルークはいつもならすぐに声をかけるのに、何かを堪えるようにして、輪の中に入っていった。



「おはよう……」


「あ、おはようルーク。どうかしたのか?」


「眠いんじゃないの?」


「そうだったらルークらしいや」



 ルークが体調を崩すときは眠りが浅かった日と相場が決まっていた。眠たそうに眼をこするルークの姿はみんな見飽きていたのだ。


「あ、何それ?」


 一人の子供が私の方を指さしてきた。私は流石にしゃべると騒ぎになるだろうかと思い、黙ってルークの腕の中で丸くなっていた。

 

 そんな私が気になったのだろう。変化の乏しいこの町で、見たこともない動物を連れてきたのだ。注目されないはずがなかった。



「それどうしたの?」


「あ、これは……」


「触っても良い?」


「う、あ……」



 まだ小さい子供たちは、一斉にルークに群がり、返答を聞くこともなく、私を腕の中から取り上げてしまった。

 四方八方から私の身体を触ろうとする手から与えられる感触は、気持ちいということは無く、むず痒いものだった。私は、そのむず痒さをどうにか耐えるために必死に頑張っていた。



「だめよ。手を離しなさい」


「はーい」



 子供の好奇心という猛攻に耐えていた私は、一人の少女に助けられた。

 そう、彼女はリリーだ。



「この子は昨日道で助けた子なの。あんまり騒ぐと傷が開いちゃうわ」


  

 そう言って、もみくちゃにされて乱れた毛を優しく撫でつけてくれた。いつも自宅にいる犬をなでているためなのかは分からないが、ルークに撫でられたとき同様、うとうとしてしまいそうになるぐらい気持ちが良かった。



「はい、ルーク」


「あ、ありがとう」


「その子だいぶ良くなったわね……ん、何かあったの?」


「いや、なんというか……その」


「変なルーク。そういえば、もうすぐ春ね」


「う、うん」


「春って言ったらお花よね。去年見つけた、いろんな花が咲くの場所が咲く場所があるじゃない、今度一緒に行かない?」


「う……うん……」


「どうしたの、具合でも悪いの?」


「いや、そんなことないけど」


「じゃあ、遊びましょ!」


 リリーはルークの手を取りみんなの和の中に入ってしまった。

 私は木の下に置かれて、隣にはリリーの守護霊のケビンが寝っ転がっていた。



「これじゃ、お別れを言うことはできないな……」


「ワン」



 隣にいるケビンは、そんな私の小声を聞いていたのか、返答をするように吠えた。そんなケビンに寄りかかりながら私はうとうとと眠りに落ちるのであった。

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