第3話
結局リリーはルークの家の前までついてきた。ルークが家の前まで急ぐのか心配だったのだろう。
狸を抱えたルークが途中止まろうとすると、発破をかけて止まらないように急がせたのだ。
呼吸を荒くして、家にたどり着くと勢いよく扉を開けた。
「ビルお爺さんいらっしゃいますか?」
「おお、いるぞ。リリーもいるのか、どうかしたのか?」
「この子を助けてください」
「ん?」
ビル爺は、ぜぇぜぇと肩で息をしているルークの腕の中にいる狸を見た。奇妙なものを見るような目でそれを見ると、ビル爺はルークの腕の中から狸を受け取り、テーブルの上に置いた。
「なんだこの動物は?」
「えっと……」
「それは狸だよ」
「そう、狸よ」
「ふむ……」
ビル爺は狸をなめまわすように見ると、息を吐いた。
「助かるのビル爺?」
「手当すれば大丈夫だと思うが……」
「じゃあ、早くしましょう。何をすればいいの?」
「ああ、リリーは水を汲んできてくれんかの。ルークは奥から包帯と薬箱を持ってきてくれ」
「「分かった」」
ビルに言われた通りに二人は駆け足で行動した。リリーは家の外にある井戸に向かい、ルークは部屋の奥に行ってしまった。残されたビル爺は興味深そうに狸を見ていた。
「どうしたのビル爺」
「いや、この狸といったか。このような獣は見たことがない……」
ビル爺は狸を見たことが無いようだった。昔は色々なところを旅していたというビル爺でも見たことのない動物らしい。
てっきりこの世界にも私が見たことのないだけで、狸がいるものだとばかり思っていたが、ビル爺の経験をあてにするならそれは間違いなのかもしれない。
「しかし……」
「しかし?」
「いや、昔どこかで見たことあるような気がしてのう……どこじゃったかのう」
「水汲んできたわよ」
「薬も持って来たよ」
「二人ともありがとう」
悩んでいたビル爺だったが、二人が戻ってきたものを見てなにやら思い出そうとしている顔をやめ、普段の顔に戻り狸に処置を施していった。
水でお腹の傷を洗い、薬液を塗り込ませ魔法で傷をふさぐ、後は包帯を巻いて終わりだ。
途中簡単そうに行っていた回復魔法だが、この魔法は割と難しくて、ビル爺から教えられて私が出来るようになるまでに3年の時間を要した。ビル爺に言わせてみれば、3年という短い時間でできるようになるのは珍しいらしく。本来はもっと時間のかかる魔法であるらしかった。
「あとは安静にさせておけ」
「ありがとうビル爺」
「別に大したことは無い。しかし、これ以上儂が出来ることは無いから、後はこいつの頑張り次第じゃな」
「それでもありがとう」
孫から感謝されて、ビル爺は嬉しそうにしていた。なんだかんだ孫に甘い爺だ。
「じゃあ、私は帰るわね」
「送って行こう。さっき魔獣を見たという報告が届いてな。昼だから大丈夫じゃと思うが、ここは町のはずれだから万が一を考えるとな……」
「ありがとう、ビルお爺さん」
「うむ。ルークはその狸とかいう動物を見ておれ」
「分かった」
ビル爺はそう言うと、リリーを連れて外に出て行ってしまった。残されたルークは椅子に深く座ると、籠の中で寝ている狸に目を向けた。薬が効いているのだろう、さっきまでは痛みをこらえるような顔をしていたが、今は穏やかな顔をしている。
「ねえ、ノゾム」
「ん?」
狸の顔を見ながら、先ほどビル爺が言っていたことを頭の中で考えていた私は、ルークの言葉をよく聞いていなかった。
そんな私をルークはぼんやりと見つめる。彼の眼は不安に彩られていた。
「助かるよね……」
「助かるよ、絶対に……」
私は彼の目をちゃんと見返すと、しっかりとした口調でそう返したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
太陽が地上を照らし、人間が外で活動する時間が終わりを迎えた。日が陰り、月が替わりに地表を照らす暗闇の時間がやってきたのだ。
夜になると森の外では、小型から大型まで様々な種類の魔物が姿を現すようになる。夜は魔物の時間なのだ。
まだ産まれたばかりの魔物は太陽の光を浴びることで死んでしまう。そのため、そういう魔物は夜の間に活動するのだ。もちろんそう言った小型の魔物を目当てに大型の魔物も徘徊するようになる。
そして、大型の魔物が確認されたこの町には、普段よりも堅固な防御結界が張られ、絶対に魔物が入ってこられないようになっていた。
「そろそろ寝る時間だぞ」
夕食の時間を終え、ルークは大きなあくびをしていた。今日は一日けがをした狸の面倒を見ていたのだ。ルークにとってそれは非常に疲れることだっただろう。
大きなあくびをしたルークを見て、ビル爺は寝るように促した。いつもの寝る時間にはまだ早いが、今日一日の疲れを鑑みてのことだろう。
「ねえ、ビル爺」
「なんだ?」
「今日守護霊のことについて勉強したんだけど……」
「守護霊がどうかしたか」
「守護霊ってなんで16歳の誕生日に消えちゃうの?」
ルークは思いついたかのようにビル爺に質問した。
ルークが16歳の誕生日を迎えたら私は消えてしまう。それは覆しようのないことだ。この世界に産まれた守護霊の絶対の宿命。私がこのことを受け入れるのに長い時間を要したが、今ではその時までを大切に過ごそうと思っている。
「なんで消えるかか……」
「だって、別にずっといてもいいじゃん。僕はずっとノゾムと一緒にいたいよ」
「ルーク……」
「僕は、誰にもいなくなってほしくないんだ」
両親のいないルークは、私のことを本当の家族のように思ってくれているのだろう。この世界で誰からか産まれたわけでもない守護霊の私を、そう思ってくれるのは嬉しい事だった。
「ルーク。人には出会いと別れがあるのじゃ」
「でも……」
「儂も、ルークぐらいのころ同じように思ったもんだ。守護霊と離れたくないと……」
ビル爺はどこか遠くを見つめていた。それは遠い過去を見ているようだった。
「ルーク、守護霊がいなくなると。わしらは神々からギフトが与えられる」
「うん」
「儂も、昔ギフトなんていらないから守護霊を残してくれと、その日が近ずくと毎晩神々に祈ったもんじゃ」
ビル爺は祈るように手を組むと、目をつぶった。ルークはそんなビル爺を真剣な眼をしてじっと見つめた。
「儂だけじゃなかった。ルークの両親も、ばあ様もみんなそうじゃ。その日がやってくるのを皆怖がるんじゃ。怖くないものなんておらん。今でもその怖さは覚えているぞ」
ビル爺はゆっくりと手をほどくと、ルークの小さな手を握った。まだ子供の手だった。酸いも甘いも経験していない幼い手だ。
「そうしてその日がやってくる。皆が嫌う16歳の誕生日じゃ。儂の両親は優しい目で儂を見ていたよ。そしてその時がやって来た」
ビル爺はゆっくりと私の方を向いた。その目は優しさに満ち溢れていた。
「守護霊が消える時、今まで見たことのない安らかな表情をするんだ。苦しみがなく、辛い事もない心の平穏を手に入れたような顔じゃ。そして、すっと儂の中に何かが入ってくるのを感じるんだ。それは感謝だったり、儂のことを心配する温かい気持ちだったり、様々なものだ。どれも忘れられない宝物よ」
「悲しかった?」
「ああ、悲しかったとも。15年間一緒にいた友が消えるのだ。そりゃ悲しかった。でも、今でも儂の中にあいつを感じるんじゃよ」
「今でもいるの?」
「そうだ、儂の中にずっとおる。話すこともできないし、触れることもできん。しかしここ《心の中》にまだ居るってことはわかるんじゃよ」
「そうなんだ……」
「その時がやってくるまで、ノゾムとたくさん会話をせい。ほら寝る時間じゃ」
「うん、お休み」
「お休み」
ビル爺の話は興味深いものだった。ビル爺の守護霊は彼に大切な思い出を残した。それに比べて私は、後三年でルークに何を残せるだろうか、前世では何も残すことのできなかった私がだ。
前世では病気が見つかったと思ったら、数か月で死んでしまった。本当は次の春から病気を治す側になるはずだったのに、私は誰を治すこともなく死んだ。夢をかなえることもできず、ただただ自分の無力さに打ちひしがれ、親に恩を返すことのできなかった自分が一体ルークに何を残せるのだろうか。
ルークの方を見ると心が温かくなる。
今では、ベッドに上で寝ようとしているルークのことが何よりも愛おしかった。本当に、産まれてきてからずっと彼の側で成長を見守ってきた。初めてハイハイした時も、立った時も、彼が初めて私の名前を呼んでくれた時もすべて覚えている。
健康そうな肌に、この地域では珍しい黒髪。背はちょっと小さいが、数年も経てばビル爺のように大きい男になるだろう。私はその先を見ることはできない。この12年で、私の2度めの人生が15年で終わるということは納得することが出来たが。その後が見れないのが悲しかった。
「ノゾム……」
「なんだ?」
私はルークの髪をそっとなでた。ちょっとくせっ毛のこの髪を優しく撫でるのは、彼が寝るときの日課だった。
「明日も、一緒に話そうね……」
「そうだな。いっぱい話そう……お休みルーク」
「お休み、ノゾム……」
ルークはゆっくりと瞼を閉じた。数分もすると寝息が聞こえ始めた。
私も、瞳を閉じて考えるのをやめよう。真の眠りにつくことはできないが、心を落ち着かせることはできる。
……後から思い返してみればこの時私は、もっと今日のことを考えておくべきだった。三年しかない残りの人生を、ルークのことを、ビル爺のことを。そして、今日保護した狸のことを。何故狸がこの世界にいるのかを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おい……ムはどう……た?」
「いな……った」
眠い……。
ここは深く温かい海の中にいるようだった。
重力が私の身体を包み込み、私を深い海へと引きずり込んでいく。
「じゃあ……」
温かい海は遠い昔に感じたものだ。
沖縄で体験したどこまでも青く透き通った暖かい海のようだ。
そこはとても懐かしく、日本を思い起こさせる。
「じゃあ、どこにいったんだよノゾムは!」
私はその言葉で、深い眠りから勢いよく引き上げられた。体を起こすとそこは明るい世界だった。
太陽の光が私の視界を奪った。真っ白に染め上げられた世界は、次第に色を取り戻していく。
どうやらここは居間のようだ。何やらビル爺とルークが言い争っている。ルークは両目を赤くはらし、言葉をビル爺に投げつけているようだ。ビル爺も焦っているようで、どうにかルークを落ち着かせようと頑張っている。
「どうかしたのか、二人とも」
私が二人に声をかけると、二人ははっとして周りを見渡した。何か大切なものを無くしたのだろうか。
「ノゾムどこにおる!」
「どこにいるの~」
ビル爺はどこか焦っているように、ルークはさんざん泣いて枯れた声を大にして私を探している。私はなぜ二人が、そこまでして私を探しているのか分からなかった。
「私はここだよ」
私が言葉を発すると、二人は両目をまん丸にして私を見てきた。
彼らは何をそんなにびっくりしているんだろうか。
そう、いつも通りの私じゃないか。そう、毛皮が綺麗な……。
「え、狸になってるーーー!」
そう、私は昨日助けた狸になっていた。
昨日綺麗にした毛皮にずんぐりむっくりボディ。誰がどう見ても私が狸だ。
「ノゾムーーーー!」
「ぐえっ」
ルークは私を見つけると勢いよく抱き着いてきた。今までの大人の身体なら受け止めることが出来たが、今の身体ではそれは不可能だった。
今までまだまだ小さいと思っていたルークの身体は、狸の身体に対し強い衝撃を与えるのには十分だった。
「ルーク……大きくなったな……」
「ノゾムーーーー」
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