死因

ナタデココ

死因

 ──唐突だが、私には自分にしか見えない『友達』がいる。


 それは簡単に要約してしまえば『幽霊』なのだという、そんな余りにも非現実的な『友達』で。


「ねえユイ、この人寝惚けてノートに落書きしてる。猫の絵かな? すっごく可愛いよ!」


「……はいはい」


 私が板書を見る視界の端で『彼女』は今日も楽しそうに飛び跳ねていた。


 白い髪をした、不思議な少女だった。

 丈の長い白色のワンピースを着ていて、髪の色も白一色で。


 まるで陰影のついていない雲のように清々しく晴れ渡っている彼女の無邪気そうな顔には、それ故に特徴的な二つの青色の瞳がいつも好奇心色に揺れている。


 初めて私と彼女が出会った時、そこは学校だった。


 私は大事な数学の課題を教室の机に忘れてしまって、半分ほど帰りかけていた道を戻ってわざわざもう一度学校へと出向いたのだ。


 教室の扉を開けたそこに、彼女はいた。


 白い髪をした少女、しかも制服を着ていないことから明らかにこの学校の者ではなかった。


 唖然とした私が何を言おうか迷っている間、咄嗟に口を開いたのは彼女からだった。


「私は君にしか見えない幽霊なんだ」


 そう、ハッキリと私の目を見て言っていたのを今でも覚えていて──。


「じゃあ……ここを二十五番の人、音読してくれる?」


「あっ……はい!」


 担任でもある国語の教師に出席番号を呼ばれ、私は慌てて教科書を持ち直す。


 ……マズイ、今何処の場所をやっているのだろう。


 考え事をしていてまともに話を聞いていなかった。

 教師に不審がられることを覚悟して、音読すべき箇所を尋ねるべきだろうか?


 そこまで考えた私は、焦燥に塗れつつ恐る恐る教師の顔を見たのだが。


「ユイ、ここ。『その上、今日の空模様も』から」


「……その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下がりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない」


「はい、結構。それじゃあ次、二十六番の人」


 ……助かった。


 隣で素早く助け舟を出した少女は自慢げに頬を緩めて私のことを見つめている。

 まるで『褒めてくれ』とでも言わんばかりに。


「……ほら」


 私はノートに『ありがとう』と小さく文字を書いて机の右隣に立つ少女に見せる。


 すると少女はその言葉がよほど嬉しかったのか、青色の瞳を二回ほど瞬かせると、まるで星のように表情を煌めかせて満足気に微笑んで。


「私がやりたくてやったことだもん。でも、きちんと授業は聞いた方がいいよ?」


「……君がいるから集中出来ないんだって」


 ほんの少し言い訳がましくなってしまったが、それもその通りのはずだ。


 授業中、彼女は色々な生徒の机を見回っては『ユイ!面白いものがある!』などと何度も報告をしてくる。


 高校二年生という受験シーズンも相まって、授業に集中しなければならない反面、私も他の生徒がどのようにして授業を受けているのか全く興味がない訳ではないから嬉しそうに声を上げる彼女をほんの少し楽しみに思ったりもしていて。


「面白いもの探しに行ってこよーっと」


 少女は私の近くにいるのが飽きたのか、再び他の生徒の机巡りへと赴いて行った。


 その後ろ姿と誰かの教科書の音読の声をぼんやりと聞きながら、私は考える。


 ──彼女は、一体どこの誰の幽霊なのだろうと。


 二か月ほど前に少女と出会ったものの、まだ名前を聞かされていなかった。


 それは『幽霊としてのルールだから』と、彼女は厳しく言っては固く口を閉ざしていたのだ。……私とのルールは片っ端から順番に破っていく癖に。


 死後の世界がどうなっているかなんて、今を生きている私には見当もつかない。


 よく『未練の残っている魂は成仏しきれずに現世に留まる』なんてことを耳にしたりもするが、どうにもあの無邪気な少女に未練なんてものがあるようには見えない。


 だが、一つだけ。──あの特徴的な白色のワンピースに白色の髪、青色の瞳という不思議な容姿は、どうやら生前のものとは違うらしいということは知っていた。


 何故なら、彼女の生前は日本人で、普通の女子高校生だったと聞いたからだ。


 死因は聞こうにも聞けていないが、いつか聞くことが出来るのなら聞いてみたいな、なんて思っている。


 もしくは、彼女が話したがるまで待とう。

 いつも無邪気で楽しそうな彼女の寂しそうな顔なんて見たくないから。


 掴みどころのない人間だった。


 頭は良い……のだと思う。先程みたいに他人の机巡りをしながら大して授業に耳を傾けていなくても大体の流れが掴めたり、私が数分間頭を悩ませていたはずの数学の問題をたったの数秒で丁寧に解説してくれたりもしたから。


 それも、高校二年生のかなり難しいタイプの数学の問題を、だ。


 彼女は恐らく、私よりも歳は幼いのだと思う。

 それは口調からも容姿からも分かる事だ。


 もしかすると彼女は幼女時代に死んでしまい、生前とは違う死後の姿だけが徐々に成長しているのかもしれない。はたまた実は私よりも年上で、けれど幽霊としての姿は幼いように設定されているのかもしれない。


 考えれば考えるほど謎が深まる少女の存在。

 それから『幽霊』という存在についてや、死後の世界。


 もっと知りたいと思ってしまうのは、何故だろう。


「──あ、もう授業終わりだ」


 ふと、そんな陽気そうな少女の声がしんと静まり返った教室内に響いた。

 その声を聞いて私も目線を上げる。


 すると、それとほぼ同時にチャイムが鳴って。


「あれっ、もしかして今の国語の時間って六限? じゃあじゃあっ、今日は木曜日で部活も無いしこれで授業終わりだね! 一緒に帰ろう、ユイ!」


「……分かったから」


 他の人にバレない程度の声の大きさで返答して私は頬を緩める。


 ……全く、何処までも人懐っこい子だ、この子は。


 ************************


 帰り道。


 ただ歩いているだけだというのに楽しそうな少女の幽霊と私は、若干オレンジ色に染まりつつある歩道を静かに歩いていた。


「あ、お花!」


 途中、道端で少女が何かを見つけたらしく立ち止まって座り込む。


 私はまたかと視線をずらし、自分の少し後ろの方でうずくまっている彼女に呆れ調子でため息を吐いて。


「……朝も同じ花見てなかった? そんなにその花好きなの?」


「うん。だってほら、心が落ち着くでしょ?」


「そんなに気になるなら引き抜いて持って帰ればいいじゃない」


「ああっ、そういう道徳心のない行為は良くないんだよ! お花だって頑張って生きてるんだから! 枯れたらまた『あの世』の川の向こうで裁判受けるんだよ!」


「川の向こう……それって、三途の川みたいな? まあいいや、ほら、早く家に帰ろう。今日は夜ご飯が早いって話だから……」


 軽く促して、私は再び歩き始める。

 するとその数秒後に後ろから少女がついてきて。


「ねえユイ」


「なに?」


「私たち、今日で出会ってちょうど二ヶ月なの。知ってた?」


「……そこまで正確には覚えてなかった」


 そろそろ『幽霊』だとかいう非日常な存在と出会って大体二か月くらいかとは思っていたが、まさかピッタリ二か月だったなんて。


 逆によく覚えていたなと私は心の中で少女へ向けて感心する。


 ──時刻は夕暮れ。


 歩道のレール外では何台もの車が行き交っていて、だがそんな騒々しい場所でも、一際『幽霊』という異質な存在である彼女の声は響く。


「だからね、二か月記念に私、ユイにお祝いしてあげたいなぁって」


「お祝いって……貴方が私にするの?そういうのって普通私からするものじゃ……」


「まぁ細かいことはいいの! 私がユイにお祝いしたいんだから!」


 いつものように不思議なことを口走ると、彼女は一体私に何がしたいというのか、ゆっくりと歩く私よりも先に走っていってそこで待ち構えるように立ち止まった。


 そして左方向を向いて──今にも落ちかけている夕日を、まるで遠い己の過去を懐かしむように眺めて。


「だから……お祝いにね、私の名前。教えてあげるよ」


 少女の幽霊は、少女に向き合う形で止まった私にそう告げた。


 ようやく聞かせてくれるのかと、私は表情には出さないものの胸中で静かに喜ぶ。


 ようやく彼女のことを『貴方』や『君』だなんて言い方をせずにすむのだと。

 ようやくこれで、彼女ともっと絆を深め合うことが出来るのだと。


「私はね、ちょうどこんな夕暮れに死んだんだ」


 最期に見た夕日が綺麗だったんだと、目の前の少女は補足する。


 そして、言った。


「──あの時の音読の文章、懐かしかったなあ」


「音読?」


「そう。羅生門の『Sentimentalisme』がある所。先生ったら二か月前と同じところを音読しろって言うんだもん。もう嫌で覚えちゃったよ」


 相変わらず意味の分からない事を言って困ったように笑った少女に、私は状況が理解できず黙り込むが、早く彼女の話の続きが聞きたくて構わず首を縦に振り。


「やっぱり、君って高校生だったんだね。授業進路が近い……って事は、もしかして君って意外と私の家の近くに住んでたりして──」


「次は貴方の番だよ、ユイ」


 少女は柔らかに微笑むと私を道路へと突き飛ばした。


「私の名前はユイ。──今日、今と同じこの夕暮れ時に死んだの」


 いつもと変わりない微笑みを浮かべて、少女は嗤う。


「誰でもない、貴方に突き飛ばされて殺されたの」


 大型トラックの迫りくる音が耳にジン、と響く。

 

 最期に見た夕日は、とても綺麗だった。


 ************************


 私は風に靡くカーテンを見つめる。


 皆が帰った教室の中で、白色のワンピースと白色の髪を靡かせて私は待ち続ける。


 後ろから二番目、右列から三番目の机の上に一枚のプリントが置かれていた。


 もう時期、彼女はここへ来るだろう。

 ──大事な数学の課題を学校へ忘れたと、焦りながら。


 教室の扉がガラリと開いた。


 そこに立っているのは、黒色の髪をした、至って普通の女子高校生。


 その女子高校生は目の前にいる不思議な少女を見て唖然としている。

 私は『私』を安心させるように微笑むと、彼女よりも先に口を開いた。


「私は君にしか見えない幽霊なんだ」


「……幽、霊?」


「そう。『ルール』があって名前は教えられないけど、死んじゃったの」


 彼女に似せるように、彼女を真似るように言う。


 そうだ、きっと。


 目の前にいる女子高校生は、私のそっくりさんでも、私に驚くほど似ている別人でもなく……紛れもない『私』なのだろう。


 ──さっき私をあの歩道で殺したのは、私だった。


 姿の変わった私。

 幽霊となり、既に死んだはずの私。


 彼女もまた『私』に殺されたのだろう。

 そしてそんな『私』が憎くなって、今を優美に生きている私を殺す。


 そうして、その私が自分を殺した『私』を恨んで、また殺すのだ。

 そうして、永遠に終わりの見えない『私の人生』が完成するのだ。


 まるで、陰影のついていない雲のように──。


「──貴方の名前は?」


 にこやかに微笑んで私は女子高校生である『私』に尋ねる。


 それはもう、私にとっては既に分かり切っている答えだというのに、目の前の『私』は少しだけ黙り込んで静かに呟いた。


「私の名前はユイ」と。


 ああ。


 あの時、あの時間。


 ──私のことを突き飛ばした『私』の声と瞳にそっくりで私は嫌気がさした。

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死因 ナタデココ @toumi_yuki

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