彼氏が浮気してる気がするので旅行に行くと嘘ついて部屋に突撃してみた。
夕藤さわな
第1話
玄関のチャイムを鳴らす。バタバタとにぎやかな足音が聞こえてきた。
「……はーい!」
玄関ドアがガチャリと開いて、大樹がのんきな笑顔を見せた。
でも――。
「こんばんは、
来訪者が千紗だと――友達と一泊二日で旅行に行くから今週末は会えないと言っていたはずの付き合って五年になる彼女だと気が付いて、大樹は笑顔のまま凍り付いた。それを見て、幽霊のように暗い顔をしていた千紗の目に涙が浮かんだ。
二十代後半にしてはちょっと丸めの体型をしている大樹。付き合い始めた頃はすらりとした体型だったのに、最近、実家を出て一人暮らしするようになってから急激に体重が増えた。
栄養が偏っているのだろうか。
運動不足だろうか。
なんて、観察しているうちに気が付いたのだ。
料理するときに使おうと千紗が買って、冷蔵庫に入れておいた卵やキムチ、とろけるチーズがいつの間にかなくなっている。非常用にと箱買いしておいた赤いきつねと緑のたぬきの減りも早い。
もしかして……でも、まさか……。
ぐるぐると渦巻く疑念に耐えられなくなって、千紗は友達と一泊二日で旅行に行くなんて嘘をついたのだ。
「お邪魔します!」
「ま……待って、千紗!」
罠を張ったのだ。
慌てて止めようとする大樹を押しのけて千紗は部屋へと飛び込んだ。一人暮らし用の広くはない部屋に置かれたローテーブル。その上には赤いきつねと緑のたぬきが一つずつ、計二つのカップ麺があった。
白い湯気が昇っていて、鰹節と昆布のだしが利いたつゆの美味しそうなにおいが部屋中に漂っている。味の染みた大きなお揚げも、サクサクの小えび天ぷらも、どちらも食べかけだ。
二つのカップ麺がどちらも食べかけの状態で置いてある。
人の姿こそないけれど、これはつまり――。
「千紗、ごめん。どうしてもどちらかに決められなくて……!」
頭を下げる大樹を千紗はキッ! と睨みつけた。目に涙を浮かべ、大樹の胸を握りしめた拳で叩いた。
「ひどい……なにそれ!」
「……そうだよね。千紗はずっと俺のことを心配して色々とやってくれてたのに」
「私がいないから……旅行に行ってるからバレないだろうって、こんなことするなんて……!」
「本当にごめん! 千紗が低カロリーな料理を作ってくれたり俺のために頑張ってくれてたのはわかってたのに……我慢しようって思ったのに……でも、俺、優柔不断で決めきれなくて……結局、ダメだったんだ! ごめん!!」
勢いよく頭を下げた大樹を見つめて、千紗は震える手で口元を押さえた。
勝手に浮気だと思っていた。
でも、もしかして――。
「隠しててごめん。ずっと千紗に言わなきゃ、相談しなきゃって思ってたんだけど……でも、勇気が出なくて」
「それって本気
「本気
「病院!?」
仕事用のカバンからA4サイズの封筒を取り出す大樹の背中を見つめて、千紗は膝から崩れ落ちそうになった。
それって、つまり――。
「相手の人を妊娠させちゃったってこと?」
封筒から出てくるのはエコー写真に違いない。
「え……?」
千紗がなんと言ったのか聞こえなかったのだろう。大樹はきょとんと首を傾げた。のんきな大樹の顔を見ているうちに、また腹が立ってきて千紗は目を釣り上げた。
「どうするの?」
「……どうしよう」
「どうしよう……じゃないでしょ! 大くんの優柔不断! そんな大変な状況なのにまだ選べないなんて最低! いっそ千紗と別れるって言ってくれた方が大くんに幻滅しないで済んだ!!」
「わ、別れるなんて……千紗と別れるなんて絶対にいやだよ! これから頑張るから……努力するから別れるなんて言わないで!」
目に涙を浮かべて懇願する大樹に千紗は唇をわななかせた。
なかったことになんてできないのに。
相手の人のお腹に赤ちゃんがいるならなおのこと、なかったことになんてできないのに――。
「これから? これから頑張る、努力するって何? 何をどう努力するっていうの!?」
「え、えっと……
「
「さ、最低!? ご……ごめん! でも、今度からは隠れて両方食べるんじゃなくて、交互に食べるようにするから!」
肉がついてクリームパンのようになった手を握りしめて大樹が力一杯、宣言した。大樹の真剣そのものな表情に千紗は怒りを通り越して脱力した。
「隠れて両方食べる、交互に食べるって……私たちのこと、なんだと思ってるの?」
「ご、ごめ……ん? え? 私たち?」
「大くんは優しいけど、でもお人好しで優柔不断で意志が弱くて……それでも優しくて誠実な人だって信じてたのに!」
大樹が首をかしげている間にも千紗の目からはポロポロと大粒の涙がこぼれ始めた。
「それなのに、まさか……浮気した上、相手の人を妊娠させて! どちらも選べないからって隠れて両方食べるんじゃなく交互に食べますって……開き直ってハーレム宣言するとか何様!?」
「浮気して、妊娠させて、開き直ってハーレム宣言って……どこのどちら様の話!?」
「大くんの話だよ!」
「どこのどちら様の大くん!!?」
「ここまで来てしらばっくれるの!? その封筒の中に浮気相手から渡された赤ちゃんのエコー写真が入ってるんでしょ!!」
千紗がビシリと指さした封筒を二度見して――。
「ない! ないないないない!! 入ってない!!!」
ぶんぶんと勢いよく大樹が首を横に振った。
「エコー写真なんて入ってないよ!! 入ってるのは体脂肪率と腹囲、脂質検査で引っ掛かっちゃって、要再検査になった健康診断の結果だよ!!」
大慌てで大樹が差し出した健康診断の結果を受け取って、千紗はぽかんと口を開けた。
「え、じゃあ……どちらかに決められなくてって……」
「仕事で帰りが遅くなった日とか、千紗と会えない休日とか。よく赤いきつねと緑のたぬきを食べてるんだけど……どちらかに決められなくて、一度に両方食べちゃってたんだ!」
「一人で二個、一度に食べてたの!? じゃあ、私が買っておいた卵やキムチやとろけるチーズの減りが早かったのは?」
「アレンジレシピにハマっちゃって。……赤いきつねにキムチを入れたり、とろけるチーズをトッピングしたり。緑のたぬきにコンビニで買ってきたコロッケや大根おろしを乗っけたり。卵はどっちに乗っけても間違いない美味しさだから減りが早くて!」
だらしなく鼻の下を伸ばす大樹の顔を見て、千紗は気の抜けた笑い声をあげた。
「じゃあ、この食べかけの赤いきつねと緑のたぬきも……」
「両方とも俺が食べようとしてました。……ごめんなさい!」
だらしなく緩んでいた顔を慌てて引き締めて、大樹は叱られた犬のようにうな垂れた。
浮気をしていたわけじゃなくてよかったと言うべきなのか。健康診断の結果が要再検査なのに、懲りずに赤いきつねと緑のたぬきを両方食べていたことを怒るべきなのか。
千紗は宙に視線をさまよわせて迷ったあと。
「大くん、私のお仕事が何か、ご存知かね?」
お道化た調子で言って胸を張った。大樹はきょとんと目を丸くした。
「もちろん。管理栄養士さんでしょ?」
「そう、その通り! 赤いきつねと緑のたぬき、どちらかを選べなくて両方食べちゃう優柔不断で意志の弱い大くんのために、それ以外の日は私が腕によりをかけて電子レンジでチンするだけの大満足、低カロリーなメニューを作り置きしておいてあげましょう!」
「千紗……!」
「再検査を乗り切って、付き合い始めた頃の体型に戻ろう! 二人でいっしょに頑張ろう!」
ガシリ! と、拳を握りしめる千紗を潤んだ目で大樹は見つめた。
でも――。
「ううん、千紗。やっぱり管理栄養士さんがいなくても大丈夫だよ」
微笑んでゆるゆると首を横に振った。大樹の言葉に千紗は胸を張ったまま固まった。その目にじわりと涙が浮かんだ。
「大くん、それって……」
私のことは必要ないってこと?
そう千紗が聞くよりも早く――。
「赤いきつねと緑のたぬき、どちらかを選ぶことができなくて一人で両方食べちゃってた。でも、千紗といっしょなら半分こにできる。両方食べられる!」
大樹はにこりと微笑んだ。
そして――。
「結婚しよう、千紗! 優柔不断で意志の弱い俺のために、いっしょに赤いきつねと緑のたぬきを食べてほしいんだ!」
贅肉でぷるりん☆ と、揺れる二の腕を広げて、大樹ははにかんだ笑顔でそう言った。千紗は力一杯うなずくと――。
「もちろんだよ、大くん!」
物理的に包容力たっぷりな大樹の胸へと飛び込んだのだった。
***
『こうして新郎・大樹さんと新婦・千紗さんはご結婚されたのです!』
ご本人出演の再現ドラマが終わり、するするとロールスクリーンが巻き上がる中。司会担当の女性が滑舌の良いハキハキした声で言った。
それを聞きながら直樹は、テーブルにほおづえをついて苦笑いした。
「……何を見せられたんだ」
とりあえず引き出物に赤いきつねと緑のたぬきが入っていた謎は解けたけれども。……けれども!
今日の主役である兄の大樹は真っ白いタキシード姿でへらへらと鼻の下を伸ばしている。一時はマシュマロマンと化してたけれど、今はすっかり細マッチョになっていた。
隣に座る義姉となった千紗は真っ白いウェディングドレス姿で目元を拭っている。……あの再現ドラマのどこに涙ぐむところがあった?
パッと明かりがついた。ぐるりと披露宴会場を見回すと、他の参列者たちも直樹と同じような表情をしている。
「まぁ、なんというか……」
つまり、どんな表情かと言うと――。
「幸せそうで何より」
そんな感じの表情だ。
彼氏が浮気してる気がするので旅行に行くと嘘ついて部屋に突撃してみた。 夕藤さわな @sawana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます