4


 魔女の家は、公爵家から遠いということを到着するまで、私は知らなかった。

 地図上ではとても近くにあると思っていたのだが、フェリモース山脈までは馬車を使って数時間という場所だった。


 山脈の手前には、大きな湖畔が広がっており、ギルダの家は湖を渡ったその先にあるらしい。

 王様から特別通行手当をもらった私は、今のところ王様が許可した場所であれば自由に行き来することができる。

 永住権に関しては、申請からかなり厳しい審査があるとのことで、ラディーレがこの国を自由に歩き回れるのはもう少し先になりそうだった。


 先日、ラディーレに酷いことを言いそうになったあの夜から、私はラディーレと一緒に過ごす時間を意図的に減らしていた。

 私の勝手な苛立ちで、ずっと育ててくれた恩人を、これ以上傷つけたくはなかったのだ。


 アルベルトとも顔を合わせるのは気まずかったので、私はギルダが住んでいる場所が、レックス邸から離れていることに感謝した。


「ここから先は、馬車は使えねえよ」


 ギルダに雇われて渡し舟をしている男性が、私たちの馬車を止めて舟に乗れと伝えた。


「他に方法はないのですか?」 


 フォルティス将軍が私の代わりに男性に尋ねてくれたが、男性は首を横に振って「ないな」と素っ気なく答えた。


「どうしましょうか。マーレ様」


「仕方ないので、舟で行きましょう。馬車はここに止めさせていただくことはできますか?」


 私の質問に男性は「いいだろう。あそこの小屋の前にとめておけよ」と素っ気なく答えた。

 

 フォルティス将軍は、馬車の運転手にここで待つように告げると、馬車の中から私の荷物を取り出して、私の手を取り舟に乗せた。

 フォルティス将軍が乗り込むと、男はオールをゆらゆら揺れる水面を漕ぎながらゆっくりと向こう岸に向かって舟を進めた。


 湖の真ん中まで来た時だった。

 突然舟底に大きな穴が空き、浸水が始まった。

 舟はゆっくりと湖の中へと沈み始めようとする。


「どううことだ?!」


 フォルティス将軍が私を支え、男に尋ねたが男はヘラヘラ笑うばかりで何も答えなかった。


「マーレ様!舟を降りましょう!濡れますが大丈夫でしょうか?」


 フォルティス将軍が私を抱えて舟を降りようとした時だった。


「降りてももう遅いですよ」


 男がそう言った瞬間、舟がぐるりと回転して私たちは湖畔の中へと引き込まれた。


「あれ?」


 湖の中で溺れているはずだった私たちは、舟は向こう岸に到着しており、舟底には穴など存在していなかったのである。

 混乱している私たちを他所に、男は舟を岸にあげて私たちに降りるように指し示した。


「フェリモースの魔女の館へようこそ」


 男が船から岸に上がった瞬間、突然ギルダの姿に変わり、私たちを呆気に取らせたのだった。


 ギルダは私たちを館の中でもてなした。


 木でできた家の中は、綺麗に片付いていて、真ん中に大きなテーブルがあり、そこには焼きたてのパイに、クッキー、そして採れたての果物に、湯気を立てている紅茶がテーブルの上にたくさん並んでいた。


 壁は一面の本棚の中に本が綺麗に整頓されて置かれており、暖炉の中ではパチパチと火が音を立てて燃えている。


 暖炉の前にある大きなロッキングチェアの上には、編みかけの何かがそのまま毛糸と共に置かれている。

 誰もいない時間には、彼女は自分の手で何かを編むのだろうか。


 公爵邸のような豪華さはないが、素朴で自分なりに豊かに暮らしているであろうギルダの生活を私は一目で気に入った。


「この館に人が来るのは随分と久しぶりのことです。お口に合うかどうか……」


 ギルダが手に持った小さな包丁で、サクッとパイに切れ込みを入れた。

 中から砂糖で煮詰めた果実がゴロリとこぼれ落ちる。


 フォルティス将軍は、女性の家でお茶をするなど慣れていないようで困ったようにキョロキョロと辺りを見回していた。


「この食べ物たちには、まじないなどかけておりませんよ」


「い、いや……ただ慣れないだけで、そんな風には思っておりません」


 フォルティス将軍にギルダは微笑んで、私の皿にパイやクッキーなど乗せた後に、彼の皿にパイを一切れ乗せた。

 どこかフォルティス将軍を見つめるギルダの視線は、懐かしさを帯びているような気がしたが、彼女は何も言わないので私は差し出されたパイを一口食べた。


 外はサクサクと音がして、中の果実がしっとりと口の中を濡らしていく。

 もしかしたら世界の中でも一番のパイなのではないかと私は思った。

 フェリモースの魔女のフルーツパイなどという名前で、商売を始めたら儲かるのではないかと頭の片隅で考えていると「商売などはしませんよ」とギルダがクスクスと笑って私の方を見ていた。


「私、声に出して言っていましたか?」


「ええ。思い切り」


 ギルダを疑う訳ではないが、私はフォルティス将軍の方を見ると、彼も大きく頷いていた。


「このパイに名前はなかったのですが、フェリモースの魔女のフルーツパイという名はよい名前ですね。今度誰かに振る舞うときに、そのような名前だと伝えることにしましょう」


 私が恥をかかないように、ギルダはパイの上にフェリモースの魔女のフルーツパイと文字を書くと、それは宙に浮いてくるりと回った後に消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る