3

 アルベルトは、母親が屋敷へ戻ってきたことにひどく驚いている様子だった。


「まさか戻ってくるとは……」


「あら、私が自分の住んでいた屋敷に戻ってくることがそんなに嫌だったかしら?あなたの決めた結婚です。そんな一大事に別邸でこもっていられるものですか!それに相手は、どこの誰かもわからないという噂まで流れているし」


「後日、そちらへ伺うと手紙に書いたでしょう」


「あなたの後日は何年後って場合もありますからね。そういうところは、あなたは私に似なかったみたいですから」


 ああ言えばこう言うと、皮肉めいた口調でリンデ夫人が身を乗り出して会話を進めるので、アルベルトはやりにくそうだ。


 しかし、リンデ夫人が戻ってきたことで、私との結婚は正式なものとなりそうだった。

ラディーレが「中途半端なものになりそうもなくて少し安心いたしました」とホッとしたような表情を浮かべていた。


 夕食の席では、リンデ夫人が私とアルベルトの方を見て「あなた方、次の王宮での晩餐会に出席されるのよね」と念を押すように確認をした。


「いや、流石に彼女もこの国の流儀には慣れていないだろうし、今度の晩餐会には私一人で出席するつもりだよ」

 

 飲もうとしていたワインをテーブルの上にそっと置いて、アルベルトは答えると、リンデ夫人は怪訝そうな表情を浮かべ眉間に皺をよせた。


「何を言っているんですか!慣れていないなら尚更です!結婚をすると噂が流れているのに、彼女を連れて行かなければ、彼女がどのような目で見られるのか分かっているのですか?」


「おっしゃりたいことは分かりますが……。私は彼女に無理はさせたくないのですよ」


「彼女に無理をさせたくない?彼女に聞いたんですか?」


「いいえ。ですが……」


「マーレさん。あなたはどうしたいのですか?」


 アルベルトが反論する前に、リンデ夫人が私に尋ねた。

 突然に話を振られて、私は困ってしまった。

 まず晩餐会が、どのようなことをするのかわかっていなかったからだ。


 ポカンとしている私に、ラディーレがこっそりと「食事をしたり、場合によっては殿方と踊ったりすることです」と耳打ちしてくれた。

私はようやく納得して「興味はありますが、うまくやれる自信がありません」と答えた。


 ラディーレに最低限のことを知識として教えてもらってきてはいるが、私の生活はここ数年古びた教会の一室で大人しくしていることだったのだ。

 アルベルト達と一緒に食事をすることですら、緊張することも多いというのに、王宮という未知の場所で上手く振舞えるとは思えない。


「私が教えます!」


 リンデ夫人がピシャリと言い切ったので、私とアルベルト、そしてラディーレは彼女の方を見た。


「うまくやれなくても、興味があるなら挑戦させるべきでしょう。この時期は、どこも作法の教師が予約でいっぱいでしょうから、他の教師がいいというわがままは許しませんよ。全く、こんなことになっているんじゃないかと思ってここにきてよかったわ」


 スイッチが入ってしまったリンデ夫人をアルベルトは止める気も起こらないらしい。

 お節介なリンデ夫人の性格を分かっていて、アルベルトはわざと「私に作法を教える」とリンデ夫人が発言するように誘導したのではないだろうか。

 シレっとワインを飲んでいるアルベルトと目が合うと、彼はにっこりと私の方を見て微笑んだ。

せっかくのチャンスなので「よろしくお願いします」と私はリンデ夫人に頭を下げた。


 食事が終わると、アルベルトが私を呼び「ちょっと時間はあるかい?」と尋ねてきた。


「ええ、大丈夫です」


 彼に連れて行かれたのは、食事をする部屋から少し離れた廊下の片隅だった。

昼間は日の光が射している大きな窓には、深紅のベルベット素材のカーテンがかけられている。

 アルベルトはカーテンを少し撫でた後、手をぎゅっと握りしめて、私の方へと向き直った。


「晩餐会に出席することになってしまったけれど、大丈夫かい?この結婚の約束をした時に、晩餐会に参加するようなことがあると、私は君に言わなかったからね。嫌だったら、今からでも取り消すことはできるんだが」


「いえ。教えていただけるのであれば、ぜひ参加したいと思ったのですが。やはり参加したいと言ったのは問題がありましたか?」


「君が大丈夫なら、問題はないよ。それに、私の母が若干暴走気味で申し訳ないね」


「母というものを知らないので、ああいった風にしてくださるのは、ありがたい限りです。それに色々教えていただけるのは、今後私にとってもプラスになりますし」


 お世辞ではなく本心だった。

 本来であれば私のような身元の分からない人間は門前払いもいいところだろう。

 それなのに、私を家族になる人間として受け入れてくれたリンデ夫人に対して、嫌な感情を持てるはずがなかった。


「君は……」


 アルベルトは手で顔を覆い、深いため息をついた。

私は失言をしてしまったのかと焦って、「何か変なことを言ってしまいましたか?」と尋ねた。


「いや、なんでもないよ。あんな性格だけど、由緒ある家で教育を受けてきた人だから、安心して教わるといい」


 アルベルトは首を横に振った後、優しい眼差しで私を見つめた。

 その眼差しがあまりにも柔らかいものだったので、私は思わず緊張してしまい少しだけ戸惑ってしまう。

 

 アルベルトは、ラディーレとは少し違う。

 いや、だいぶ違う。


 同じ男の人だというのに、どうしてこんなにもアルベルトを見ていると胸が高鳴るのだろうか。


 もう少しだけ、一緒にいたいと考えていた時だった。


「数年後、母とうまくやれる君と離婚するのが惜しくなりそうだな」とアルベルトが言ったので、私の胸の高鳴りは消えてしまった。


 そうだ。

 私とアルベルトの結婚は、離婚前提が前提なのだ。


 私とラディーレはイージェス王国の永住権を、そして彼は私たちの故郷であるナタリア王国の情報を必要としている。


 アルベルトが私を見つけた時、母の形見である黄金石がなかったら、このような状況にはなっていないのだ。


「そうですね。それまでは、ぜひ仲良くさせていただけたらと思います」


 胸につかえたものを、ぐっと心の奥に押し込んで、精一杯の笑みを向けると、アルベルトは「君と晩餐会に行くことができるのを、楽しみにしているよ」という言葉を残して、自分の書斎へと戻って行ってしまった。


 勘違いしてはいけない。


 私は、自分に言い聞かせながら、ズキンと痛む胸をそっと手で押さえた。

 胸が痛い理由が、なぜだか分からなかった。

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