第82話 タイミング



相手がいる木剣での打ち合いよりも、基本動作に忠実にただ剣を振るという訓練のほうが楽な気はするが、長時間同じ動作を繰り返せば疲れもするし、翌日の朝は腕がパンパンに腫れ午前中はペンすら持てなくなる。

ある意味一番キツイと言われるその単純動作は、毎日午後の訓練の残り一時間に組み込まれているのだが、腕が上がらず木剣を下ろす者や、体力的にきつく地面に座り込む者と様々だ。

今もあと残り数十分くらいという時間で、木剣を振っているのは私とフィンくらいだろうか。


「おい……!遠征班が戻ってきた!」

「本当か、どこ?」

「ほら、学舎のほうに」

「うわっ、皆荒んでるよ……」


右手、左手と、交互に剣を持ち替え、上から下へ、右から左へと集中して同じ動作を繰り返していれば、訓練場の出入り口から声が上がった。それと同時に午後の訓練の終了を告げる鐘も鳴り、ツェリ教員に急いで挨拶を済ませた者達が出入口に群がっている。

どうやら数日前から遠征に出ていた上級生達が戻ってきたらしい。


「……五日くらいだろうか?」

「それくらいだね。遠征に出たら長くて一週間って聞いたけれど、今回は早いほうなのかな?」


今年から自分達も街の外に出るからか、遠征から戻ってきた上級生達の様子を必死に探る同級生の姿を眺めながら呟けば、地面に座って休憩していたシルが指を折って日数を確認したあと首を傾げた。


「どうだろう。去年はこの生活に慣れることに必死で、あまり気にしていなかったからな」

「そうだよね、まだまだ自分達には関係がないと思っていたから。それなのに、時間が経つのって早いよ……」

「ねぇ、シルヴィオ。それうちのおじいちゃんと同じようなこと言ってる」


フィンのおじいちゃん発言に「えぇ……」と嫌そうな顔をするシルは、出入口が気になるのか頻りに視線が流れている。


「夏から演習が始まるからって色々準備はしているけどさ、やっぱり実際に体験してきた人に直接ご教授いただきたいよね」

「それは、分かるかも。父さんや教員から聞く話も参考にはなるけど、情勢は日々変化しているし、最近は隣国との諍いも多いって聞くから、今の情報が欲しいというか」

「そうそう。遠征は街からかなり離れた場所で訓練を行うらしいから、些細なことでも……」

「それだったら……」


会話が弾んでいるシルとフィン。珍しいこともあるものだと二人を眺めていれば、肩をトントン……と軽く叩かれ、ゆっくりと振り返った先には微笑むツェリ教員が……。


「……っ、ご指導、ありがとうございました」


驚きヒュッと妙な呼吸音を鳴らしながらも何とか姿勢を正し敬礼しながら挨拶をする。

この憧れの人物にもうそろそろ慣れただろうと思うかもしれないが、そんなことは全くない。いつまでも、永遠に、憧れの人なのだと再確認する日々だ。

ドキドキする心臓と緩む口元を隠すように真顔を貫いている間に、シル達が挨拶を済ましている。


「お疲れ様。すまないな、どうやら驚かせてしまったようだ」


ふっと微笑むツェリ教員の破壊力は凄く、既婚者となってからも夜会に訪れれば女性が列を成すというのは嘘ではないだろう。


「こちらこそすみません。生徒である私達から挨拶に伺うべきことでした」

「いや、君達で最後だったから私から足を運んだだけだ。何か熱心に話していたようだが?」


最後……?と訓練場を見渡すと、確かに誰も居ない。


「上級生達が遠征から戻ったので、それについて少し話をしていました」

「遠征か……予定よりも早い帰還のようだから、私も少し気になるな」

「やはり早いのですか?」

「訓練内容を事前に見たが、五日で消化できるものではなかったんだが……」

「そう、なのですか?」

「だが、あくまで予定だ。特に何かあったわけではなく、これが普通のことなのかもしれない。私は軍学校出身ではないから、まだよく分かっていないことも多いのでな」


言葉を詰まらせた私を安心させるように「君達と同じ新人だからな」と肩を竦めるツェリ教員に口角を上げ、思わず身体に入った力を抜く。


「気になるのであれば訊いてくると良い。遠征に出ていた上級生達は、君の従兄弟だろう?」


クイッと出入口に向かって親指を向けたツェリ教員の目は、遠征に出ていた当事者達に訊いたほうが早いと語っている。

いくら何でも今日の今直ぐというわけにはいかないのでは?と逡巡する私とは違い、背後では何やらゴソゴソと動く気配が……。


「よし、荷物は持ったよ」

「僕は木剣を戻してきます」

「恐らく一度学舎で点呼を取る筈なので、今行けばまだ間に合うかと」

「だそうだよ?」


その辺に放ってあった各自の荷物を纏めて抱えたシルと、慌てて木剣を倉庫に片しに行ったフィン。遠征について語っていた二人ならまだ分かるが、先程会話に一切参加していなかったセヴェリまで乗り気だとは……。


「……」


本来なら午後の訓練を終えたあとは少し残って自主訓練となる。

動かない私をジッと見つめるシルとセヴェリから圧を感じ、口元が引き攣る。


「今直ぐに訊きに行く必要は、あるのか……?」

「勿論だよ。情報は新鮮なうちに共有するようにって、ハリソン教員やツェリ教員が言っていたよ」

「それは……そうですね」


困ってツェリ教員へと顔を向けると良い笑顔で頷かれ、仕方なく肯定の言葉を口にした。

確かにそのようなことを授業で教わったがそれは戦場での話であって、遠征を終えたばかりの疲弊している上級生達を捕まえて無理矢理情報を共有させろという意味ではない。


「学年が上がったから僕達も学ぶことが増えたし、セレスの従兄弟は街の外へ出ることが多くなっただろう?だから互いに纏まった時間が取れない。現に、従兄弟は早朝訓練に参加できなくなっているよね?」

「毎日ではなくなったが、週に一度くらいなら一緒に訓練をしている」

「その週に一度の貴重な時間は訓練に充てたいだろう?従兄弟からは学ぶことが沢山あるって、セレスは喜んでいたよね?」

「そうだが……」

「だったら今しかないよ。ほら、早くしないと寮に戻っちゃうよ?」


ね?ね?と首を横に傾け愛らしく懇願するシルを半眼で見つめ、深く息を吐き出した。

常に浮かべている害のなさそうな笑み、この国では珍しい神秘的な容姿、これらが相まった結果、身近な者達以外からのシルの印象はとても良い。

同学年だけではなく、いつの間にか上級生から下級生までと幅広く魅了したシル。

性格が凄く悪く、微笑みながら悪態を吐き、我慢が嫌いで意外と短気。自身で口にするほど外面が良いシルの真の姿を知るのは、普段彼と一緒に行動している私達とクラスメイトくらいだろう。


「セレス」


長年共に過ごしているセヴェリにすら制御不能と言わしめたシルを止めることは難しく、言い聞かせようにも口では誰も敵わず、本当にとてつもなく面倒な男なのだ。


「……行くぞ」


潔く諦めよう……と肩を落とし、兄様達が居るであとう方向へ歩き出した。





遠征から戻ったばかりの上級生達は学舎の前に整列し点呼を取っていた。

表情は疲れて見えるのに、背筋を伸ばし静かに佇む姿はこれぞ軍人と思わせるほど。

教員の「解散」という言葉と同時に、上級生達は糸が切れた人形のようにその場に座り込み、静かだった場が一気に騒がしくなる。


「ロベルト兄様」


そんな中、列の先頭に立ち何やら指示を出していたロベルト兄様に声を掛けて駆け寄ったのだが……。


「セレス……?あっ、待った、そこで止まって!それ以上近付かな……おい、そこの男三人、セレスを止めろ!」


私の声に反応して振り返ったロベルト兄様は間違いなく嬉しそうな顔を見せていたのに、何故か急に態度を変え、片手を前に突き出して叫びながら後退りしている。


「ロベルト兄様……」


ロベルト兄様から「そこの男三人」と言われたシル達に止められる前に立ち止まり、ショックのあまり弱弱しい声が出ていた。


「違うからな?セレスが嫌だというわけではなくて」

「……」

「待って、だから、そこから動かないように」

「……」

「だから……っ、リアム!」


あと数十歩という距離までじりじりと進むと、ロベルト兄様は少し離れた位置に居たリアム兄様に助けを求めた。


「俺を巻き込むな」


しれっとそんなことを口にするリアム兄様は普段通りで、何故か逃げるロベルト兄様よりもリアム兄様のほうが良いかと方向転換したのだが。


「リアム兄様にも用が……どうして、お二人共私から距離と取るのですか……?」


近付けば離れる。

円を描くように私から一定の距離を取ってロベルト兄様の元へ移動したリアム兄様。


「セレス。俺もロベルトも、たった今遠征から戻って来たばかりだ」

「知っています」

「そう、だから、俺達は五日ほど風呂に入っていないんだよ。今は分からないかもしれないが、近付くと酷い匂いがするから」

「泥や埃もそうだが、暑かったからな……」


どうして避けるのかと思えば、そんなことかと苦笑する。


「大丈夫ですよ」

「……いや、想像以上に酷い匂いなんだよ」

「私はずっと砦に居たのですよ?五日どころか一月以上砦から外に出ていた軍人達を目にしてきましたし、彼等の治療もしたことがあります。私自身も訓練を受けていたので、人前に出られないほど悲惨な状態のことが多かったので。それに、砦では訓練後に汗を流すために全裸で」

「セレス、分かったからもう口を閉じなさい」


配慮してくれるのは嬉しいが、砦で色々と鍛えられたので気にする必要はないのだと説明したつもりだったのに、ロベルト兄様は片手で顔を覆って項垂れ、リアム兄様はギュッと眉を顰めたあと深く息を吐き出した。


「分かってはいたが、もう、どう言うべきか……絶対に御爺様の影響だ」

「王族とも婚姻できる家柄の令嬢だとは、誰も思わないだろう」


兄様達は父親であるルジェ叔父様と同じように度々こうして私を残念な者を見るような目で見るのだが、いい加減現実を見つめて諦めてほしい。


「……それで、戻って来たばかりの俺達を態々呼び止めるほどの用とは、何かな?」


まだ騒がしい上級生達の輪から学舎の隅へと移動し、花壇の側に置かれている長椅子に皆で腰掛けた。

兄様達の隣に座ろうとした私は、まだ匂いを気にする兄様達によって別の長椅子へと誘導された挙句、間にシル達まで挟まれてしまった。

兄様達から一番遠い位置に座らされた私は、折角久々に顔を見て話せるというのに……という不満を口にせず、「用があるのはシルです」と兄様達の隣に座っているシルへ不満をぶつけておいた。


「え、提案したのはツェリ教員だよね……?」

「シルです」

「セレス!?」

「疲れていると分かっていてこの仕打ちか……シルヴィオは酷い奴だな」

「酷い奴なんです」

「セレス、私が何かした!?」


訊きに行けば良いと口にしたのはツェリ教員だが、そうするべきだと駄々を捏ねたのはシルなので何も問題はない。


「それで?何が訊きたいのかな?」

「演習と遠征についてです」

「……あぁ、夏から演習が始まるのか」

「教員からはある程度説明は受け、それにちなんだ訓練も始まってはいるのですが、折角こうして先輩に伝手があるので細かなことを訊いておこうかと」

「ソレは今じゃなくても良かったのでは?」

「物事はタイミングが肝心だと言いますよね?」

「俺達にとっては最悪のタイミングだけれどね……」

「でも……っ、痛っ!」


兄様達のほうへ身を乗り出しニコニコと愛嬌を振りまいていたシルの額に、ロベルト兄様の手刀が叩き込まれた。額を押さえて文句を口にするシルを眺めて笑っている兄様達は、何だかんだ言いながらもシルを気に入っている。


「人たらしめ……」

「シルヴィオは色々と容姿で得をしているね」

「昔からああして周囲の者達に可愛がられてきた」


あれも一種の才能だと感心していた私達は、「演習についてだが……」というロベルト兄様の言葉に瞬時に反応し、身を乗り出すように耳を傾けた。




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