第83話 演習準備


「先ず、演習についての説明かな。担当教員からも説明を受けているだろうが、夏に一泊二日で行われる野外訓練で、見晴らしの悪い森の中は避け、街に近い野原で行われる。教員は複数名同行し、その教員の指示に従って全てを行う。決められた手順を守り、それに従って任務を遂行するといった経験値稼ぎだと思えば良いかな。一泊なので野原に野営地を作り、必要な物資は自分達で集める筈なのだけれど、演習では水や食材は持って行くから……集めるのは木材くらいだったような」


演習なんて随分前のことだからと、時折首を傾げながら話すロベルト兄様。

最高学年である兄様達は来年から軍に入るので、軍学校で過ごす最後の年は実践的な訓練を主に行っている。だからか初歩的なことをしていたときの記憶はかなり曖昧だと言う。


「演習前に野営訓練といった授業が行われる。内容は、地図と先達が残した情報を元にどの辺りが野営地に適しているのかを考察することだ。野営には十分な面積が必要だし、周囲には林や川、岩場など、野営に使う薪や木材、水を確保できる場所を探さなくてはいけない。そういったことを座学で学ぶんだよ」


この授業では地図をそらで描けるほど頭に叩き込まれるらしいが、後々必要となるものなので真剣に学んだほうがよいらしい。

演習は日数が少ないのもそうだが、付き添う教員の数が多く、街からたいして離れていないのでそう危険なことはないから安心するようにと言われ素直に頷く。


「次は遠征についてか。来年のことだから今聞く必要はないと思うけれど、俺達は今年で卒業だから簡単に説明しておくよ」


そう口にしたロベルト兄様が、今迄黙っていたリアム兄様の肩を叩いた。


「……俺が?」

「そうだね。俺とリアムは文官と武官の二つのクラスを受講しているのだけれど、リアムは武官クラスでは座学も実技もトップだから、リアムに説明してもらったほうが良いと思って」

「説明は下手なんだが……」

「可愛い妹の為だと思えば何とかなる」


普段から口数が少なく、話すことが億劫だと言っていたリアム兄様は、ロベルト兄様に「早くしろ」と急かされ渋々口を開いた。


「遠征は演習とは違い生徒主体で行う。予め教員から任務内容を告げられはするが、それを遂行するための綿密な計画を立てるのは生徒だ。例えば、移動経路、部隊編成、野営拠点、これらを遠征前に計画し、目的地として設定した場所まで移動する。下手な計画を立てれば街へ戻る日程が予定よりも遅れる。その際に責任を取るのは教員ではなく、各部隊に配置された隊長と、その隊長を纏める立場にある部隊長だ。だから、部隊長は多くのことを巧みにこなす者を選べ」


リアム兄様は隊長と口にしたときに自身を指差し、部隊長と口にしたときにはロベルト兄様を指差した。


「最高学年になるともう軍の新人みたいのものだから、国境付近にまで遠征に行く。遠征先はドルチェ国がある東と、スレイラン国がある西のどちらかになるが、大抵は森林がある西だ。情勢的にあまり近付きたくない国だが、一般市民である軍学校の生徒に攻撃することは国際法で認められていないのでそれほど心配することはないんだが……」


口を閉じ考え込むリアム兄様の言葉を引き継ぐように、ロベルト兄様が「少し」と続けた。


「スレイラン側に妙な動きがあるらしい。だから、今回は早目に切り上げて戻ってきたんだ」

「セレス達は国境付近にまで行くことはないから大丈夫だとは思うが、何があっても野営地から離れず、教員の側にいるようにしろ」


シル達の母国であるスレイランという名が出た瞬間、僅かにシルとセヴェリの肩が揺れた。

スレイランでは王位争いが激化し、その煽りを受けている民が他国へ移住していると聞く。シル達は祖父の代からこの国で暮らしているとはいえ、あちらの国に親類がいないわけではないので心配だろう。


「さて、説明はこれくらいかな。俺達は明日から二日は休みだから、今日は思いっきり寝るよ……!」


んー……とロベルト兄様が頭上に腕を伸ばし、リアム兄様が眠そうな目を指で擦り、二人が休日前のダン達のように覚束ない足取りで寮へと戻って行く姿を見送った。


――のが、先月辺りだっただろうか。


「私達は……間違っていた」


――キュッ、キュッ、キュッ……。


学舎の裏にある水場にしゃがみ込み、足元の板の上に棒を立て、その棒を手のひらで素早く回すという作業をもう一時間ほど行っている。


「演習や遠征のことではなく、火をおこす方法を兄様達に訊いておくべきだった」


――キュッ、キュッ、キュッ……。


手の動きを止めることなくそう嘆くと、正面で同じようにずっと手を動かしているシルが無言で頷いた。

野営訓練の一環である火おこし。

火がなくては野営が出来ないので、この技能は軍学校の生徒達は全員必須となっているのだが……。

生まれてからずっと専属の侍女や侍従が側に付き、ただ座ったり立ったりしているだけで身の回りのことを全てやってもらえる貴族の子息や子女が、たった一度だけ口頭と実践で説明を受けただけで火がおこせるわけがない。

案の定、特別クラスの貴族達は一名を除き、全員が火をおこせるまで居残りとなったのだ。


「……街に住んでいる人達は、幼い頃からこれを習うとか」

「セヴェリ、それ、誰から聞いた情報?」

「そこでニヤニヤと笑いながら私達を眺めているフィンから聞きました」

「わ、笑ってなんていないだろう!?」

「あぁ、フィンは裏切り者だからね」

「シルヴィオ……!?僕はずっと隣について教えているじゃないか!」


――キュッ、キュキュキュキュッ……。


賑やかなやり取りを耳にしながら黙々と木の棒を回していれば、初めて煙のようなものが出てきた。


「よし、火が……!」


額に滲む汗を自称助手に拭ってもらいながら声を上げた途端……。


「……消えた」


居残り組の視線が集まるなか、やっと目にすることができた煙は直ぐに消えてしまった。


「これで本当に火がつくの?」


私の横にしゃがみ込む自称助手であるレナートが、地面に転がっていた予備の板を手に取ってひっくり返し「ただの木の板なのに」と呟いている。

ここ半年ほどで更に背が伸び、身体つきもしっかりとしてきたのに、目を寄せて真剣に板を眺めている姿は砦に居た頃と同じで何とも可愛らしい。


「理論上はつくはずだ」

「理論上ではなく絶対につくよ。ハリソン教員も、僕も火がおこせたから」


木の棒を持ち、キュッ……キュッ……と音を鳴らしながら数十分程度で煙を出したフィンが「ほら」と口にした瞬間、私が握っていた木の棒が音を立てて折れた。

フィンの「ひぇっ……!」といった妙な悲鳴に瞬きしながら、折れた木の棒を石で作ったかまどの中へ放り込む。


「どうやら、火がつかなかったのは木が悪かったらしい」

「え、絶対に違うよね?」

「こうして折れたのだから、木が悪いのでは?」

「セレスの棒って皆のより一回り太い木だったから、折れるはずがないんだけど……」

「木が粗悪品だと煙がでないとは……盲点でした」

「セヴェリが信じちゃったよ」


ブツブツ言いながらもさり気なく木を変えているシルに気付いた者達は、慌てて木の棒を取替え始める。一時間以上もこの作業をしていて何も起こらないのだから、そろそろ道具を疑うべきなのだと頷いた。


「ねぇ、セレス」

「その木よりも、こっちの木のほうが丈夫だぞ」

「ツェリ教員も火をおこせるのかな?」


見よう見まねで板の上で木の棒を回すレナートに新しい棒を差し出せば、それを受け取ったレナートの口からツェリ教員の名が飛び出し、どうしてここでその名が出てくるのかと目を瞬いた。


「騎士も火くらいおこせるだろうが……どうなのだろうか」

「ツェリ教員も演習に行くのだからできるよね」


――キュッ……キュッ……。


ツェリ教員が演習に?

初めて聞いた情報に驚き周囲をぐるりと見渡すも、皆揃って首を横に振る。


「誰から聞いたんだ?」

「本人からだよ。さっきセレスを探していたときに会ったから、そのときに」


本人の口から聞いたのであれば本当のことなのだろうが……。


「前騎士団長が引率する演習か、随分と豪華だね」

「それほど情勢が危ぶまれているのか、または、貴族を集めた特別クラスに対しての学校側からの配慮でしょうか?」

「このクラスにはセレスや、そこそこ力を持っている貴族が多いから。ね、ビリー!」

「……何だ、何か言ったか!?今、やっと煙が……っ、ふーふー!」


バタバタと走り回るビリーと、彼の補佐をする取り巻き達。

あれでも財力では上級貴族に引けを取らない家柄の子息達なのだ。


「配慮ではなく、ツェリ教員は特別クラスの為に軍学校に来たんだと思うよ」


木の棒を回すのを止め、コツ、コツ……と棒で板を叩くレナートが私の服の裾を引っ張りながらそう口にした。


「どういうことだ?」

「ツェリ教員は、態々引退の時期を早めて軍学校へやって来たんだよ。本当ならあと数年は引継ぎをしながら、兄上の為に学園の騎士科に顔を出す予定だったんだ。それなのに、たった数ヵ月で引継ぎを終えて騎士を引退し、颯爽と自身の領地へと引っ込んだのだと父上が言っていたから」

「それが特別クラスの為だったと?」

「セレスが軍学校へ入った翌年には王族である僕が入る。恐らくだけど、引退を早めるように父上がツェリ教員に働きかけたのだと思う。前々から、元帥だけ楽しい老後生活を送っているのはズルイと父上に抗議していたようだから都合が良かったのだろうし」

「ツェリ教員が……?」

「うん。あの歳で駄々を捏ねるのだと、父上と兄上が……」


あのおっとりとした美中年であるツェリ教員を思い浮かべ困惑する。

「僕は見たことがないけれど」と私と同じように困惑しているレナートの頭を撫でながら、何かの間違いだろうと聞かなかったことにした。


「さて、そろそろ本気を出そう」


そう、先ずは目の前のことから片付けなければ寮へ戻れないのだから……。


――キュッ、キュッ、キュッ……。


「知っているか、レナート。平民は皆が火をおこせるし、その火を使って料理ができるんだ」

「皆が……」

「だが、フィンは貴族なのに簡単に火をおこし、休日には趣味でパンを焼く」

「パンを……!?」

「先日は手作りのお菓子を貰ったが、凄く美味しかった」

「そんな、お菓子まで……?」

「セレスティーア!何か恥ずかしいから、もう止めて……!」


素晴らしいことなので自慢していたら、レナートにキラキラした目で見られたフィンが顔を真っ赤にして叫び声を上げた。

止めてと言われたら私は止めるが、シルが私のあとを引継ぎ煮込み料理だって得意なのだと口にしてフィンから叩かれている。


「演習では、セレスも料理をするのでしょう?」

「持って行った食材をただ焼くだけだと聞いている。だから、火がおこせないといけないのだが」


――キュキュキュキュッ、キュキュッ……。


のほほんとした会話だが手元は凄まじい勢いで動いており、木の棒だけではなく今度は板まで粉砕するのではないかとビリー達が話しているが、そんなことをするわけがない。


「ただ焼くだけだと言ってもそれも手料理だよね?だったら、私達はセレスの手料理を食べられることになる。良かったね、ビリー!」

「て、てて、手料理など、誰が食べたいと言った……!あ、火がっ!?」


何故私が焼くことになっているのだとシルを睨むと、横から再び裾を引っ張られた。


「手料理……ずるい」


うりゅっと瞳を潤ませたレナートに見つめられ、反射的に頭を撫でてしまう。

シル達に度々「甘いよね」と言われるが、もう条件反射なので諦めるほかない。


「私の手料理なら、レナートも食べたことがあるだろう?」

「……いつ?」

「砦にいたときに。ダン達が山菜を取ってきたからと、私が必要のない部分を毟っていただろう?」

「……あっ、あの茹でて食べた苦い葉っぱ!」


レナートは嬉しそうに頷いているが、外野が騒がしい。

おかしなことを言っただろうか……?と先程から静かなセヴェリを見ると、偶々顔を上げたセヴェリが「葉っぱを毟っただけで、どうして手料理になるのですか?」と口にした。


「……焼くのが手料理だというのであれば、毟っても手料理だろう?」

「え、それはどうなんだろう?」

「だとしたら、どこからどこまでが手料理になるんだ?」

「難しい問いですね……」


この場に居る者達は皆が真剣に悩んでいるが、もしこの場に一人でも平民が混ざっていれば「何を言っているのか?」とツッコミが入ったことだろう。

だが、此処には貴族としての常識しか持たない子供達しか居らず、ハリソン教員が呼びにくるまで延々と手を動かしながら手料理について論議していたのだった。



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