第64話 一目惚れイベント
鼻息荒く吠えたあと壊れた玩具のように急に動きを止めたミラベルは、恐る恐る辺りを窺い、身を乗り出し私の背後を覗き込んだあとホッと息を吐き出す。
一体何がしたいのかと眺めていれば、今度は私の手元を凝視して口をぱくぱく閉口させている……。
「ミラベル」
「な、何よ。それ、何に使うつもりよ……!?」
「……あぁ」
ソレとミラベルに指差された先にはナイフが。コレを見ていたのかと、握っていたナイフをドレスの中へ戻す。
「護身用だ」
「……そ、そう」
手をひらひらとさせ武器を持っていないことを伝えるが、ミラベルの視線がドレスのスカート部分に固定されているので顔の前で指を鳴らした。
「……っ、悪いけど、今あんたに構っている暇はないの。さっさと広間へ戻りなさ、え、ちょっと!?」
顎を上げてシッシッと私に向かってぞんさいに手を振るミラベル。
何を考えているのかさっぱり分からないミラベルとは会話が出来ないと踏んで、彼女の腕を無言で掴み、そのままアーチがある方へ引っ張って行く。
「景色ならもう十分に堪能しただろう?さっさと戻るぞ」
「引っ張らないでよ……っ、痛い!放してよ!」
「此処は立ち入り禁止区画だと知らないのか?」
「知っているわ、だから何よ!」
「何って、本気で言っているのか?」
普段以上におかしな言動をするミラベルに呆れ、思わず足を止めてしまった。
「禁止区画は王族のみが立ち入れる場所だ。勝手に入れば処罰され……」
「大袈裟ね、幼い少女が偶然湖に迷い込んだだけじゃない。そんなことで王族が処罰なんてするわけないわ」
「何を根拠に言っている。そもそも、迷子でなはく広間で給仕していた者に此処まで案内をさせたのだろう?」
「ちょっと、もしかして見張っていたの!?」
「ミラベルを案内した者が向こうに居る。貴族の令嬢が護衛も連れずに外に居るから心配して待っていてくれたようだ」
「戻れって言ったのに……チッ、使えない奴」
「ミラベル」
小さく舌打ちする姿は貴族の令嬢とは思えない粗末な振る舞いで、つい咎めるように名を呼ぶと鼻で笑われてしまった。
「いい加減、放してよ」
表情を険しくしたミラベルが腕を振り上げ、手首を掴んでいた私の手を払った。傷つけないよう軽く握っていた所為か呆気なく外された手を戻して肩を竦める。
「故意に湖へ来たのだから処罰対象だ」
「そんなの誰が証明するのよ。証拠は?もしかして、給仕がそう証言していますって?馬鹿じゃないの、あんな平民の話なんて誰も信じないわ。私は伯爵家の娘なのよ?」
「義理のだ」
「だとしても、今はロティシュ家の娘だもの。国王のだーい好きなフィルデ・ロティシュの家族なんだから、尚更処罰なんて出来ないわよ」
「言葉に気を付けろ、不敬罪も追加する気か?」
「ナニソレ、国に忠誠を誓っていますって?誰も聞いてないのにご苦労なことだわ」
「……処罰はミラベルだけではなく、ロティシュ家に対しても行われる。もし、仮に軽い処罰で済んだとしても、御爺様が許すわけがないだろう?」
「でも、前当主じゃない。私のことは養父様が守ってくれるわよ」
「だと、良い……なっ」
ミラベルが視線を下げた一瞬の隙をついて手を伸ばし、彼女の細い腕を掴み身体を引き寄せた。直ぐに身体に腕を回し逃がさないよう囲うと、背が低く華奢なミラベルは私の腕の中にすっぽりと入ってしまう。
「悪いが、遊びは終わりだ」
唖然としながら私を見上げるミラベルに向かって微笑む。
このまま抱えて歩こうにも着ているドレスが邪魔だ。
数秒考えてみたが他に方法もなく、ミラベルの両腕を片手で拘束し、もう片方の空いている手を腰に回して身体を軽く持ち上げそのまま足を進める。
これなら引き摺ることもなく自然な形で広間まで連行出来ると満足していると、拘束から逃れようとミラベルが無駄な抵抗を始めた。
「待って、嫌よ。まだ大切な用事が残っているんだから!」
「……」
「聞きなさいよ!」
「どんな用事があると?」
「誰が訊ねろって言ったのよ!私の話を聞けって、ちょっと、力強すぎない!?」
「良いから黙って口を閉じていろ」
「あ、あんた、何キャラなのよ!放せ、この……っう……!?」
頭を振って身体を捻り必死に抵抗する姿がおかしくてふっと吹き出すと、恐ろしい者を見るような目を向けられた……失礼な。
「こんな形でイベントを阻止されるなんて、完全に私の落ち度だわ」
「イベント……?」
「とぼけないで。あんたが此処に居るってことは、そういうことでしょ?怪しいと思っていたのよ」
「またおかしなことを言い出したな」
「まだとぼけるの!?コレがどれだけ重要なイベントか分かっていて邪魔してるくせに!湖一目惚れイベントは王太子を攻略する為に欠かせないイベントなんだ、か……ら」
大きな声でヒロインだのイベントだのと喚き散らすミラベルの口を物理的に塞ごうかと悩んでいれば、急に口を閉じ大人しくなったミラベルが前方を見つめながら「嘘……」と呟いた。
「時間を掛け過ぎましたか?」
薔薇のアーチから護衛を連れて歩いてくるルドに謝罪の意味を込めて軽く頭を下げる。
私は足音と気配でルド達が来ていることに気付いていたのでとくに驚きはないが、ミラベルはこの場に私しか居ないと思っていた上に頻りに口にしていた王太子殿下が現れたのだから驚愕もするだろう。
「いや、私が勝手に心配になっただけだ。無謀な事はしないと分かってはいるが、どうしてもな……その少女は?」
「私の義妹です……」
「義妹……?まさか、此処へ無断で入ったという貴族の令嬢が、セレスの義妹だったのか?」
「そのようです」
「それは何と言うべきか……うん、で、セレス」
「はい?」
「何故そのように抱きかかえているんだ……?」
ルドだけでなく護衛騎士からもジッと見つめられたミラベルが勢いよく顔を上げ、目で何か訴えているが無視することにした。
「逃亡する恐れがあるのでこのように拘束しています。取り敢えず、このまま御爺様の元まで連れて行きますので」
下手な処罰より御爺様の方が恐ろしいだろうに……。
可哀想にとミラベルを見下ろすと、何か感じ取ったのか身震いをしている。
「……義妹は、怪我をしているわけではないのだな?」
「はい」
「それなら良い。此処の景色は格別だからな、気になって入ってしまっても仕方がない。そうだろう?」
ルドは護衛騎士に微笑みながら同意を促し、目配せする護衛騎士達が苦笑しながら頷く姿を確認して私に向かって小さく頷いた。
本来であればミラベルはこのまま護衛騎士に連行され、ロティシュ家の当主であるお父様も呼び出され処罰を待つことになるのだが、どうやらルドはミラベルを見逃すつもりらしい。
「寛大な措置に感謝いたします」
「セレスの義妹だからな、一度だけだ」
軽く膝を曲げミラベルの目線に合わせたルドは、「セレスを困らせないように」と声を掛けた。
「セレスの義妹は騎士を一人付けるから広間まで戻るように」
「それでしたら、私が一緒に……」
「セレスは駄目だ。私達が此処へ何をしに来たのか忘れたのか?」
「ですが」
「義妹よりも王族である私達を優先するべきだと思うのだが」
そう言われて拒否できる人間が居るのだろうか……。
「広間まで大人しく戻れるな?」
「……えぇ」
不貞腐れているミラベルの拘束を解くも。
「……あっ」
わざとらしく体勢を崩したミラベルがルドの立つ場所へ向かって倒れていく。
ふらついた女性が自身の方へ倒れてきたら優しく抱きとめるのが紳士的な対応なのだろうが……。
「ごめんなさい……っ、えっ!?」
倒れてきたミラベルの身体を優しく支えたのは、先程までルドの隣に立って居た護衛騎士だった。
騎士と入れ替わるように立ち位置を変えたルドは、目を瞬き驚いているミラベルに苦笑している。一番守られなくてはならない王太子が、身体を張って見知らぬ貴族令嬢を助けるわけがないだろうに……。
眉を顰めながら首を傾げているミラベルの浅はかさに頭が痛くなる。
「ミラベル、これ以上何かする前に広間へ戻れ」
「あの、でもね、義姉様……」
涙目で周囲を窺ったあと胸元で両手をギュッと握り、唇を震わせながら小さな声で懇願するミラベルの姿は庇護欲をそそられるらしい。
よくフロイドの前でも同じようなことをしていて、その度に彼や居合わせた他人から非難の目を向けられてきたが、この場にソレが通じる人間は恐らく一人も居ない。
しかも、此処には厄介な性格の持ち主が一人居る。
「今更取り繕っても、セレスとの会話は全部聞こえていたよ?」
ルドの背後からちょこんと出てきたレナートが、ミラベルに向かって冷たく言い放った。
側室側の派閥が裏で動き出したことで、周囲の人間を慎重に選別しなくてはならなくなったレナートは、暗殺や毒殺を警戒して、いつ裏切るか分からない侍女や侍従を側に置かないようにしているという。そんなレナートが安心して身を委ねられるのは、王太子側の人間だけ。
「凄い二面性だね。とても不愉快だから、兄上の目に映らないでくれるかな」
「第二王子が……どうして……」
「君には関係がないよ」
無表情のまま淡々と言葉を紡ぐレナートはミラベルを敵と認定したらしい。
レナートの防波堤であり、自身よりも大切に想うルドに粗末な考えを巡らせ故意に触れようとしたのだから当然だ。
「折角兄上が見逃すと言っているのだから、部外者はさっさと居なくなって」
ルドが現れたとき以上に驚き口元を手で覆うミラベルをレナートはジッと見つめたあと首を傾げ、護衛騎士に連れて行くように命令を下す。
まさか立ち入り禁止区画に無断侵入するような者が身内にいるとは思わなかった……。
護衛騎士に先導されながら何度か此方を窺っていたミラベルの姿がアーチの向こう側へと消え、深く息を吐き出した。
「セレス……!」
地面を見つめ、ドレスで座ったら駄目だろうか?駄目だろう。と自問自答していたら、ルドから声が掛かり、ノロノロと顔を上げると。
「邪魔が入ったが、どうだ、凄いだろう!」
湖を背に両手を広げ自慢気に笑うルドが居た。
王太子が湖に落ちないよう護衛騎士が慌てているというのに、当の本人は満面の笑みではしゃいでいる。
「綺麗でしょう?」
大好きな兄に手を振りながら私を見上げるレナートの得意気な顔に頬を緩め、湖へと顔を戻した。
「綺麗……」
学園で取り巻きを引き連れた女王様は、王族に嫌われ、婚約者に捨てられ、家族の手によって修道院へ送られる。
怖くて、恐ろしくて、私は本来進むべき道を避け別の道を歩くことにした。
――それなのに。
関わってはいけない人達と友となり、こうして一緒に湖を眺めているなんて。
目の前に立つルドが摘んできたばかりの花を私の髪に当て頷くのを見て、妙なことになったと苦笑すると、編み込まれた髪にゆっくりと花を挿すルドが金の瞳を細め、甘く蕩けるように笑みを浮かべた。
「ドレスも、その花も、よく似合っている」
ルドに視線を奪われ、花に顔を近付け囁かれた言葉と頬をかすめた細い指に意識を奪われ、護衛騎士の元へ歩いて行くルドを知らずに目で追っていた。
「セレス」
髪に飾られた花に無意識に手を伸ばしかけていた私は、レナートの声にハッとして振り返り、目の前に差し出された手を見つめた。
「次にセレスが公の場に顔を出すのは、成人のときでしょう?」
「来年からは砦の外での実習訓練があるので、そうなるかと」
「だから、はい」
全力で空気を読むなら、コレは手を乗せろということだろう。
困惑しながらそっと手を乗せると、キュッと軽く握られてしまう。
「エスコートは婚約者がするだろうから、僕とはファーストダンスを」
ダンスの申し込みだと気付いたときには遅く、顔を近づけたレナートの唇が私の手に触れる寸前に動きを止め、軽くリップ音を鳴らした。
「王族からのダンスの誘いは、絶対に断れないんだよ」
伏せていた目を上げ、いつもとは違う獰猛な笑みを浮かべたレナートに背筋が震える。
「そろそろ戻るぞ」
「はーい」
唖然として立ち尽くす私とは違い、何もなかったかのように振る舞う二人に胸がモヤモヤし、ルドとレナートを追い越して先にアーチを潜った。
「……質が悪い」
頬が熱く心臓が変な音を立てている。
背後から私を呼び止める二人の声を無視し、顔を手で扇ぎ足を速めた。
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