第53話 従兄弟



午前四時前に起床し、薄手のシャツにズボンと軽く支度を整え、砦から持ってきたダミー武器を手に音を立てないよう寮の廊下を歩く。なるべく砦に居たときと同じ生活になるよう早朝訓練を自主的に行っているので、毎朝タオルと水筒を持ちながら一人訓練場へ向かう。


軍学校に入ってからもう二カ月経つ。

一年次の授業は午前中に読み書きといった基礎的なことが行われ、これらは軍人になった際に提出する報告書や始末書など、様々な書類仕事に対応できるよう専門用語を交えて叩き込まれる。軍人の大半は読み書きが拙い平民出身なこともあり、最も優先して行われる。

文官クラスへ進む者達は他国との交渉や機密書類を扱うので、更に高度な知識、算術、語学力が必要となり、平民だと侮っていた貴族が学力試験で惨敗するのもざらにあるという。


授業形態は教員の講義を聴きながら筆を動かすといった授業で、家に置かれている本を読み漁り、雇われた講師の講義を聴き意見を述べるといった形に慣れていたので最初は驚いたものだ。

混合クラスは貴族しか居ないからか、午前の授業は大分省略され何か質問があれば授業後に教員に訊くことになっている。


午後の授業は主に身体を動かすことで、楽しみにしていた剣術や体術に乗馬はまだ一度もなく、武具の扱い方や手入れの仕方、馬の世話や上級生の訓練の見学など。

極一部の栗毛達からは不満の声が上がっているが、汚れた手を持ち上げながらジッと見つめていると視線を彷徨わせたあと直ぐに黙るのでよしとしている。


その他にも、夕方の基礎体力訓練や、月に二、三度現役軍人が軍学校を訪れて講演を行っている。講演で彼等が話す題目は決まっていないのか、毎回一人一人違っていて、本音を混ぜ込んだ実践的な話が聞けるので飽きることなくずっと聞いていられてとても面白い。



――キイッ……。


錆びている門を開けて訓練場の中へ入ると、先月辺りから一緒に早朝訓練をするようになった従弟達が柔軟をしながら私に向かって手を振った。

ルジェ叔父様の息子二人は兄弟だから顔立ちは似ているが、兄であるロベルトが常に柔和な笑みを浮かべているのに対し、弟であるリアムは無表情で口数が少ない。


「栗毛のビリーだけじゃなく、二年のキッシュも泣かせたんだって?」

「どちらも泣かせた覚えはありません」


訓練場の隅に荷物を置き、二人と一緒に柔軟を始める。

身体を解して軽く一周走ったら本格的に走り出す。


「おかしいな……リアムも知っていたのに」

「キッシュがセレスに絡んで転ばされたって聞いた」

「ほら」


同じ学舎とはいえ歳が離れているのでクラスがある階が違い、授業内容も異なるので、こうして時間を合わせて集まらない限り顔を合わせることは殆どというか、全くない。

それなのに、昨日のたった数分の出来事をこうも早く把握しているとは……。


「昨日の事なのに、随分と情報が早いですね……」


情報源は何処だ?と睨むが、二人共サッと顔を逸らしたので答える気がないらしい。


「父上にセレスを守るようキツク言われているんだよ。もし何かあれば……って軽く脅されてもいる」


両手を上げながら微笑むロベルト兄様と、兄の言葉を肯定するように無言で頷くリアム兄様。

二人がルジェ叔父様から頼まれただけでなく、私を心配して好意で動いてくれていることは分かっている。

この早朝訓練だって何処からか嗅ぎ付けてきていつの間にか一緒に行っているが、演習や遠征が多く忙しい二人の貴重な時間を私に費やしてくれているのだから。


「次は誰が泣かされるのかと噂になっているくらいだ」

「女性に詰め寄るような者が貴族だなんて恥を知れ……と言っておいてください」


一つ上のキッシュ・ルイブルには、授業で訓練を見学した帰りに態々呼び止められ悪態をつかれただけでなく、その過程で掴みかかってきたので反撃しただけのこと。

それに、キッシュを泣かせたのは私ではなくシルとセヴェリだ。


「中枢から遠く、政治に関わっていない下級貴族はロティシュ家のことをただの田舎貴族だと思っている。現に、同じ二大貴族で領地が隣に位置しているツェリ家は、前当主が騎士団長であり数多くの騎士を輩出している家紋だからか、かなり神格化されていると聞く。まぁ、実際騎士よりも軍人になる者の方が多いからね、ロティシュ家は」

「……田舎貴族だとしても伯爵家なのだから手を出したらマズイと思えないところが凄い」

「確かに」


弟と軽口を叩きながらその場で何度か飛び跳ねたロベルト兄様が片手を上げた。

それを見て私もその場で軽く飛び跳ねたあと、二人と一緒に土で固められた外周へと向かう。


「そろそろ音楽祭だけれど、ドレスの準備は?」

「軍学校に入る前に侍女が寸法を書いた手紙を送っていました」

「仮縫いは……諦めるとして、軽くドレスの手直しをするなら最低でも音楽祭の三日前には王都に着いていないと困るな。だとすると、来週には此処を出ないと間に合わないか……」

「兄様達は今年も不参加ですか?」

「勿論。卒業するまでは、王都に居る母上とリジュが僕達の代わりに社交を頑張ってくれるらしいから」

「父上も参加しないし」


そもそも分家だからと話す兄様達と並んで走りながら、そっと自身の腕の太さを確認するが、二カ月前と変わっていない……と思う。

全体的に筋肉はついているが、まだ成長途中なので現役軍人女性よりも貧相な筋肉だ。


そう、問題なのは筋肉ではなく、背丈で……。


「リボンはなし。レースは最小限で可愛らしいドレスではなく、靴はヒールのない物を頼んであります」

「色は?」

「フロイド様の瞳の色です」

「あの地味な色か」

「リアム……」


地味だと呟いたリアム兄様をロベルト兄様が咎めるが、本人は全く気に掛けず聞き流している。


婚約者と共に出席する舞踏会や音楽祭では互いの持つ色を身に纏うことが当然で、女性はドレス、男性は胸元を飾る装飾品に取り入れていることが多い。

私の場合は婚約者であるフロイド様の瞳の色がダークグリーンなので、成人前の少女が着るドレスの色としては地味な感じになってしまう。

私のドレスではなく、ミラベルのドレスを褒めていたフロイド様の胸元を飾る装飾品は必ず私の瞳と同じ真っ赤な宝石の物だった。

淡いピンクやイエローの可愛らしい色が好きなのかと、ドレスの色を変えようと思ったこともあったが……。


「私は好きですよ、あの色も」


結局フロイド様の瞳の色を選ぶのだから、どうしようもない。


最後に顔を合わせてから随分と経つ。

笑顔でとは言わないが、せめて二人だけでまともに会話ができるようにと願いながら走る速度を上げた。


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