第52話 箱庭の王様


そこそこ広い所領に、多くの財産を持つヒュートン男爵家。

戦争によって上げた戦果はなく、中枢で何かを成し得たこともないし、王族に伝手もない。

だが、情報収集能力には優れていたので戦争や動乱にクーデターなどの匂いを嗅ぎ付け、情勢が変化する度に主を取り換え、新たな勢力の傘下へ入ることで生き延び強かに爵位を守ってきた。


その男爵家の末っ子に生まれたビリー・ヒュートン。

彼を一言で表すなら『小さな箱庭の王様』だろう。


優しい両親に、弟に甘い兄や姉。

多少傍若無人な振る舞いをしても誰にも咎められず、領地では王様扱い。

貴族必須の勉学や剣術は負けず嫌いが影響してか、下級貴族の子息達の中では上位に位置するとどの講師からも褒められてきた。


社交シーズン中の下級貴族の集まりでは裕福なヒュートン家との結び付きを得ようと、末っ子で可愛がられているビリーに擦り寄る大人達が後を絶たず、更に、同年代の子供達の中では背丈が高く普通よりも整った顔立ちをしているビリーは、将来の結婚相手としてご令嬢達からとても人気があった。


その為、立っているだけでも称賛を浴び続けてきたビリーに怖いものなどなく、王都の学園に入学すれば当然王太子殿下の側近になれるのだと思っていたし、兄や姉の代わりに自分が王族や上級貴族との人脈を築き、いずれは伯爵家、又はもっと上を狙って侯爵家の家に婿入りすることも夢ではないと、そう素晴らしい未来を思い描いていたのだが……。



「撤回するかい?」


芝生の上に倒れ起き上がることもできず、無様に地面に両手をついたまま顔を上げた先には一人だけ涼し気な顔をした少女が立っている。

何故こんなことになっているのか……と唇を噛みしめながら、ビリーは必死にセレスティーア・ロティシュを睨み続けた。


――こんな筈ではなかったのだ。


先ず、王太子殿下の側近ビリー・ヒュートンとして学園に入学し、今迄顔を合わせる機会がなかった貴族達に華々しく顔見せをする予定だったビリーは、そんなことは不可能なのだと両親から諭され首を傾げることになった。

可愛い息子が仲の良い貴族の子息達に「王太子殿下の側近候補」だと触れ回っていることを知ったビリーの両親は、慌てて息子を呼び出し注意したのだ。


「……どうしてですか?私は、ビリー・ヒュートンなのに」


さっぱり理解ができないと頬を膨らませたビリーは、このとき初めて自身の立ち位置を思い知ることになる。


王太子殿下の側近候補に選ばれるのは上級貴族の子息のみ。

家柄も考慮されるが、学力、剣術、馬術、その他のことも隅々まで見られた上で、最終的に残った者達の中から王太子殿下が自ら面談をして選出する。


「家柄の所為ですか……」


不足しているのはそれだけだと憤るビリーに、両親は互いに顔を見合わせたあと静かに首を横に振り、全てが足りていないのだと詳しく説明し始めた。


下級貴族が雇う講師は大抵が同じ下級貴族の家の者達で、余程の伝手がない限りそれ以上の家柄の方に来てもらうことはできない。

そもそも裕福な家でしか講師を雇うことができず、大抵の下級貴族の家は幼い頃から側に居る乳母がその代わりをしているのだという。

ヒュートン男爵家は何人もの講師を雇うほど裕福な家だが、講師は皆下級貴族の家の者。当然彼等が今迄見てきた子供達も下級貴族の子息や子女となる。

比べる対象がそれなのだから、何人もの講師に教わっているビリーが突出して見えるのは当たり前のこと。


それでも、優秀なことには変わりないと呟くビリーに、尚も両親は現実を告げていく。


上級貴族の子息や子女は幼少期からありとあらゆる教育を施されて育つ。

専門分野以外の知識を多く持つ講師から徹底的に教養やマナーを躾けられ、一般的な教育以上のものを求められる。

母国だけではなく他の国の言語、ピアノなどの楽器や水彩画などといった専門的なものを学ぶ場合は、最低でも二名以上の講師がつけられると聞く。

全てにおいて完璧を求められる上級貴族。

一度でも社交の場で目にしたことがあれば歴然とした差が分かったのだろうが、下級貴族が上級貴族の集まりに呼ばれるわけもなく、一同が集まる音楽祭などでは席が離されているので関わる事がない。


両親からそんな話を聞かされたビリーは、それなら王都の学園に入ったら自分はどうなってしまうのかと身を震わせ、初めて恐ろしいという感情を知った。


だって、自分はただの下級貴族のビリーなのだから……。


けれど、現実を知った日から暫く塞ぎ込んでいたビリーに転機が訪れた。

現国王を支え続けた国の盾と称される王国騎士団長アイヴァン・ツェリ伯爵が当主も騎士団も引退し軍学校で講師をすると、顔を紅潮させ興奮した兄と姉が叫び声を上げながら引き籠っていたビリーの部屋の扉を叩いた。

誰もが憧れ、彼に一歩でも近づきたいと望む者は後を絶たず、アイヴァン・ツェリに剣術を教わったとなれば非常に高い評価を受け将来は引く手あまたとなる。

軍学校では身分を重視されず、年に一人か二人の貴族の子息が入学する程度。

先ずはそこで頂点を目指し、ゆくゆくはアイヴァン・ツェリの推薦を得て騎士団というのも悪くはない。そうなれば良い縁を築くのも容易いだろう。


僅か二時間程度で軍学校に入ることを決意したビリーの新たな夢は。


「……して……っ、どうして、そんなに……」


――違うのか。


二大軍事貴族とはいえ辺境の領地しか持たない田舎貴族の少女に、授業初日にして木っ端微塵に砕かれてしまった……。


「まだ……あと十分はあるな。今休憩している分は後から足されるぞ」


そう口にして軽やかな足取りで背を向け離れていくセレスティーアをビリーはただ眺めていることしかできない。


「……あれが」


――上級貴族なのか。


この歳の子供であれば、圧倒的な力の差を見せつけられれば最初はどういう感情であれ、最後は憧れに変わってしまうものだ。


もうビリーには目もくれず、黙々と訓練場内を走るセレスティーア。

あれこそが自身の目指す道なのだ……!とビリーは震える足を拳で叩き、瞳をキラキラさせながらセレスティーアを追いかけた。


「思っていた以上の結果になったな」

「セレスを使うの、止めてもらえませんか……」


セレスティーアとビリーの様子を黙って窺っていたハリソンに、彼の側で休憩していたシルヴィオがチクリと注意するがニヤニヤ笑って肩を竦めるだけで止める気はなさそうだ。


「ビリー・ヒュートンとその取り巻き達が昨日早速寮で揉めたと聞いていたからな、使える者を使って無駄な矜持を叩き潰しておくべきだろう?」

「セレスも叩こうとしていたくせに……」

「一番厄介なのがセレスティーア・ロティシュだからな。まぁ、無用な心配……だったが」


言い終える前にセレスティーアに向かって走って行ったシルヴィオにハリソンは呆れながら、歩くほうが早いであろう速度で必死に走っているビリーへと視線を移した。


セレスティーア・ロティシュが圧倒的なのは当然のこと。

彼女はもう何年も前からランシーン砦で屈強な軍人達に揉まれ訓練を続けてきたのだから。

元帥の孫だからと甘えることなく、泥だらけになりながら着実に力をつけてきたと、あの偏屈なニックから散々聞かされてきた。


「……さて、上手く使わないとな」


まだまだ色々ありそうな面子を眺めながらセレスティーアの使い道を考える。


取り敢えず、彼女のタダ働きを許さない厄介な保護者達に睨まれないよう、彼女への報酬は上質な肉で良いだろうか……。

ただでさえ少ない給金なのにこれから暫く散財することになるのかと、ハリソンは胸元の財布をそっと押さえた。






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