第32話 ミラベルの勘違い


――ガチャン!


「狩猟会も食事会もなし……?」


手から滑り落ちたカップが派手な音を立ててテーブルから地面に転がっていく。

その際、カップの中身がドレスの裾に零れ小さく舌打ちをした。

花柄の繊細な刺繍が施されているピンクのドレスは昨日出来上がったばかりで、ロティシュ家で行われるお茶会や狩猟会でお披露目する予定だった……。


沢山の花が咲き誇る庭園の中、お姫様気分で楽しくお茶をしていたのに、あとからやって来た母の言葉にテンションが下がっていく。


「どうして?他のものはまだしも、領地での狩猟会や食事会は毎年行っていたのに」

「詳しいことは分からないわ。旦那様が決定したことなのだから仕方がないのよ……」

「そんな……楽しみにしていたのに」

「そうよねぇ……私も欲しかったドレスや宝石があったのに、残念だわ」


セレスティーアが消えて三年。

悪役令嬢が消息不明という異例な事態に混乱もしたが、最初の一年目は、それはそれでラッキーぐらいに思っていた。


社交シーズン最中に忽然と消えたセレスティーアは、体調を崩して領地へ戻ったことになり、まだ残っていたお茶会や観劇に音楽祭といった催しでは、ロティシュ家の娘として私という存在を周知することに成功した。

婚約者のエスコートがなくなったフロイドとは社交の場で顔を合わせる程度になったが、必ず月に一度は王都にある別宅へやって来たし、社交シーズン後にも領地にある本邸で何度か会えたので着々と攻略を進めることができた……はずなのに。


セレスティーアに拒絶された日からフロイドは私を見ても微笑まず、俯くばかり。

婚約者の元を訪ねるという理由で私に会いに来たのかと思えば、『セレスティーアは、もう元気になったのかな……』と頻りに気にする。

義姉様が居なくて寂しい、心配だと涙を見せても良い反応は得ず、フロイドは日毎に口数が少なくなり、暗く鬱々とした彼の態度に苛立ちが募っていった。


元々フロイドなんて眼中にない。

私が狙っているのは王太子であるルドウィーク。

本格的に出会うのは学園に入ってからだが、その前に彼とは王家主催の音楽祭で偶然出会うというイベントが起こる。


音楽祭を抜け出した王太子は湖を眺めていたヒロインに見惚れ立ち尽くし、ゆっくりと振り返るヒロインから目が離せず、そのまま視線が絡み息を呑む。


王太子の初めての恋。


胸が高鳴り、声をかけることすらできないまま去っていくヒロインを目で追い続け、時折その日のことを思い出しては音楽祭でヒロインの姿を探してしまう。

その想いが何か分からないまま月日は過ぎ、学園でヒロインを見つけたときに初めて恋をしていることに気づくという設定だ。

王太子という立場上、セレスティーアから虐められているヒロインを助けることもできず、苦い思いをしながら遠目から見つめる日々。

次第にルドウィークの笑顔が曇り、兄の異変に気づいた第二王子であるレナートがヒロインを気にかけるようになる。


王族二人を攻略するにあたって、大事な、大切なイベント。


だったのに……ロティシュ伯爵はセレスティーアが社交に出られないという理由で、翌年から全ての社交を断ってしまった。


社交がないから王都にも行けず、音楽祭でしか起こらないルドウィークとのイベントが潰れる……。

着々と好感度を上げていたフロイドとは、領地が離れているので本邸で行う狩猟会でしか会えず微妙な関係のまま。

これではマズイと思い、狩猟会の片隅で行われる貴族の夫人達をもてなすお茶会で可愛らしい子供を演じ、夫人達の心を掴むことに専念した。


フィルデ・ロティシュの名に惹かれ少しでも甘い蜜を吸おうと群がる貴族達。

この中にはいずれ王太子や第二王子の側近に選ばれるであろう、王子達と同年代の子息達を持つ親が沢山いた。

王太子とのイベントが潰れたときの為に、彼との間を取り持ってくれる人脈が必要になる。

だから、母親を使って子息と交流を持ち、地道に側近候補達を落としてきた。


――それなのに。


「……今年だけ?来年は?義姉様が学園に通うようになったら社交を行うようになるの?」

「どうなのかしら?でも、今年だけだと思うわ。旦那様と執事がセレスティーアに会いに行くと話をしているのを聞いたから」

「嘘!?義姉様の居場所が分かったの?」

「さ、さぁ?そこまでは分からないわ……立ち聞きしただけだもの。執事が睨むから直ぐにその場を離れたし」


どうして最後まで聞かなかったのかと憤りながら、呑気な母を置いて屋敷へ駆け出した。

すれ違う侍女達から注意されるが、「ごめんなさい。養父様に会いたくて」と口にすると皆が伯爵の居場所を教えてくれる。


向かうは当主の書斎。


執事の妨害があろうが、今日こそは全てを無視し突撃してやる!と意気込みながら、階段を駆け上がった。



「……っ、はー、はー……」



書斎に繋がる扉の前で止まり、息を整えながら数回扉を叩いた。

いつもならココで執事が対応し追い返される。


――キィッ。


が、開かれた扉の隙間に素早く手を入れ、身体を滑り込ませた。


「養父様!」


初めて入った書斎は少し薄暗く、壁一面にある本棚の所為か紙の匂いがする。

広い部屋の中央に置かれたソファーに座っている伯爵は、唖然とした顔で「ミラベル……?」と口にした。


「養父様、お聞きしたいことが……」

「お待ちください。当主の許可もなく此処へ立ち入ることは禁止されています」


伯爵が呆けている間に側に行こうとした私は、またもやあのムカツク執事に止められた。

進行方向を手で遮られ、そろりと見上げた執事の口角は上がっているのに目が笑っていない。


「……だって、こうでもしないと養父様に会えないのですもの。私、ずっと寂しくて。お父様ができて嬉しかったのに」

「ブラム、構わない」


涙を零しながら、震える声で訴えれば伯爵くらい簡単に押し切れる。


「……失礼いたしました」

「いいの。私が悪かったのだから」

「……」


ブラムと呼ばれた執事は、私が泣こうが微笑もうが顔色ひとつ変えず、返事もしない。

この屋敷に初めて来たときに簡単な自己紹介はされたが、ロティシュ家当主の執事です程度だった。

私の名前を一度も呼んだことがないし、呼び止めるようなことがあっても、大抵は「お待ちください」「すみません」「失礼ですが」この三つ。

故意にそうされていると気づくくらい露骨なやり方に腹は立つが、執事ごとき怖くも何ともない。

現に、伯爵は私を可愛がってくれているし。



「お久しぶりです、養父様。お聞きしたいことがあります」


いずれロティシュ家は、私のものになるのだから。






「え、辺境の、砦……?」


暫く見ないうちに随分とやつれた伯爵が真面目な顔をして小さく頷く。


「ごめんなさい、その、私は義姉様が何処に居るのか聞いたのですが……」

「セレスティーアは、ランシーン砦で隠居している父上の元に居る。この三年間ずっとだ」


一度目と同じ回答は、聞き間違いではなく、冗談でも嘘でもない。


「敵国が目と鼻の先にある戦地でもある」

「戦地……」

「あぁ。王都や此処とは比べものにならないほど危険な地だ……」



『他国との国境を長年護り続けている、ランシーン砦』


ゲームの中で出てきたのは、確かこの一文だけだった。


ヒロインの活動範囲は主に王都で、攻略対象と出会うのは学園内。

休日に遠出するようなイベントもあったが、寮暮らしなのだから日帰りが当たり前。

他国に居る攻略対象とは舞踏会か何かで顔を合わせるような設定で、戦争とか侵略とかそんな物騒なゲームではなかった。

ヒロイン視点の小さな世界で、彼等の悩みを解決しながら心を寄り添わせ、愛を育む恋愛ゲームなのだから一文しかなくても納得できるけど。


「……その砦にどうして義姉様が?御爺様に会いに行ったのですか?」

「会いに……行ったのだろうな」

「でも、会いに行くだけなら三年間もそこに滞在する必要はありませんよね?もうすぐ学園に入学しなくてはいけないし、養父様が迎えに行くのですか?」

「迎えに行くつもりなのだが……」


苦笑しながら肩を落とす伯爵の曖昧な言葉に、嫌な予感がした。


「つもり、とは?義姉様は、帰って来るのですよね?」


辺境の地なんて、寂れた街で覇気のない住人しかいないような所でしょ?戦地だと言うくらいだから気軽に出歩くことすらできないだろうし、物流だってもしかしたら止まっていて、大切に育てられ贅沢に暮らしていたセレスティーアが我慢できるわけがない。

今あるこの生活水準を落とすなんて、私ですら無理だし、耐えられないのだから。


――そう、耐えられるわけがないのに。


「あの子は、砦のある街の軍学校へ入るつもりらしい」

「……は?」

「説得はしてみるつもりだが……。軍事貴族であろうと、貴族の令嬢が国軍に入った前例はない。もしセレスティーアが学園ではなく軍学校に入ったら、噂は社交界で直ぐに広まり、暫くの間は話の種にされるはずだ」


話の種って要は醜聞ってことでしょ?

そうなったら、私だって笑い者になるじゃない……!?


「……養父様。絶対に義姉様を連れて帰って来てください。もうこれ以上大好きな義姉様と離れて暮らすなんて、耐えられません」


セレスティーアが軍学校に入ったルートなんて一つもなかった。

誰を攻略しても、必ず彼女は学園で最大派閥の女王様として君臨している。


それなのに、軍学校?何もできないお嬢様が?あの平和ボケしていた少女が?


「ありがとう。セレスティーアを慕ってくれて」

「そんな、お礼なんて」


自分だけが転生したとは思っていなかった。

だから、早い段階でセレスティーアが転生者かどうか確認したし、問題ないと安心していた。

勝手に自滅する姿だってこの目で見ている。


でも、もし、転生するのが遅かっただけなのだとしたら。


「私は」


些細な切っ掛けで前世の記憶を思い出す……そんな悪役令嬢の転生ものの小説だって沢山あった。

今思えば突然屋敷から消えるなんて不自然だし、三年間も音沙汰なく辺境の地で暮らしていたのも、軍学校へ入るのだって、不自然どころか人格が変わったとしか思えない。


「大好きな義姉様が居ないと、楽しくないし、幸せにもなれませんから」


セレスティーアが何をしたいのか分からないけれど、攻略対象の好感度も上げず、離れた地にいる悪役令嬢にできることはない。

何もせずそのままフェイドアウトするのであれば、私は彼女の醜聞を利用して上手く立ち回れば良いだけ。



どちらにしても、私が幸せになる未来は変わらないわ。






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