第33話 話し合い
沢山の思い出がある場所から離れ、一人遠くの地へ旅経つ日。
お母様の好きだった花ばかりを集めた庭園には生温い風が吹き、乱れた髪を押さえながら屋敷を眺めていた。
果たして、これは正しいのか、間違いなのか。
自問自答したところで意味はなく、今迄とは異なる道を歩むと決めた。
このときは全てを置いていく自身の感情だけを優先し、置いていかれる者の感傷など想像もせず、周囲の人間全てが敵に見え、逃げ出すことしか考えられなかった。
お父様に令嬢をやめると宣言し、家を飛び出してからもうすぐ三年。
私が逃げ込んだ先は想像していたよりも過酷だったが、それ以上に楽しい日々でもあった。
話す機会が増えた御爺様からは領主の業務や領地経営の教えを受け、息子達の反抗期を嘆くルジェ叔父様を定期的に慰め、ルドやレナートとは予期せぬ出会いだったがいつの間にか親友に昇格していた。
粗野だと思われがちな軍人は、優しくて逞しく、あらゆる面で強い尊敬できる人達だ。命懸けで国境を護る姿を目の当たりにし、何も知らず平和を享受していた自分が恥ずかしい。
此処へ来たのはやはり正しかった。あの頃よりも成長したし、軍事貴族の跡取りとして未来をきちんと見据えるようになった……と、騙し討ちのように軍学校に入るのではなく、一度話し合うよう御爺様に言われてからお父様を説き伏せる言葉ばかりを考えている。
その所為でここ数日は訓練に身が入らず、リックさんから何度も叱咤され、ニック大佐には治療室から放り出されていた。
お父様は、承諾書に判を押さない。私を連れ戻し、学園に入学させる気だろう。
ランシーン砦へ態々足を運ぶ理由なんてそれしか思いつかなかった。
家族三人で共に過ごした日々よりも短い時間で、お父様を全く信頼できなくなってしまったから。
私の意見など聞かない。私の言葉は届かない。
だったら、私も無視して良いのでは?反対されたら目の前で暴れるのも良いかもしれない。
そんな物騒なことを考えながら、これから厳しく叱咤される自分を想像し肩を落とした。
昼過ぎにお父様が砦に到着したと聞き、一歩進むごとに重くなる足を何とか動かし、御爺様の執務室へとやって来た、のだが……。
「セレス……良かった、無事だった。どこか……怪我はないか?」
色々と覚悟を決めて部屋に入れば、ソファーに座っている御爺様は額に手を当て項垂れているし、物凄い勢いで振り返ったお父様は……即座に立ち上がると大股で近づき、挨拶する間もなく立ち竦んでいた私を抱き締めた。
「あの……お父様?」
「なんだ?どこか怪我でもしているのか?」
「いえ、どこも怪我はしていませんが……」
「痩せたのではないか?食事は?栄養は取れているのか?」
勝手なことばかりしている自覚はあったので怒られる覚悟をしていたが、まさかこんな風に心配されるなんて微塵も思っていなかった。
微かに震えているお父様の肩を摩り、大丈夫だと背中を叩く。
そんな遣り取りを眺めていた御爺様は「大袈裟だ」と呆れ果てているが。
「どこも怪我などしていないし、元気だと言っただろうが。心配し過ぎだ」
「父上に何が分かるのですか……娘に何年も会えないなんて……こんなに、大きく……っ」
「鼻水と涙を拭け、鬱陶しい」
「うぐっ……」
指摘された内容が恥ずかしかったのか、お父様は僅かに身動ぎしたあと顔を背け、胸元のポケットからハンカチを取り出し鼻や頬を拭っている。
普段はしっかりした人なのに、時々こうして脆い部分が露見してしまう。
伯爵家、国王の覚えもめでたい軍事貴族の領主。
これだけ聞けば、さぞ華やかな生活を送っているのだろうと思われがちだが、実際は領主の生活なんてどこも同じ。
御爺様曰く、国王の意向に背かない程度に自由な統治を認められてはいるが、領民を守り国に税を納める義務、侵略者の撃退や反乱の鎮圧といった責任の全てが領主の肩に伸し掛かり、それらは途轍もない重圧であるらしい。
夜明けと共に仕事が始まり、領主の補佐をする執事や屋敷の管理を行う家令との打ち合わせ、領内で起きた犯罪等の取り締まりや防衛等の見直しをし、領民からの嘆願書に目を通す。
一日の大半は領地に関する業務に追われ、季節の変わり目には領内で取れる穀物などの収穫量を確認し、問題が起きている場合は自ら視察に向かう。視察する地域によっては何日も家を空けることがあり、一月近く顔を見ないことも多々あった。
更に、軍事貴族は戦争に備え資金を蓄えておく必要がある。その為には新事業や他国との貿易、商人の確保など、常に様々なものに目を光らせ、誰よりも早く手を付けなくてはならない。
お父様が多忙だということは分かっていた。
けれど、御爺様に教わるまで「多忙」という一言に、これだけのものが詰まっていることを知らなかった。
疲れた顔など見せず、家族との昼食の時間だけは必ず確保し、お母様や私の話に耳を傾けてくれていた。そんなお父様を尊敬するし、とても誇らしく思う。
でも、お父様は完璧な人ではなく、身内からポンコツと称される人だった。
最後に会ったときよりも身体の線は細くなり窶れてしまっている。
普段は綺麗に整えられている髪はボサボサで、服の襟元は涙で濡れて皺になっているし、使ったハンカチをくしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込むのはどうなのだろうか……。
緊張して変に力が入っていたのに、ポンコツなお父様の姿を見たらストンと気持ちが落ち着いていた。
「まったく……。セレスティーアも座れ」
「はい」
「セレスは私の隣に……あっ!?」
「それでは話ができないだろうが」
離れようとしないお父様を避けさくっと部屋の奥へ移動し御爺様の隣に座ると、慌てて追いかけてきたお父様の顔がくしゃっと歪み、「私の娘なのに……」と呟きながら御爺様を睨みつけ対面のソファーに腰を下ろした。
「……話とは、コレのことですか?」
テーブルの上に置かれた紙は軍学校へ提出する承諾書。
やはり、署名欄の部分にお父様の名は書かれていない。
「何も話すことはありません。私はセレスを連れ戻しに来たのですから」
「本人の意思を無視してか?」
「父上なら軍学校がどのような場所かご存知でしょう?軍人ではないとはいえ、候補生なのは変わりません。もし戦争が始まれば戦場へ駆り出されることになる。ランシーン砦には父上やルジェが居たからまだ耐えられたが、戦場にセレスが行くことにでもなったら、そう思うと不安で、気が気でならない。母上も妻も亡くし、私にはセレスしか残っていないのです。もうこれ以上失いたくはありません……」
「お前の気持ちは分かるが、話を拒む理由にはならない」
「父上に私の気持ちが分かるわけがない。貴方は、領地や家族よりも戦場を好んでいたではないですか!目を輝かせ、嬉々として誰よりも多くの人間を葬ってきた。だからこそ、仲間からも戦闘狂などと呼ばれていたんです!」
「まぁ、間違ってはいないな」
「セレスを貴方と同じ道に引きずり込むようなことはしないでください。この子はロティシュ家の跡継ぎであり、私の大切な娘なんです!」
軍人になる気はないし、手紙にもそう書いておいた筈だ。
それなのに、お父様の中では軍学校に入った時点で、私が御爺様と同じ道に進むことになると確定しているのだろうか?
「大切な娘なんだな?」
「当然です」
「それなら、その大切な娘の話しくらい聞いてやったらどうだ?」
「……」
「セレスティーア」
どう切り出そうか迷っていたが、御爺様が話す切っ掛けを作ってくれた。
それなら……と、一度深呼吸して心を落ち着け背筋を正す。
全て、包み隠さず……また失望することになったとしても、敵前逃亡するよりはマシか。
「お母様が亡くなった翌年にお父様は後妻を迎え、仕方がないと分かっていても裏切られたような気分を味わいました」
「……後妻」
困惑しているお父様には悪いが、話をするならココからになる。
「何も伝えられず、相談もされず、ある日いきなり義母と義妹ができたのです。泣けば良いのか、怒れば良いのか……結局、そのどちらもできませんでしたが」
「……それは、説明したはずだが」
「亡くなった親友の為だと聞きました。事後報告でしたが」
「放って置けなかったんだ……」
「夫を亡くし爵位もなくなるのですから同情もするでしょう。お父様は義母にお母様の部屋を使わせず部屋に鍵をかけて閉じました。ですから、再婚に関しての不満は飲み込めたのです」
「……待て、再婚とは言っても、ミラベルが嫁ぐまでの間だけの契約結婚だ。その後の援助も最低限はするつもりだが、ミラベルだけではなくソレイヤの再婚相手も探しているところだぞ?」
「……契約結婚ですか?」
「夫を亡くした者の援助、もしくは一時的に保護せざるを得ないとき、婚姻を利用することがある。その場合代理人を挟み、法的効力の強い公正証書に離婚を条件に婚姻関係を結ぶ旨を記入し作成する。婚姻期限や条件など内容は様々だが、私とソレイヤの婚姻期間はミラベルが嫁ぐまで、その後は婚姻無効を申請し他人となる。その為、ソレイヤには公式行事のパートナー以外の事、当主夫人の仕事は一切させていない。娘のミラベルにもロティシュ家が使える権限を与えていないのだが……すまない、説明不足だったようだ」
再婚と契約結婚ではその意味合いが違ってくる。
お披露目も結婚式もなかったのはそういうことだったのかと、今度は私が顔を覆いたくなった。
幼い子供では理解できないだろうと敢えて説明しなかったのだろうが、私だってある程度教育を受けてきている。今のように説明さえしてもらえれば、裏切られたなんて思わなかったのに。
「私が愛しているのはリュミエとセレスティーアだけだ。それだけは信じてくれ」
「分かっています。義母のことも嫌っていたわけではありませんでしたから、もう気にしていません」
「そうか……」
「それと、婚約者のことに関してですが……」
承諾書と私を交互に見て首を傾げないでほしい。そこに辿り着く前のはまだ先なのだから。
「婚約者……フロイド・アームルのことか?」
「フロイド様だけでなく、ミラベルのこともですが」
眉を寄せたお父様は、「何故ミラベルが出てくる?」と呟き再度首を傾げている。
その姿を見てどこから話すべきかと考え、過去の屈辱感を思い出し、段々と腹が立ってきた。
順序立てて話すつもりだったのに……。
「お父様は、私とフロイド様の関係をどうお考えですか?」
「……婚約者だろう?」
「婚約者……そう、婚約者……」
「セ、セレス?」
「婚約者というのは、婚約披露の場で私を放って義妹と踊って談笑し、お茶会、観劇、音楽祭、どの場面でも義妹をエスコートし、馬車の中でも室内でも義妹と寄り添い、婚約記念日には婚約者に手渡す予定の花束を侍従に届けさせ、自分は庭園で義妹と仲良くお茶会です」
「……」
口からポロッと零れたのは、恨み言だった。
握り締めた拳がギチッ……と音を立て、隣に座っている御爺様が私を宥めるかのように肩を叩く。
「まぁ、凄い!お父様のおっしゃる婚約者とは、このような事が普通なのですね」
普通なわけがない。
この話を御爺様とルジェ叔父様にしたとき、二人は頭を抱えていたくらいなのだから。
「私は何度かお父様にお聞きしました。何故、ミラベルが一緒なのか……と。それに対してお父様が何と答えたか覚えていますか?ミラベルは姉を慕っていて、好きで離れたくないからだとおっしゃっていました。おかしいですよね?」
「……いや」
「フロイド様の婚約者は私なのに、ミラベルの方が婚約者らしい振る舞いをしていました。それを咎めるわけでもなく、寧ろ推奨し、私の心は酷く傷つきました。お父様と、アームル侯爵の所為で」
「それは……」
「ですので、もう何を言っても無駄だと思い我慢し続けた結果、お父様への信頼は消え失せました。これっぽっちもありません」
「セレス……」
親指と人差し指をぴたりとつけ、お父様の眼前に突き出した。
ショックを受けたのかお父様は両手で顔を覆ってしまい、御爺様は深く息を吐き出しソファーに身を沈め傍観体制だ。
まだミラベルの予言について一言も触れていないのに、このくらいでショックを受けていては身が持たないのでは?
暴れるまでもなく言葉で倒せるかもしれないと小さく頷きながら、置かれたままの承諾書をジッと見つめ、お父様が口を開くのを待っていたのだが……。
「すまない……ミラベルを同伴させていたのは、私がそう指示を出していたからだ」
とんでもない事実を告白され、思わず唸り声を上げた御爺様と私の厳しい視線にお父様はぎゅっと身体を縮こませた。
「どういうことですか……?」
「いや、そのだな。フロイドと顔合わせをした日、セレスはあまり喜んではいなかっただろう?」
「……顔合わせ……あっ!」
あれは私にとって婚約者の顔合わせではなくミラベルの妄想が現実となった瞬間だった。混乱していたものそうだが、色々と思案していた所為で誰に話しかけられてもぎこちない笑顔になり、返事も曖昧だったのは覚えている。
「私は政略結婚ではなかったから、セレスの気持ちが分からなかった。失敗したのではないかと思い、女性の観点から知りたくてソレイヤに相談したのだが……。あれだ、理想というものがあるのだろう?それに当てはまらないのであれば気に入らないのも仕方がないと言われ、先ずは第三者を間に挟み徐々に打ち解けていくところから始めるべきだと」
「その第三者がミラベルだったのですか?」
「自分達よりも幼い子が側に居れば険悪な空気にはならないからと。それに、フロイドは内気で口数の少ない子だから会話が成り立たないのではないかと、アームル侯爵も心配していたんだ」
内気?口数が少ない?フロイド様にそんな印象を持ったことはない。
話題が豊富とはいかなくても、いつも可愛らしく微笑みながらミラベルと話していた。
寧ろ、中々会話に入れず、悶々としながら無言で座っていた私にこそ当てはまる言葉ではないだろうか?
「父親では分からないことも多く、普段セレスの側にも居られない。何かあれば女性であるソレイヤの方が上手くやれる。二人の側にミラベルが居れば様子も探れ、仲も取り持てるのではないかと」
「そう義母に言われたのですか?」
「……許可したのは私だ。本当にすまなかった」
お父様は娘を想って見当違いな事をし、娘である私は不満を口に出すことなく我慢し続けた。互いに意思疎通を疎かにした結果なのだろう。
過去の事をこれ以上責めたところでどうしようもない。私にも悪いところがあった。
だから、今度は失敗しないよう、しっかりと未来について話しをするべきだ。
「お父様、私達には対話が足りていません。ですので、これからは自分の意思をハッキリと口にすることにします」
「……そうだな」
「では、軍学校に入る許可をください」
「私に悪いところがあれば全て直す。だから、それだけは考え直してくれないか?」
今迄の話の流れからすれば、お父様に反抗して軍学校に入学すると取られても仕方がないかもしれないが、そうではない。
婚約記念日に花束を手渡すという慣例をフロイド様に無視され癇癪を起したが、それがなくても家を出ていた。
そう、話はここからです、お父様。
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