怪盗! メタモルマン
朝倉亜空
第1話
日も沈みかけた夕刻。ここはとある観光地。
街なかの四つ辻角に立っていた赤いポストが、突然、人間の男に変わった。
周囲には誰もいない中で、その男は苦しそうな表情をしながら、口からくしゃくしゃになった絵ハガキを三枚、吐き出した。
「げ、げえ。一枚、飲み込んじまったよ。ポストはこうなるからダメだって、分かっているのに、つい、やっちゃうんだぜー」男は言った。
この男はメタモルフォーザー、変身能力者だった。念じただけで、なんにでも姿を変えることのできる能力を持っているのだ。いや、なんにでもとは少し言い過ぎかもしれない。小さいものはかなり頑張って、マグカップぐらい、大きいものは、せいぜい3メートル程度のはしごあたりまでだろうか。アリやアフリカゾウにはなれない。
大きさや重さが実際の自分自身に近いほど、楽に変身できるし、自分から隔たっていくほど、苦痛になり、難しくなる。ポストは人間と大きさが近いので、変身しやすいのだ。
それで、つい、今しがたもポストに形を変えたのだが、この地域に旅行に来た観光客のおばさんが、絵ハガキを四枚、ポストの投函口に突っ込んできたのだった。
ではなぜ、男はポストに変身していたのか。実はこの男、空き巣狙いなのである。
観光地として有名なこの地域は、金持ちの別荘が多くあることでも知られており、男はそのうちの一軒に忍び込んでいた。
何かめぼしいものはと、物色中に、そこの家人に見つかってしまい、逃げ出さざるを得なくなったのだ。そして、道の角を曲がったところでポストに化け、追いかけてきた家人の目をごまかしたという訳だった。ただ、変身するには条件があって、他人の目があるところでは、変身することも、逆に人間に戻ることも、この能力は決して発揮されない。人の視線があると、どうしても気が散ってしまい、変身に意識を集中できないのである。逃げながら道を曲がった時、人通りが皆無だったことがこの男には幸いした。
辺りはますます薄暗くなっていた。本日の収穫はまだない。こそ泥メタモルマンとしてはこのまま終われなかった。どこか良いところはないものかと物色しながら歩いていると、ひと際デカい別荘が目の前に現れた。よっしゃ、一丁ここに入ってやるぜー。
周りに人気がないことを確認し、カラスに変身した男はふわっとひと飛びし、軽々と塀を乗り越え、入っていった。そこは何ともバカでかい芝生が生い茂った庭だった。その奥の方から何やら騒がしい声が聞こえている。パーティーか何かをやっているようだった。家屋の角からそっと覗いてみると、十人ほどの人影が見え、バーベキューをやっていたり、薄暗闇に浮かび上がるキャンプファイヤーの火を囲んで歌を歌っていたり、酒を飲みながら談笑していたり、楽しそうにしている様子が見て取れた。ゆっくりブツを品定めするには好都合だ。ガラス戸をそおっと開けて中に入った怪盗メタモルマン、早速、仕事に取り掛かる。
そこは豪華な応接間だった。なんともゴージャスなシャンデリアがキラキラと輝きを放ちながら、天井からぶら下がっている。そして、床に敷き詰めてある、高級な毛触りの良いペルシャ絨毯の上を、男のちんけな土足が小汚い足跡を次から次へと残してゆく。それもわざと。ケチな奴だ。
棚にはやたらと何かのトロフィーやらの記念品や飾りがあり、それらがいちいちゴールドに煌めいている。そのうちの一つ、でっかいダイヤモンドやルビーなどが散りばめられた、純金のディッシュがケチ泥メタモルマンの目に入った。よし、こいつを頂戴するぜー! 男の手がそれを掴もうとして伸びていった。
「おい! 誰だお前は。そこで何をしている!」
背後から急に大声が聞こえてきた。しまった! 見つかっちまったぜー!
本日、二度目の失敗だ。メタモルマン、必死で部屋を出て、廊下を走った。
待てこら泥棒! と叫びながら、おそらく家主であろう、声の主も追いかけてきた。逃げるメタモル、追う家主。
廊下を曲がったところにあった扉を開け、メタモルマンは素早く中に入った。そこもまた、広々とした、リビングダイニングルームだった。高級なと、いちいち書くのも野暮というものだろう、大きなテーブルにいくつかの木製の椅子がある。部屋には誰もいない。メタモルマンはそこにある椅子の形そっくりに変身した。
「おい、待てー!」家主の男がすぐ後に入ってきた。間一髪だった。「……あ、あれ……、誰もいない。変だな……」どこへ行ったんだと言いながら、家主の男は椅子のひとつに腰かけた。
「あなた、どうかしたの? なにかあったの?」そう言いながら、少し怪訝そうな表情で若い女性が入ってきた。こりゃまたグラマラスないい女だ。おっと、ちょっと言っておくと、メタモルマン、何に変身していても、目も鼻も耳もなんとなく効いている。変身中は感覚器官が異常に研ぎ澄まされ、雰囲気で伝わるのだ。
「うん。応接間に怪しい奴がいてね、コソ泥だよ。逃げるそいつを追いかけて、ここまで来たんだが、どうも、見失っちゃったようだ」家主の男は言った。
「まあ、怖い。まだどこかに隠れているかもよ。嫌あね」そう言いながら、女はその肉感的な体を家主の男の隣にある椅子の上にゆっくりと乗せた。実はその椅子こそ、メタモルマンだったのだが、それに気づく訳もない。
メタモルマンにとって、思いもよらない展開だ。とても魅惑的な美女がむっちりとした体を自分に密着させてきたのだ。高級な香水のいい匂いも間近で感じる。メタモルマンは昔に読んだことのある、椅子の中身をくりぬき、その中に人が入るという、エロティックな怪奇小説のことを思い出していた。い、今の俺が、そうだぜぇー。
こういう時に、変な欲が出るのが人間というもの。メタモルマンの浅ましい劣情は、なんとか、この肉感美女との密着度合いを高めることは出来はすまいかと、グイッ、グイッと少しでも隙間を埋めようと、もがいた。が、いかんせん固形物、大きな効果は得られなかった。
「とにかく、今はコソ泥のことは忘れましょうよ。隠れているにしろ、逃げたにしろ、しっかり戸締りをしておけばいいでしょう。それよりも、せっかくの私たちの結婚記念日のパーティーなんですもの、気持ちを切り替えて、あなたにも楽しんでもらいたいわ」女は言った。
「うん、そうだね。ぼくらが不機嫌だったら、せっかく集まってくれた友人たちにも悪いし」家主の男は言った。
その時、ダイニングルームにさらに別の男が入ってきた。招待された友人である。
「なんだ、こんなところにいたのか。みんな、主役の登場を待ってるんだぜ。早く来いよ、御寮人さん!」
「ああ、悪い。すぐ行くよ」
間もなく、この部屋は再び無人になりそうだなと、メタモルマンは思った。そうなればまた、人間に戻り、仕事を再開するぜー。
「それと、キャンプファイヤーの薪はもうない? ちょっと派手に使いすぎちゃったかな、もう無くなりそうなんだ」友人の男は言った。
「えーっと、困ったな、それで全部なんだ……」家人の男は少し考えて言った。「じゃ、ここの木の椅子、ひとつ持って行ってくれよ。値段のことは気にしなくていいからさ」
「そうね、この椅子にしてくれればいいわ」女が立ち上がり、今まで座っていた椅子を指さした。「この椅子、どうも古びてジョイントにガタが来てるようなの。勝手にグネグネ動いちゃうのよ。座り心地も気持ち悪いし、みんなが見てる前で、派手に火の中にくべちゃいましょう!」
怪盗! メタモルマン 朝倉亜空 @detteiu_com
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