殿下、御覚悟はよろしくて?

和泉鷹央

第1話 遊びたりない女神様


「ふう‥‥‥っ」


 ノーラはため息をついた。

 机に向かい、周りにいる取り巻きに聞こえるように大きな声を出す。

 案の上、自分の機嫌取りが大好きな彼女たちが、口々にいろいろな反応を返してくれた。

 だが――どれも、聞き飽きた内容だ。


「つまらないわ」

「ノーラ様? どうなさいました?」

「だから、つまらないの。あなたたちのおしゃべりはいつも同じことばかり。誰かが恋をした、誰かが目だって嫌だ、誰かが失敗した」

「え、だって。ノーラ様もその会話に混じられておられましたよ? そんな言い方‥‥‥」

「混じってないわ。聞いて、相槌を打つふりをしていただけ。こんなに程度が低いなんて‥‥‥」

「ノーラ様!?」


 呆れたように言うと、少女は教室の席を立った。

 絹のように細く黒々と輝く長髪が、肩からこぼれ落ちる。

 それと面倒くさいように後ろへやると、ノーラはわいのわいのと文句をがなり立てる雀のような一団にふりかえった。


「付いて来ないで頂戴。あなたたちといると、品性を疑われるわ。ああでも――この二か月間、楽しかったわよ。いろいろと教えて頂きましたし。それは感謝しています、では、ご機嫌よう。皆様」


 この国の王族に連なる少女はにっこりと微笑むと、薄いグリーンの瞳で文句を募ろうとするクラスメイトたちをにらみつける。

 そんな視線は受けたことがない貴族子女たちはひるんで黙ってしまった。

 歩き出すと、その中から二人。

 青い髪と、金髪の少女が後に続いた。


「あなたたち、行かれますの!?」

「やめておかれた方が宜しいのではありませんか? 殿下の覚えが悪くなりますよ?」

「そうそう、あんな方だと思いませんでした」


 口々に制止と心配と悪口にも聞こえる声が投げかけられた。

 二人は白い目でそれまでの友人を見つめると、黙って立つノーラに続く。

 王国の貴族子弟子女が集まる学院で見られた、珍しい光景だった。


 ☆


「あの子たち、殿下って言ってました?」

「言っていましたよ、ノーラ様についていくと殿下の覚えが悪くなるそうです。面白いですね」

「フィルオ、そんなに嫌味を込めて伝えないの」

「だって、アンジュ。あんな頭の足りない連中に付き合うのが疲れちゃって‥‥‥」


 青い髪のフィルオ、金髪のアンジュ。

 二人は大公家令嬢であるノーラの実家に仕える騎士と文官の娘だった。

 年齢が近いこともあり、この学院に三人揃って入学したのだ。

 しかし、三人だけで集まることは、学院内では珍しかった。


「いいの? 父上からは影ながら付いてくるように言われているのでは?」

「構いません、ノーラ様がお一人になるのであれば、その安全を確認しなければ」

「フィルオ、その服の下に隠した剣を抜くことが無いといいですね」

「‥‥‥ご存知でしたか」

「まあ。アンジュから聞いてはいましたから」


 秘密は秘密じゃないんですね。

 男勝りなフィルオは肩を落としてしまう。クスクスと笑うアンジュを横目でにらみながら、フィルオはこれどうしますか、と片手に持っていた書類の束を掲げて見せた。


「そうねえ、殿下の覚えが悪くなってもいいけど。でも、あの人がもう少し賢く遊んでくれたらよかったんだけど」

「賢く、ですか」

「こう見えて、あの方の婚約者だから。心がこっちにない白い結婚だと理解していても、やっぱり嫉妬は覚えるものなの。私、やきもち焼きだから」

「へえ‥‥‥意外でした」

「フィルオ、失礼よ」

「だってアンジュ。こんなノーラ様、滅多に見れないよ?」

「珍獣みたいに言わないで、アンジュ!」


 と、主人であるノーラにたしなめられて、アンジュは口をつぐんだ。

 珍獣、か。

 それも悪くない。

 王太子殿下をどうすれば取り戻せるだろうって、必死に考える婚約者。

 白い結婚、か。

 不幸な未来は回避したいなあ、と願いながらノーラは次の講義がある上階に続く階段を上がっていくのだった。



「殿下、少し宜しいですか?」

「ん? ‥‥‥ノーラ公女。何か用かな?」

「ええ、少しばかりお時間を頂きたいと」

「しかし、いまはこちらのミオン嬢と食事中だ。後にしてくれないか」


 どうも、と会釈する銀髪の綺麗な下級生の少女が、王太子アルザスの隣に座っていた。

 そこは食堂の上級貴族用の特別席。

 周囲からは見えないようにボードで四方を囲まれた場所で、彼はなにをしようとしていたのか。

 

「いえ、大事なことですから。そう、国益に関わることです」

「国益に? なら、仕方ないな‥‥‥」

 

 王太子が立ち上がると、陰にかくれて見えなかったミオン嬢が慌てて足を閉じた。

 彼の手がさっきまでどこにあったのか。

 ミオン嬢の少しだけ乱れたスカートの裾がそれを物語っていたが、想像すると頭が痛くなりそうだから、ノーラはやり過ごすことにした。


「その二人も付いてくるのか?」

「この二人は私の侍女ですから。それよりも殿下、この場で問題ありません」

「ここで‥‥‥? だが、ミオン嬢がいる場では国益の話は‥‥‥」

「いえ、彼女にも関わる話ですから。殿下、こちらの書類の束を読んで頂けますか?」

「変なことを言いだす奴だな、君は。将来、こんなことで大丈夫なのか?」


 ぶつぶつと文句を言いながら、アルザスはまとめられたそれを上からめくっていく。

 次第に赤くなり、青くなり‥‥‥やがて黒く表情が変わった王太子の震える手が最後の一枚までめくるのを見てから、ノーラは声をかけた。


「こっ、これをどこで‥‥‥手に入れた‥‥‥!?」

「最後まで読んで頂けて光栄ですわ、殿下。どこでではなく、噂としてたくさん出まわっています。この学院内に広く薄くですが」

「学院、内に――だと!?」

「はい、殿下。ですから、国益に関するお話と申しました。そちらのミオン嬢がいずれどこかで漏らす前に、ここで止めようかと思いまして」

「ノーラ‥‥‥お前っ、何を考えているんだ‥‥‥」


 笑顔でにっこりと微笑んでいる婚約者が、恐ろしくて仕方ないというように王太子は震えている。

 この報告書のような、いや報告書なのだが。

 学院内の噂を集めたという自分の行いが、事細かに記されているそれは、まぎれもなく国益を左右する。それは王太子にも理解できた。


「いえ、何も考えておりませんわ、殿下‥‥‥いいえ、アルザス。ただ、悔しくて悲しくて怒りたくても物静かにしていなければならない。そんな毎日が嫌になっただけです」

「嫌になっただけなら、こんな真似をせずに黙って待てば良いだろう。お前だって好きな男を探せば、いずれは王妃の席が与えられるというのに‥‥‥」

「そうですね。でも、他の誰かが先に妊娠すればその子は側室ですか? それとも王妃? 第二王妃にしますか? 私の子供が産まれるまで、待っていただけますか? 殿下の愛は続くのですか?」

「いや、それはお前だって理解しているだろう。この結婚は大公家と王家の縁を深めるためのもの。政略結婚だということは。感情など捨ててしまえ」

「‥‥‥出来ません」

「何故だ!?」

「あなたを、殿下。アルザス、あなたが大好きです」

「っ‥‥‥お前。なら、なんでこんな俺を探るような真似をした」


 紙吹雪がブースの中に舞い散った。

 アルザスが放り投げた報告書の束が、床に散乱する。

 ノーラはそれを一瞥(いちべつ)して、悲しそうな顔をした。


「大好きだから、もう嫌になったのです、殿下。婚約を破棄します。これは、大公家第一公女としての命令です」

「はあ‥‥‥。君にはそんな権限は――あるのか。そういえば、そうだな」

「ええ、殿下。王族でもありますし、大公家は自分の領地では国王を名乗る事も許されていますから。王位継承権を持つ殿下であっても、成人を迎えるまでは同格ですわ」

「なるほど。同格だから、好き勝手しました、か。女のくせに‥‥‥」

「女にバレないように、遊んで頂きたかったですわ、殿下」

「さっさと消えろ。従姉妹でなければ殺してやるところだ」

「では、失礼いたします」


 会話の間にフィルオとアンジュが床の書類を回収し、ミオンがそれをにらみつけていた。

 自分とアルザスの仲を邪魔しに来て、しかし、その内容は婚約破棄だった。

 これで自分と殿下の縁が深まると彼女は内心、勝ち誇っていた。

 

「おい、ノーラ」

「はい? なんでしょうか?」

「このことはここだけの話になるんだろうな?」

「それはもう。私も周囲から笑われたくはないですから。そのうち、父上――大公様から陛下に報告が行くかと思います」

「なら‥‥‥まあ、良い。去れ」

「では」


 ノーラを蔑んだ目で見上げるミオンの視線。

 それを背中で受け続けながら、ノーラは心で助言をしてやる。

 あなたもいずれこうしたくなるわよ、ミオン。

 その前に今頃は――陛下と父上が話している頃だろうけど、そう、殿下の廃嫡を‥‥‥

 悪だくみはバレないようにするのが大事ね。

 ノーラは不敵な笑みを浮かべて、侍女たちと共にその場を後にしたのだった。



  ☆


「今回は稼働時間、二か月と三日ですか‥‥‥」

「そうね、フィルオ」

「前回は四か月でしたね」

「そうだったかしら、アンジュ?」

「ええ、そうでしたよ、ノーラ様」

「そうなの? 意外だわ。あの王太子、これからどうなるのかしら」

「さあ‥‥‥」


 未来のことは分かりません、とアンジュが首を振る。

 フィルオが面白そうにその会話を聞きながら、そろそろ帰りましょう、と提案する。


「もう帰らなければいけないの? あと少しだけいいじゃない。アルザスの泣く所を見たいわ」

「‥‥‥ノーラ様。性格悪いですよ、それ」

「だって、久しぶりに愛してしまったんだもの」

「本当ですか? 珍しい‥‥‥」

「たまにはいけませんか? 私だって恋や愛がしたいわ、フィルオ」

「では、それは本業に戻ってからにして下さい。アンジュとわたしはあちらとこちらを行き来してますけど、ノーラ様がいないとあちらも困りますから」

「そう‥‥‥嫌だなあ。本業、退屈なんだもん」


 はあ、とアンジュがため息をつく。

 フィルオがお願いしますと頭を下げて、仕方なくノーラは光の輪を潜った。

 

「本当、損よね。現実世界の女神って‥‥‥自分が作ったゲーム世界のキャラで疑似恋愛することでしか遊べないんだから。まあ、いいわ。今回はアルザスの浮気を集めてざまあ報復できたし。次はどんな未来を与えてやろうかしら。あいつに‥‥‥アルザスって、女神としての本業で溜まったストレス発散には丁度いいキャラなのよね。ね、アンジュ、フィルオ?」

「性格悪い」

「しっ、聞こえるわよフィルオ!」

「やべっ」

 

 そんな、女神たちの会話と共に、現実世界に戻るための扉はそっと閉じられたのだった。

 

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