第50話 覇王

 戦場が一度、一気に静まり返る。微かに聴こえるのは負傷兵や、もうじき息を引き取るベルーラスのうめき声だけだった。ソルはまた負傷兵に気をとられる。しかしそんな気持ちなどすぐに吹き飛んでいく。遠くからゆっくりと、あまりに強大で禍々しい魔力が近づいてきた。

「アクリラ隊、すぐに戦力を見直せ! 覇王だ!」

 アクリラが指揮官のように叫ぶ。いつも何事にも余裕でいるバレンの顔が引きつっていた。

 ソルは叫んだアクリラに焦りをはっきりと感じる。

 徐々に近づく禍々しい魔力は、獰猛で野蛮なものだった。覇王はゆっくりと近づいてくる。覇王には手下を殺された焦りなど微塵もなかった。不気味なほどゆっくりと覇王はソル達に近づいてくる。直属の配下のようなベルーラスも何匹か見えてくる。その魔力もそれまでのベルーラスとは桁違いの魔力を持っていそうだった。

 ゆっくりとやってくる覇王は強い憎しみを纏っていた。

 覇王が巨大なのは魔力ばかりでない。その体躯の大きさは十メートルを超えそうだった。上位クラスのベルーラスが平均五メートルの大きさであるから、覇王の大きさはけた違いのものだった。

 共和国軍の誰もが息をのむ。かつてない恐怖に包まれる。

 覇王は直属の配下を引き連れて、荒野を威風堂々と歩いてくる。ジーナクイス共和国の命運をかけた本当の戦いが始まろうとしていた。

 アクリア隊のうち一人の魔導士官がアクリラの側にやってくる。

「予定通り、覇王以外のベルーラスは我々が戦います」

 覇王に直属の配下がいる予感がアクリラにはあった。

「ああ……、頼む……」

 アクリラは明らかに恐怖を覚えていた。覇王から発せられる魔力に無理もないと魔導士官は思う。覇王の魔力の大きさは誰も知らないものだった。

「ソル、おまえの強化魔法は何分もつ」

 アクリラが隣にいたソルに問いただす。

「ディフィーザとマジフィーザの魔法を私にかけろ。まず私が覇王に突撃してみる」

 ディフィーザは物理防御、マジフィーザは魔法防御の司教魔法だった。

 アクリラの顔が明らかに強張っていた。覇王のあまりの魔力にアクリラは冷静さを失っていた。予定していた作戦では確かにアクリラが覇王と対峙する事にはなっていたが、それはバレンの盾とソルの魔法があるのが前提だった。

「何を言っているんだ、アクリラ! そんなのは無謀だ!」

 ソルは拒んだ。初陣で、しかも一人でベルーラスと戦うだけでももってのほかだった。

「いいから早く強化魔法を私にかけろ!」

「図にのるな! 一人で何ができる!」

 今度はバレンがアクリラを叱責した。腹から響くような怒鳴り声だった。ソルは強化魔法を唱えようとせず、アクリラを強く睨む。

「わかった。私が愚かだった。つい気がはやってしまった」

 二人に強く否定され、アクリラは正気に戻った。

 アクリラの作戦では上位クラスのベルーラスを殲滅させた後、アクリラ達が覇王と戦い、もし覇王に配下でもいれば、それはアクリラ隊が相手をするというものだった。

 ここまではアクリラの読み通りだった。しかし覇王とその配下を前にして、誰もがまさに生きて帰れるかわからないのを覚悟した。

「ここからは私の筋書きに意味がなくなるな」

 遠くからゆっくりと近づく覇王は、散歩でもしているような余裕があった。

 最初に配下のベルーラスが共和国軍のほうへ一気に加速し、突撃してきた。アクリラ隊は即座にそれに反応し、配下のベルーラスに向かってゆく。配下のベルーラスの数は五匹だった。

 アクリラ隊の真の死闘が始まっていく。さきほどの戦闘で魔力を減らしたのが焦りや不安になるが、もはやそんな事を言ってはいられない。アクリラ隊の魔導士官は次々と魔導魔法を繰り出していく。配下のベルーラスも負けずに応戦し、強い魔力のぶつかりあいになる。司教士官は誰がどのトリクルかなど考えずに回復の司教魔法を使うしかない。そんな司教士官が魔法を唱える時にできる隙を守るのが剣士官の役目だ。

 やがて死闘の中を、覇王が悠然と歩いてくる。覇王はアクリラ隊になどまるで興味はない様子だった。

 ソルとアクリラ、そしてバレンと覇王の距離がどんどん縮まってゆく。

「どうしてあいつはアクリラ隊には攻撃をしないんだ?」

 バレンがそう言う。

「どうやら覇王の狙いは我々だけみたいだな。どうすれば簡単に共和国軍が叩けるか、あっちもしっかりわかっているらしい」

 アクリラが言う。覇王に狙われていると聞いて、ソルの顔に汗を感じる。

「待つのか? 行くのか? アクリラ」

「行こう。待っても仕方ない。今度こそ強化魔法を頼む、ソル」

 ソルが聞くと、アクリラは覇王に挑む決断をした。

 ソルは肉体の防御を強化するディフィーザと、魔法攻撃への防御を強化するマジフィーザの魔法を自分と、アクリラとバレンにかけていく。周囲にソルの魔法の青い光が溢れる。それは開戦の合図でもあった。

「強化魔法が切れないうちに行くぞ。走れ、ソル!」

 アクリラが力強く言うと、ソルはバレンと共に走り出す。アクリラはソルの走るスピードに合わせて、空を飛びだした。

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