第46話 決戦開戦

 十月の二日目、決戦の日だった。ソルが目覚めたのは朝三時でまだ世界は暗かった。一時間後の朝四時に降り出した雨は、なかなかやまなかった。

 朝五時。共和国軍は今日の作戦を各部隊に伝え、最終確認を終えた。

 世界が明るくなった朝六時だった。共和国の東の地から、凄まじい魔力が徐々に押し寄せてきた。憎しみに満ちた魔力で、荒々しくもあった。

 獰猛なベルーラスの魔力の気配にソルは圧倒される。血だらけだった幼いアクリラの姿が、ソルの脳裏に蘇る。ソルはごくりと息を飲んだ後、必死に呼吸を整えた。

 まもなく共和国軍全軍が一斉に結界の外に出た。緑豊かな共和国とは違い、結界の外は荒野だった。雨は止みそうにない。冷たい風も吹く、厳しい世界がそこにあった。

 ベルーラスの大群から十匹のベルーラスが先陣をきって、共和国軍に物凄い勢いで突っ込んでくるのが確認される。ベルーラスの体格、魔力の大きさからベルーラスの上位クラスが十匹だった。

 共和国軍はベルーラスの戦力を下位クラス、中位クラス、上位クラス、最上位クラスに分けていた。

「決戦を開始せよ!」

 もたらされた情報を聞いて、法王が力強く号令をかける。上位クラスのベルーラスと戦うのは、共和国の大佐クラスのトリクルだった。

 襲ってくるベルーラスの数とクラスによって、共和国軍のどのトリクルが戦うかはすでに決まっていた。順番が早ければ、戦闘に勝利しても、次の戦闘に回される可能性が強くなる。つまり共和国の先陣はベルーラスと何度も戦い、もはや死を覚悟した者達だった。

 十隊のトリクル、三十人の大佐クラスの士官がベルーラスの先陣に突っ込んでゆく。

 荒野はなだらかに下っている。東の地のほうが低かった。だから共和国軍からはベルーラスの動きが見えやすかった。決戦で共和国軍が有利なのはそれくらいだった。

 雨は激しくなる一方だった。ずぶ濡れのまま士官達は戦場に出る。

 トリクルとベルーラスの先陣はまともにぶつかりあった。ベルーラスは第三段階の魔法を全力で放ってくる。トリクルの魔導士はそれに応戦し、本気の魔力のぶつかり合いが起こる。凄まじい光の連続が荒野に起こった。

「いかんな。ベルーラスのほうがやや強い……」

 決戦で初めて魔力がぶつかり合ったのを見て、大魔導師が呟いていた。

 すぐに先陣の司教が司教魔法を使ってゆく。上位クラスのベルーラスは三メーターもある大きな熊の化身である。しかし体格が大きくても、動きは素早い。ベルーラスの知能は共和国軍のトリクルでは司教を倒せば、そのトリクルを壊滅できるのをよく知っていた。

 上位クラスのベルーラスは、共和国軍が想定していたより、魔力が強く、戦闘に長けていた。

 先陣の戦闘が終る。共和国軍は五匹のベルーラスしか倒せなかった。つまり五隊のトリクルは壊滅させられた。ベルーラスをしとめたトリクルは消耗が激しく、一度回復のために引くしかなかった。

「第二陣、用意!」

 大元帥が号令をかける。まだうろたえる時ではなかった。共和国軍は五隊のトリクルを補充した。その次にはもうすぐ下位クラスのベルーラスが動き出すのを共和国軍は察知し、少尉から大尉クラスのトリクルに戦闘準備が伝達される。少尉クラスの士官はこれが初陣だった。

 先陣のベルーラスを倒した共和国軍は、そのまま下位クラスのベルーラス、八百匹と乱戦になっていく。

 ソルは最高指導者達が戦況を見守る側に待機していた。コルテとフスティーシアは初めてみる決戦を、怯えるように見えていた。ソルの横にはバレンとサビドもいた。ソルは初めて二人が本気で怒っているのを見た。

 決戦が始まり、僅かニ十分で負傷兵が次々と戻ってきた。血だらけであったり、すでに歩くのがやっとの士官もいた。

 負傷兵は最高指導者達の後ろに設営された、救護隊に運ばれていく。

 一人の司教大佐が、魔導大佐を背負って救護隊に戻ってきた。司教大佐が背負っていたのはもう遺体だった。コルテが初めてみた遺体だった。妻の遺体を抱いた事のあるフスティーシアは、腸が煮えくり返るのを感じ、拳に力を入れてしまう。

 ソルは先の決戦でも遺体は見ていた。五歳の時に奇跡を起こした際も、倒れていたアクリラは息が絶えていた。それでもいたたまれない感情にソルはもがくように苦しむ。

 亡くなった魔導大佐にも家族はいる、ソルはその現実を強く感じていた。

 逃げられない、逃げる事は許されない決戦は続いていく。

 五分ほどで遺体を運んできた司教が戻ってきて、救護隊に手当てをされる。

「俺のほかに余った魔導士官や剣士官はいないか? そいつらともう一度戦う」

「何言っているんです。訓練もしていないトリクルでは、壊滅するのが目に見えています。大佐はここを手伝ってくれ」

「俺は司教大佐だぞ。戦える奴が戦わないと、今日の決戦は本当に負けるぞ!」

 心も体も傷ついて戻ってきた司教大佐が、なおも戦おうとしていた。そして司教大佐でありながら、冷静な考えができなくなっていた。それが戦場だった。

 ベルーラスはいつもよりも魔力が強かった。少尉から大尉達の戦いは、どのトリクルも苦戦ばかりだった。しだいに犠牲者ばかりが増えてくる。仕方なく、共和国軍は中佐と少佐クラスのトリクルに号令をかけた。下位クラスのベルーラスに中佐と少佐クラスを戦わせるなど、これまでになかった作戦だった。

 次々と共和国軍に死者が出る。荒野に遺体が何体も転がっていた。

 かつて必死で産声をあげた赤ん坊達が、荒野に散って、この世から消えていた。

 負傷兵も次々と救護隊に戻ってくる。阿鼻叫喚の世界だった。

 ソルは必死に堪えながら、最初は救護隊を見ないようにしていた。だが騒がしくなる一方の救護隊に、ソルの耳は司教として、叫び合う司教士官達の声をどうしても拾う。やがてソルは目を救護隊に釘付けにしていた。

 ソルは司教として、自分の魔法を負傷兵に使いたかった。ソルに苛立ちが積もっていく。もうソルの心は限界だった。

 だがサビドがソルの腕を握り、放そうとはしなかった。

「我慢だ。我慢だ、ソル」

 サビドはそうソルに小さな声で言い聞かせた。ソルは握り拳に力をいれるしかない。参戦というものがこれほど悔しく、心をかきむしる思いにさせられるとソルは思いもしなかった。

 共和国軍の仲間を幾人も犠牲にする戦場にソルは怒り狂いたかった。

 下位クラスのベルーラスを蹴散らした中佐と少佐クラスのトリクルらは、そのまま中位クラスのベルーラスと戦い始めていた。またも乱戦になっていくが、下位クラスのベルーラスと戦闘した分だけ中佐と少佐クラスのトリクルらは魔力を減らしていた。

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