第45話 決戦への緊張

 共和国軍、偵察隊の五人の魔導士官は愕然としていた。

 本来なら共和国軍はトリクルで動くのが絶対だが、偵察隊だけは空を飛べる魔導士官達だけで任務を行う。それはベルーラスが現れる際、空からの偵察が必要だった場合に限る。

 ここ数年、共和国に襲来するベルーラスの偵察が、なぜか減ってきたのに、共和国軍は不吉な予感をしていた。それはベルーラスが戦力を温存するために、偵察に比重を置かないでいるといったものである。小規模な攻撃で徐々に共和国にダメージを与えるよりも、大規模な攻撃で一気に共和国を叩こうとベルーラスは狙っているのではという考えである。また大群で一気に共和国に攻めるなら、もはや偵察はいらないという考えもあった。

 ベルーラスの戦力が整う前に、共和国軍のほうからベルーラスを襲撃するという考えは無謀であった。魔導の泉も共和国政府中枢もがら空きにあるためだった。

 ベルーラスは人間と同じだけの魔力と、知能を持っていた。それは隕石が落ち、魔力が地球に広がったせいである。共和国とベルーラスは心理戦も行っていた。

 今回の決戦に出てきたベルーラスの数は、偵察隊の見積もりでは千四百だった。

 共和国軍が準備できたトリクルの数は千五百である。一匹のベルーラスに一組のトリクルが対峙して、余力は百。これは本当に僅かだった。前回の決戦では余力は六百もあった。

 偵察隊はベルーラスの大軍の多さに愕然とした。

 そしてついに覇王の存在も確認していた。

 夕方に政府の街を出た共和国軍は、夜には結界を出る寸前まで移動していた。大きな馬車の中で、法王、大魔導師、大元帥の三人が最後の合議をしていた。

「勝つとしても、甚大な数の死傷者が出るな」

 偵察隊からの情報に、法王の表情ははっきりと強張る。ベルーラスの数の多さは法王さえ狼狽させる数だった。

「いったいベルーラスは本当に全部で何匹いるんだ? この戦いの後が問題になるぞ。今回の戦いに出てこないベルーラスもいるかもしれないだろう」

 大魔導師もこの時ばかりは、強気にはなれない。

「まずは目の前の戦いに集中するしかない。下手をすれば、本当に明日か、明後日で共和国の歴史は終ってしまう」

 大元帥の推測は大げさなものではなかった。共和国軍が負け、結界が破られる未来が現実味を帯びている。

「幸いなのは、今の結界がそれほど脆くないという事だな」

 大魔導師が言う。ペルフーメが魔力の泉にいるせいなのか、結界の注ぐ魔力がいつもの秋よりやや強くなっていた。それでも共和国軍が敗れ、ベルーラスの大群が結界を襲えばひとたまりもなかった。

 合議は詳細なものへ変わっていく。

 合議が行われた馬車の側にソルはいる。ソルは遠くに見える光る結界を見ていた。ソルは不安な未来を感じる。その不安は自分の心がベルーラスに怯えているのか、本当に言葉を失う未来が待っているせいなのかはわからなかった。

 夜の食料が配給され、ソルはそれを食べていく。明日の朝、結界の外に出て、共和国軍はベルーラスと決戦を行うと伝令が下されていた。

 昼間とは違い、コルテもフスティーシアも無駄口を叩かない。

「ソル、明日のおまえはとにかく我慢をしろ。いいな」

 サビドが近づいてきたかと思うと、そう告げて、すぐに他の任務に動いていく。サビドはずっと忙しく任務にあたっている。その間に何度も、口酸っぱくソルに明日の決戦の際に無駄な動きをするなと言ってくる。

「我慢か……」

 言葉を失う未来をソルは感じる。ソルは強烈な恐怖に包まれていた。

 食後に魔力の森からの使者がソルにアクリラからの手紙を渡してきた。汚い字の手紙の中でアクリラは、考えつく覇王との戦いでのソルの動きを書いていた。その中でソルが全体化の魔法を使う状況も書かれていた。その状況はソルが思いもしなかったアクリラの秘策だった。

 やがて共和国軍から正式なベルーラスとの戦力差がソルにも教えられた。ソルは自分が本当に我慢しなければならないのを理解する。きっと次々と出る負傷者や死者に、ソルは回復魔法を使ってはいけなかった。サビドの言う我慢とは、仲間を見殺しにしろという事だった。

 アクリラが参戦した時に、ソルとバレンがトリクルを組むことになった。アクリラとソルが参戦するのは、覇王と戦う時になった場合だ。

「息など合わなくていい。アクリラの姿をよく見れば、おまえはついていける」

 ソルはサビドから、そう言われていた。ソルはアクリラがどう動くかなど想像もできなかったが、アクリラの考えなら少しは読めそうな気がしていた。

 アクリラとは何度も戦ったソルだが、アクリラと組むのは初めてだった。きっとアクリラは共和国軍の教科書通りの動きなどしないだろうとソルは思った。相手も決まりきった動きで倒せる相手ではないだろうと思っている。

 初の実践がアクリラと覇王を倒す戦いになり、ソルの緊張は嫌でも高まる。

 夜が深まったところで、ソルは草わらの木に体を預け、少し眠っていく。昼間に忙しく動いたせいか、ソルはすぐに眠りの中に入っていく。

「いよいよだな、ソル。怖いか?」

 夢の中でソルは川で釣りをしていた。傍らには煙草をふかした翁がいた。かつての賢者であり、ソルの遠い先祖だった。雲一つない青空の下、澄んだ川で釣りをしていた。

「怖いです。傷つくのも死ぬのも、怖いです」

「この世を、この世に生きる者を愛せば愛すほど、死は怖くなるな」

 実に現実感のある夢だった。目の前の川も、座っていた草の匂いも、高く青い空もソルは感じる。地球のどこかか、異世界のどこかにいるような夢だった。

 ソルの体格は少年時代に戻っている。だが精神は十六歳である。

 賢者とこうして話す夢をソルは何度か見てきた。

 夢の中で賢者とソルは漫然とした話をする。その中にこの世の習わしや、生きるうえでの考えを語り合ってきた。

「わしが死んだのはベルーラスの覇王との戦いじゃった」

 突然そう言った賢者に、ソルは心底驚いた。

「賢者が覇王に負けたんですか?」

「負けてしまったなぁ。といってもとにかくもう齢だった。六十を超えていたからな。若ければ勝てたさ。負け惜しみじゃがのう」

 賢者はそう言うと、にやりと笑った。そんなふうに人を驚かすのが好きなタイプの賢者は、どこかアクリラの性分に似ていた。

「賢者がなくなった共和国は、どうなったんですか?」

「どうもならんさ。今と大して変わらない。わしが覇王にかなりの深手を負わせたから、しばらくは平和じゃったが、また今のようにベルーラスと戦うようになった」

 ベルーラスの狙いは魔力の泉を奪い、共和国が支配する土地を奪う事だった。共和国が支配する土地は、豊かな土地で、作物がよくとれる。ベルーラスが住むはるか東の地は、あまり豊かな土地ではなかった。豊かな土地の奪い合いが今の戦いの起源になっていた。しかし豊かとはいっても、共和国の食料も人が暮らせるだけで精一杯だった。

 魔力の泉を支配している人間を、ベルーラスは憎んでいた。

「賢者の刻印って、何なのですか?」

「意味はない。ただの我が家の家紋だ。ただ魔力を持たずに産まれてきた者には、わしの子孫だと教えるために、肩に浮き出るようにちょっと細工をしただけじゃ」

「賢者の子孫はどれくらいいるんですか?」

「本当はかなりの数はいるんじゃがな。三百人くらいかもしれん」

「そんなにいるんですか?」

「ちょっと女と遊びすぎてしまった」

 顔をかいた賢者に、ソルは呆れてしまった。

「でもそんなにいるなら、なぜ自分やアクリラのような魔法の使い手が、次々と現れないのでしょうか?」

「前に言ったかもしれんが、わしが死んだ後、共和国のかなりの数がベルーラスとの戦いで魔法を封印されてしまったんじゃよ。その封印を解くか、逆にソルがベルーラスの魔法を封印すれば、戦いの歴史は終わる」

 第三段階の司教魔法に、本当は魔力を封印する魔法と、封印を解く魔法があった。賢者とソルは何度もその話をしていた。全体化の魔法に目覚めたソルは、本当であれば次にはその二つを覚えなければならなかった。ベルーラスの魔法を封印し、共和国にとって不毛な戦いを終わらせなければならなかった。

 しかし時間があまりになかった。

「別にわしの子孫でなくても、封印を解けば、人間はいつかベルーラスを全滅させられる。全滅させなくとも、ベルーラスの魔力を封印すれば、平和は訪れるさ。わしも後一歩じゃったが、無茶をして殺されてしもうた」

 賢者は自分が死んだ事を笑って言う。

「しかしソル、明日の決戦は気をつけろ。明日やってくる覇王は、想像するより難敵だ。アクリラにもその事を伝えておけ。まぁ、アクリラは言わんでもわかりそうじゃが」

 ソルは賢者にしっかりと頷いた。

 そこで夢は終る。

 ソルが目覚めて一時間後、共和国軍にはまずい事に雨が降ってきた。ベルーラスは雨など関係ないが、人間には雨は不利だった。服が濡れ、動きが鈍る。

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