第43話 二人

「落ち着いて、ヴィーダさん」

「だって決戦なのに、どうして士官候補生のソルさんが帯同するんですか? ソルさんは決戦でいったい何をするんですか?」

 ヴィーダは軽く狼狽していた。

「落ち着いて、ヴィーダさん。大丈夫、大丈夫だから」

 ソルは思い切って、ヴィーダの手を握った。ヴィーダは目の前にソルがいる今の現実に戻る。ヴィーダは両手でソルの片手を握り返した。

「怖いんです……、とっても」

 ヴィーダはまたうつむく。

「私、ソルさんの事をずっと前から知っていました」

「ちょっとした有名人になっちゃったからね。五歳の時に」

「違うんです。私も士官候補生になる十四歳の時より前に、法王様から直に魔法の講義や指導を受けていたんです。ソルさんが訓練した魔法陣の間で、私も訓練をしていました。十歳ぐらいだったソルさんと何度も廊下ですれ違ったり、ソルさんが神殿の庭で本を読んでいる姿を見ました。法王様から直々にソルさんの事を色々聞かされていたんです」

 ソルは驚いた。確かに法王の神殿で誰かとすれ違った記憶はあるが、神殿は共和国軍の将官クラスの士官や神殿を管理する者達が出入りしていて、誰とすれ違ってもそんなに気にはしていなかった。神殿に入るには資格がいるが、神殿内にはそれなりの人がいつもいるからだ。

「ソルさんはいつもどこか苦しそうで、何かに辛そうにしているように見えました。自分の運命の過酷さに耐えているんだと法王様が話してくれました」

 誰かに守られて生きる運命から、誰かを守る運命に変わった、その運命にソルはまるで慣れる事ができかった時期だった。

「ここにソルさんが住むと、ある日バレンさんがやってきて言ったんです。でも初めはソルさんだと教えてもらえなかったんです。男の士官候補生を住まわせてほしいとしかバレンさんは言わなかったんです。ちょっとしたバレンさんの悪戯だったんです。父は困ったし、私は猛反対でした。男の人は昔から父と法王様以外怖くて、絶対嫌だとバレンさんに言ったんです。でもバレンさんはこの家で万が一の時に、その男の人を守ってほしいとしつこく言うんです。軍の命令だとは言っても、誰なのかがなかなか教えてもらえませんでした。一カ月ぐらい、私はその話に悩みました。母の病院に逃げようかとも考えました」

 ソルと握り合った手を見ていたヴィーダは、顔を上げ、ソルの目を見つめた。

「そしてやっとバレンさんからソルさんの名前が出た時、私は心の底から安心して、同時に恥ずかしくなりました。急に何も言わなくなった私を見て、けらけら笑ったバレンさんの顔が今でも忘れられません。バレンさんの魂胆にひっかかって、見事に私の気持ちは皆にわかってしまったんです」

 ソルは見つめてくるヴィーダにどうしていいかわからない。ヴィーダはソルの手をしっかり握っている。

「私、わかりやすいみたいだから、ソルさんにどう思われるか不安でした」

「全然わかりませんでした」

「でも出会ったソルさんはちょっと残念でした。昔から何も変わらずに、魔法と自分の世界にしか興味がないみたいなので」

「ご、ごめんなさい。少し意識はしたんですが……」

 慌てたソルにヴィーダは少し和めた。ヴィーダは握ったソルの手を離そうとしない。

「嘘ですよ。残念だったけど、良かったです。ソルさんがまだなんでも一生懸命の少年みたいな人でいてくれて、本当はそっちのほうが嬉しかったんです」

 そう言ってヴィーダは微笑む。ソルは恥ずかしさで胸の鼓動を早くしていた。

「私、この半年、幸せでした。ソルさんと一緒に暮らせて」

 まるで今の生活が終るようなヴィーダの台詞であった。

「大丈夫ですよ。俺は帰ってきますから」

 力強くソルは言い切る。

 ヴィーダは手を握るだけではなく、だんだんとソルに顔を近づけていた。女の扱いを知らないソルでも、だんだんとヴィーダの気持ちがわかってきた。恥ずかしさに耐えながら、ソルも少しヴィーダに顔を近づけてみる。

 ヴィーダは目を瞑った。

 ソルも顔を傾けて、いよいよヴィーダに顔を近づけ、目を瞑る。

 ソルはヴィーダの口の端にしか、自分の口を合わせられなかった。ソルは失敗に動揺しながらも、少し顔をずらそうとする。その何も知らない、たどたどしさがヴィーダにはたまらない。ソルが顔をずらして、二人の唇はやっと重なる。

 長いキスを二人は交わしていく。息をどうしていいか、二人はわからない。一度苦しくなって、離れて、笑い、息を整え、またキスをする二人がいた。

 若い二人の、初めてで長い、決してうまくはないキスが続いていく。二人はお互いの体に自分の腕を回していく。抱き合いながら二人はベッドに倒れ、そのまま終わらないキスが続いていく。

 朝が来るまで、ヴィーダはソルの部屋から出ようとはしなかった。

 朝が来てしまっていた。決戦の朝だった。ソルは目を覚ますとヴィーダはベッドの横にソルがいつも座っている椅子を置き、そこに座りながらソルの手を握っていた。ヴィーダが微弱なリストーロの魔法をかけていたせいで、ソルは短い時間だったが快眠できていた。

 ベッドから起き上がったソルを、ヴィーダは一度強く抱きしめる。

「朝御飯、作ってきます」

 ヴィーダはそれだけ言うと、脱いでいた衣服を着てからソルの部屋から出た。一度自室に戻ったヴィーダは昼間の衣装に着替え直す。

 ヴィーダが階下に降りると、メンテがコーヒーを飲んでいた。今朝はソルのために自分が朝食を作ると、ヴィーダはメンテに何度も言っていた。

「もう少し、ゆっくりできたんじゃないか? まだ時間はあるぞ」

「大丈夫よ。決戦が終れば、ソルさんも少しは暇をもらえると思うから」

「そうだな。ゆっくりと休んだ方がいいな。ソルも、そしてヴィーダも」

「今朝の食事は失敗できないから、頑張らないと」

 ヴィーダはそう言うと、かまどに火をつけていく。

「今日はわしが馬の世話をしておこう」

 メンテはそう言うと、よく晴れた秋の空がある外へと出ていった。

 台所で動くヴィーダの目には涙が光っていた。

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