第42話 前夜

 もう秋風の吹く季節になっていた。九月の終わりだった。明日は十月だった。

 秋になるこの時期、共和国を守っている結界はもっとも弱くなる。それは魔力の泉の魔力がなぜか弱まるためであった。年に一度、必ず魔力の泉は夏が終わるのを惜しむかのように弱まってしまう。すると結界の外で隙を伺っていたベルーラスが、結界を破ろうと大群で襲ってくる。

 ベルーラスの目的は魔力の泉の奪還であり、共和国で獲れる食糧であったり、人間そのものへの恨みであったりした。

 九月の最期の日、結界が今年一番弱まった日、ベルーラスの大群が近づいているという情報が共和国軍に入った。数少ない勇猛な共和国軍の偵察隊が調べた、確実な情報だった。

 魔力の泉ではアクリラやペルフーメ、魔導士官達が力を合わせて、結界に魔力を送っていたが、さすがに共和国を守れるほどの魔力は結界に送れなかった。

 十月最初の日に共和国軍はほぼ全軍で結界の外に出て、ベルーラスを迎え撃つ決戦の決断を今日行った。全軍が出るということは、敗れれば共和国の滅亡を意味していた。士官候補生も集められ、もし共和国軍が壊滅し、結界が破られる事態になった場合に備えるよう軍令が出された。士官候補生達には魔力を持たない者らと逃げ延びる事が軍令だった。

 共和国軍が壊滅した場合、共和国の人々はとにかく世界各地に逃げるように言われている。しかし共和国には逃げる事ができない人々もいる。そういった人達はどうなるかわからない未来を受け入れるしかなかった。

 ソルはフスティーシアと共に共和国軍への帯同を特別に命じられた。コルテという男の魔導士官候補生がペルフーメの代わりに、ソル達とトリクルを組んで、訓練を行っていた。珍しく礼儀正しい魔導士だったが、魔法の才能はまだそれほど開花してなかった。

 九月最後の日は共和国中が慌ただしかった。共和国軍は戦う準備に追われ、魔法の使えない者も逃げる準備をしなければならなかった。ソルも昼間、サビドの指示の下で動いていた。

 夕方、進軍する準備は終っていた。ソルはひとまず魔力の森に帰り、明日の進軍までゆっくり休むようサビドに命じられた。

 ヴィーダとメンテも逃げる準備を一応していた。逃げるための用意をした荷物が置かれていて、ソルはそれを見た。

「逃げろと言われてもな。とりあえず明日はアルマの病院に行くしかないな」

 いつものように三人で食事を始めたが、誰もワインは口にしなかった。

 ベルーラスの大群は共和国の東よりやってくる。共和国軍は結界を出た東の地でベルーラスを迎え撃つ。魔法の使えない者は共和国南西の港から逃げ、そのまま海を渡れば、他の国へ逃げる事は確かにできた。しかし共和国の航海技術はそれほど高くなく、船の数も国民全員が逃げるにはとても足りていなかった。

「海に出ても、国に残っても、生き残れる確率は低いな」

 メンテが一人でぼやいていた。

「アルマは母親や赤ん坊は船に乗せても、自分は乗らないと言っているしな……」

 ソルもヴィーダもまるで口をきかなかった。

 ソルは食べ終えると、しばらくメンテの話を聞いていたが、ヴィーダに何も言わないまま自室に引き上げてしまった。

「これでいいのか、我が娘? 明日、ソルは軍に帯同するんだろ?」

 メンテはじっと見つめながらヴィーダにそう聞いたが、ヴィーダは口を開かない。

 やがて台所の片づけが終ると、ヴィーダも自室へと向かっていった。ヴィーダもメンテにろくに言葉を口にしなかった。

 もう季節は秋だったが、その夜は少し蒸し暑かった。ソルの部屋の窓からはきれいな月が見えていた。ベッドに横たわりながら、ソルはその月を見つめていた。

 ソルは産まれてから今日までの日々を振り返っていた。色々な事がありすぎた日々を、ソルはぼんやりと頭に浮かべていた。

 なかなか眠気がこない夜だった。ソルはきちんと眠ろうとしてみたが、やはり明日からの決戦が一番気がかりで、どうする事もできなかった。

 ソルがベッドに横たわって、どれくらい経ったろうか。ソルの部屋の扉がやや開いた。ソルが音のした扉のほうを見ると、寝間着姿のヴィーダが部屋の中を伺っていた。ソルとヴィーダは目が合った。するとヴィーダは観念して、ソルの部屋に入ってきた。

「どうしたんですか?」

「ソルさんを襲いにきました。女なのに、はしたないですね」

 ヴィーダの冗談にソルは笑う。ソルは起き上がると、ベッドの端に腰かけ、ヴィーダにも座るよう促した。ソルの配慮にヴィーダは素直に応じる。

「月がきれいですよ」

 ソルは恥ずかしくて、ヴィーダの顔が見られない。

「そうですね……、とってもきれい」

 ヴィーダも月を見る。ヴィーダは月と、月の光に照らされたソルの横顔を見られた。

「なんとなく、ソルさんの寝顔を見たかったんです。さすがにもう寝ていると思って……」

「起きていて良かったです。俺の寝顔なんか、いいもんじゃないですよ」

「それでも見ておきたかったんです」

 二人はしばらく月を眺め続ける。

 ようやくソルはヴィーダのほうに顔を向ける。ヴィーダがうつむいていた。

「怖いんですね」

「はい、とっても……。決戦ですから」

 この三年間、結界に割れ目ができる度に、ベルーラスは偵察を何回か送ってきたが、大規模に共和国を襲ってはこなかった。最近のベルーラスは昔のように小規模な攻撃は起こさず、共和国を襲ってくる時は必ず大軍できていた。そしてそれは必ず三年周期であった。

 もし覇王が今度の決戦に出てくれば、決戦は死闘になる。この数年でベルーラスの偵察隊にやられた士官の数の、何倍もの数は死者がでるだろうと予想されていた。

「ソルさんは本当に戦わないんですか?」

「コルテもフスティーシアも士官候補生だから、戦闘は無理ですよ」

「じゃあ他の、士官の魔導士や剣士と組むとか」

「いきなり実戦でトリクルを組むのは無謀です。息が合いませんから」

「じゃあ、どうしてソルさんが帯同するんですか? もしもの場合は共和国の人間は海なんかに逃げなきゃいけない。どうせ逃げるなら、ソルさんが他の国に逃げたほうがいいです」

 ヴィーダの指摘は鋭かった。実は内密にベルーラスの大群の中に覇王がいたという情報がソルに伝えられ、アクリラと剣士官バレンとトリクルで戦えという軍令が下りていた。明朝、魔力の泉からの使者がアクリラの作戦をソルに伝えに来る手筈になっていた。

「それにアクリラさんが参戦すると聞いています。もしかして……」

 アクリラが参戦する事は早くから決まっていた。しかしヴィーダは覇王の事までは聞かされてない様子だった。ソルは覇王の事をヴィーダには言えなかった。言えばヴィーダを不安にさせるからだ。ヴィーダはソルが心配で、ソルの帯同に疑念ばかり吐く。

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