第39話 アルマの後悔

 ソルがその病院に来てから三日目の夕刻だった。その日も色んなお母さん達に魔法を使ったソルは、すっかり疲れていた。三日間でゆっくりする暇などなかった。ソルはやっと少し眠れていた。

 ソルが目を覚ますと夕刻が夜になっていた。アルマがパンをかじりながら、コーヒーを飲んでいた。

「今夜はまだ、陣痛の始まったお母さんはいないわよ」

 僅かな休息の時間、気を抜いているアルマだったが、表情が暗かった。

 医師の部屋はソルとアルマだけだった。

「私はね、ヴィーダの育て方を間違って、ヴィーダをとんでもない目に合わせたの」

 唐突にアルマはヴィーダの話を始める。

「ヴィーダは私の子供で、やっぱり魔力を持って生まれてきたの。父親のメンテは普通の人間だったけど、そんな事は関係なく、ヴィーダの魔力は強かったわ」

 アルマは優秀な子供を産んだ喜びのようなものを微塵も感じさせなかった。

「だから大切に育てた。特別何をしたわけでもないけど、あの子は誰に対しても謙虚で、動物が大好きで、そして何より物凄い怖がり屋だった。虫でも幽霊の話でも、怖い話と聞くと逃げ出す子だった」

 アルマの表情は本当の後悔を滲ませていた。

「魔法園でも、魔法学校でもとても優秀だった。あの頃の私は馬鹿で、そんな事が嬉しかった。そしてヴィーダもソルと同じように法王様が直々に導いてくれたの。それからヴィーダは十四歳で司教士官学校に入学する事になったの」

「十四歳?」

 法王の側で導かれながら、ソルはそんな話を全く聞かされてなかった。

「そう、十四歳。私は誉れ高い気分になったわ。でもメンテは猛反対した。ヴィーダは戦場に出られるような子じゃない。虫にすらあんなに怯える子供が、戦場に出ていいはずがないって。私はヴィーダはすぐに大人になって、戦えるはずだと思った。メンテの意見なんて、いつまでも親バカの意見だと思った。でも猛反対したメンテが正しかった」

 とうとうはっきりとアルマは苦渋な顔を見せた。

「ヴィーダは私の言う事を聞いて士官学校に入学して、士官学校も優秀な成績で卒業したわ。そしてね、三年前の決戦にヴィーダも参戦したのよ。僅か十六歳でね」

 ソルは唾を飲み込んだ。

「ヴィーダはベルーラスと対峙したわ。そして何もできなかった。ベルーラスの凶暴さ、獰猛さに体が動かなくなったの。ヴィーダのトリクルは男の魔導士官が一人で戦う事になって、男の剣士官がヴィーダの手を引いて、ヴィーダを逃がそうとした。魔導士官はベルーラスにやられた。そしてベルーラスは剣士官とヴィーダに追いつき、剣士官もすぐにやられてしまった。ヴィーダも死ぬところまでやられてしまった。ただ運良く、他のトリクルが戦いを終えて駆け付けたのよ」

「つまりヴィーダさんだけが生き残ってしまった」

「そう。生き残ったヴィーダは心が駄目になった。魔法を使おうとするだけで、涙を流すようになった。メンテは激昂した。法王様に会いに行こうとしたし、私とは離婚だと言った。当たり前だわ。メンテはそうなるのを予想して、猛反対したのだから」

「じゃあ、メンテさんとは?」

「ヴィーダのおかげで離婚はしなかった。離婚だけはやめてくれとヴィーダが頼んできたから。でも私はもうあの家にはいられなくなった。でもヴィーダはなぜか今も司教士官として司教隊に所属しているの」

「どうしてですか?」

「それはわからないけど、隊に残りたいと言い出したのはヴィーダなの。ある日法王様と謁見した後、戦う事はできないが隊には在籍したいと言ったらしい」

 その意図がソルにはまるでわからなかった。

「きっとヴィーダにもヴィーダなりにやりたい事があるんだろう」

 それはアルマの推測でしかなかった。

「まぁ、話はこんなところで勘弁してね」

 そう言ったアルマはひどく話し疲れた様子で、またパンを食べ始めた。これ以上ヴィーダの事を語りたくはないようだった。パンを食べ終えたアルマはベッドに横たわった。

 一人になったソルは窓から月を眺めながら、心を痛めたヴィーダを思うしかなかった。

 ソルが病院に来てから四日目の事だった。ヴィーダがソルの着替えと手作りの弁当を持って、病院を訪れていた。ヴィーダはなんとなく病院の消毒液の匂いが充満した空気が、笑顔の裏で誰もが必死で生きているその場所が好きだった。アルマから軍人ができないなら、自分の仕事を手伝ってはどうかと聞かれた事があった。嫌ではなく、代々続いている出産の仕事をやりたいとも思った。でも今は法王から頼まれた事に専念したかった。

 昼過ぎに医師達の部屋の前にヴィーダは辿り着く。ここには毎週のようにアルマに届け物をしているので、ヴィーダにはよく知った場所だった。ただアルマがソルにどこまで自分の事を話したのか、それが気がかりだった。

 扉をノックして、ヴィーダは部屋の中に入っていく。アルマと男の医師が一人いた。ヴィーダは男の医師とはよく話す仲だったので、気にはならなかった。

「あれ? 今日は来る日じゃないじゃない」

「ソルさんの着替えを持ってきたのよ。それとお弁当。どうせここじゃ、ソルさんはまともな食事をとってないだろうから」

「若いから、食べなくても大丈夫だよ」

「若いから、ちゃんと食べさせるんです」

「まるでソルの奥さんみたいな口ぶりだな。早く本当に結婚しないのか?」

 アルマはカルテを見直していたが、そう言ってヴィーダを冷やかした。ヴィーダはそんな事では動じない。

「ソルさんのお母さんに頼まれていますから。それにまだそんな関係じゃないし」

 ヴィーダは堂々とそう言った。

「それでソルさんには私の事をどこまで話したの?」

 ヴィーダはお喋りなアルマが話さないわけがないと思っていた。

「おまえが十四歳で士官学校に入学して、三年前の決戦で心が折れたところまでだよ、安心して、おまえが五年も前からソルに惚れている事や、ソルだから下宿を許している事、それに今も法王の魔法陣に通っている事は言ってないから」

「ちょっと言いすぎじゃない!」

「どこがよ。自分じゃ言えない事でしょ。どうせおまえが司教隊の少尉なのは隠せない事実だし、心が折れたきっかけは私が話したほうがいいだろう」

「別に母さんのせいじゃない。私が未熟だっただけよ」

 そう言ったヴィーダだが、少し視線を落としてしまった。

「それでも親として私の責任だった」

 アルマは真っすぐにヴィーダを見つめてそう言った。

「それにしてももう秋になるぞ。そういう関係じゃないってなんなの?」

「なんなのって…」

 ヴィーダは今度、少したじろいだ。

「おまえがソルに惚れていて、司教隊もソルにおまえがふさわしいと思ったから、二人の結婚を前提に暮らしているんだろ。ソルの両親もおまえを認めている。それなのに全然、結婚に向けた話が進まないと聞いているぞ」

「ソルさんは忙しいんです」

「そんな事を言い訳にするな。もう一緒に暮らして半年になるんだぞ。話が進まないようなら、自分から体でも何でも使え。まさか十九にもなって、体を使う事に抵抗があるのか? ソルが忙しいならおまえ一人で結婚の準備はすればいいだろ」

 ヴィーダは何も言えない。ソルとヴィーダは司教隊も公認の仲だ。ただソルもそれに気づいているものの、ヴィーダとの未来を意識すらしてなかった。

「どうせソルにもきちんと自分に惚れてほしいと思っているんだろ?」

 アルマはヴィーダの胸の内をしっかり理解していた。

「そんな乙女心もいいが、もたもたしているとソルを他の女に取られるかもしれんぞ。士官学校にも女はいるし、ソルの気持ちまでは司教隊は縛り付けておけんからな」

「わかってます」

「わかっているなら早くしろ。共和国が十五歳から結婚できるのは、人生が短いせいだ。五十を過ぎれば病気で死ぬのが当たり前だからな。人生はあまりに短い。後一年で結婚できないなら、司教隊も私も色々考えるぞ。ソルを他の女と暮らすようにするとかな。ソルは戦場に出る事が宿命だ。だからこそ早く自分が守る家族がソルには必要なんだよ」

 厳しい母の言葉ばかりでヴィーダは逃げ出したかった。自分の事を勝手に話した事を怒るつもりが、ヴィーダは反対にひどく怒られていた。

 ヴィーダもソルの寝室に飛び込もうと考えた事はあった。そっとソルの部屋を覗いた事もあった。ソルは真剣な顔をして、夢中で魔法の本を読んでいた。今のソルは士官候補生の世界にいる。その苛烈さをヴィーダは身をもって知っていた。

 つまりソルの精神の邪魔をヴィーダはしたくなかった。

「体を使うのが嫌なら、結婚してくださいの一言で済む話だろ。私もメンテの事を周りがどう言っても、私と結婚しろと自分から言ったもんだ。まぁ、魔力の強いおまえが産まれて、私よりおまえの心を掴むのがうまいメンテを見て、周りは掌を返したけどな」

 その話をヴィーダは何度も聞いている。

 しかし気の強いアルマとは違い、臆病なヴィーダがソルにプロポーズできる勇気はまだなかった。でも司教隊が二人を引き離す事はありそうだった。

 やがてアルマは医師の仕事に戻っていった。ヴィーダは一人でソルの事を考えていく。

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