第40話 再会

 しばらくしてソルが医師の部屋に戻ってきた。士官学校から帰宅した時よりもぐったりと疲れた顔をしていた。ひどく汗もかいていた。

「あれ? なんでヴィーダさんがここに?」

「着替えと食事を持ってきたんです」

「ありがとうございます。下着は近くで買えたけど、何枚あっても足りないから。ヴィーダさん、ちょっと目を瞑ってください。すぐ着替えるので」

「更衣室まで行かないんですか?」

「ちょっと疲れて、面倒なんです。更衣室はここから遠いので、時間がなくて」

 そう言うとソルは白衣を脱ぎ、堂々と着替えていく。しょうがなくヴィーダは目を瞑る。いつも紳士なソルが、ここの多忙さで小さな事に無頓着になっていた。そんなソルがヴィーダは少し嫌で、少し頼もしかった。

「すぐ食べていいですか? 朝に食べただけで、おなかペコペコなんです」

 下宿に住み始めた頃のソルはヴィーダにおどおどしていた。ヴィーダも内心はソルと暮らすのが恥ずかしかった。だんだんお互いに慣れたせいか、それともソルが急激に頼もしくなったせいか、ソルはヴィーダに自分の感情を出しやすくなっていた。

 ソルは嬉しそうにヴィーダの作ったお弁当を食べていく。そこだけは子供のままだった。そんなソルの顔を見られて、ヴィーダは心底幸せを感じる。

「午前中は何をしていたんですか?」

「朝の五時から出産だったんだよ。三時間ぐらいで産まれてくれたけど、お母さんが出産直後に体力を使いすぎて危なかったから、ずっとリストーロをかけていたんです」

 ソルの魔力が消耗しているのをヴィーダははっきり感じていた。

「こんなに士官学校を休んで大丈夫なんですか?」

「サビド教官はいいと言ってくれたみたいです。士官学校の勉強でちょっと問題なのは戦闘訓練と戦法論だけなんだけど、それはバレンさんとの訓練のほうが役に立っているし、正直、士官学校の講義も少し退屈なんです。戦場医術はここのほうが身につく感じです」

 あっけらかんとソルは言った。

「でも司教隊の偉い方が怒ったりしませんか?」

「体裁があるから怒っているらしいけど、法王様とサビド教官が味方だから、なんか強く言えないらしいです。司教隊も仕方なく、誘拐された俺の代わりを探しているみたいです」

 きっとアルマはこうなると読んで、ソルをここに置いたとヴィーダは思った。

 僅か四日間、ソルの帰って来ない生活をヴィーダは寂しく思っていた。

「サビド教官なんか、一カ月ぐらい誘拐されていろと言ったみたい。まぁ正直、ここの四日間のほうが士官学校より激しい毎日なんです。緊張の連続だし、魔力をこんなに使う毎日は初めてです。でも色々ありすぎてまいったりもするけど」

 ソルの口から「まいる」という表現をヴィーダは初めて聞いた。士官学校の生活を話した時にはそんな弱音を言った事はなかった。

 ヴィーダは自分の寂しさを口にはできなかった。ソルのために魔力を回復するマジリスの魔法を使いたかったが、魔法を使う際の涙をソルには見せたくなかった。

 それからソルは、産後に体が弱っているお母さんがリストーロを待っていると、再び出ていった。十五歳ながら無尽蔵のような魔力を持つソルは、かなり重宝されていた。誰もいなくなった医師の部屋を少し掃除して、ヴィーダは森の家に帰っていった。ヴィーダの脳裏に今日もたくましくなったソルの姿が刻まれた。

 ソルがアルマに誘拐されて一週間後、病院を見上げるビエントがいた。ソルの親友であるビエントは、高等魔法学校の夏の試験でトップになっていた。傷を治すグラリスとリストーロの魔法を第二段階までしっかり使えるようになっていた。

「フェルナンド・ビエントと言います。ソル・ゴンザレスの代わりに高等魔法学校から参りました」

 ビエントは病院の受付にそう話した。年配の女性事務員が出てきた。

「あらら、来ちゃったの? 来なくて良かったのに」

「来なくて良かった?」

「ずっとソル先生にいてほしいからね。決戦にはここから行けばいいのに。それにまだ高等学校の生徒じゃないかい」

 ビエントは完全になめられてしまい、ひどく腹をたてる。

「ソル先生は回診中かい?」

 女性事務員は他の事務員に聞いた。

「昨日の一件以来ひどく落ち込んでいて、中庭で休んでいます」

「そうだったわね」

「昨日の一件?」

 ビエントはソルが何かやらかしたのかと思った。

「担当していたお母さんが出産直後に亡くなったのよ。ソル先生のせいじゃないけど」

 ビエントは一瞬で青ざめた。

 ソルは病院の中庭でせっせとしゃがんで草をむしっていた。頭にずっと浮かんでいるのは、亡くなったお母さんの顔だった。最初からアルマに忠告されていた。ここではお母さんも赤ん坊もすぐ亡くなる事があり、それは避けては通れない事だと聞かされていた。

 ビエントが近づくと、ソルはすぐに気づいた。

「ビエント、どうした? 彼女が妊娠でもしたのか?」

「そうじゃない。おまえの代わりにしばらくここで働くように言われたんだ」

「そうか……。いいのか悪いのか……」

 ソルが何を言いたいのかビエントはまだわからない。

「まぁ、いいさ。ここは人手不足でかなりやばいからな」

 しゃがみながら草をむしっていたソルは立ち上がる。

「なんだかたくましくなったな、ソル。口調とかが大人になった」

「そうか? 自分じゃ何も変わってないと思っているけど。色々あったからなぁ」

 ソルはこの半年で会った事をビエントに話した。ビエントの平穏で退屈な高等魔法学校での生活と全く違い、ソルの半年はビエントには衝撃の連続だった。

「でもここの一週間が一番衝撃だったよ」

 その時のソルは感情を抑えていた。その顔はあまりいい表情ではなかった。

「でも落ち込んでいられないな、色々と」

 決戦があり、覇王が出てくるという噂はもう共和国軍全体に広まっていた。本来は出陣するはずがない士官候補生のソルだが、司教魔法の全体化が進めば、軍はソルを使おうとするだろう。もしそうならソルが守る命は無数にあった。

 ソルはしゃがんでいた状態から立ち上がり、青空を見上げる。

「ビエントはまだまだ魔力が足りないな。そこが一番厄介そうだ」

 ソルは一目見て、一瞬でビエントの課題を見抜いた。まだ第三段階の魔法に取り掛かれない事より、そのほうが医師としてこれから働く場合に問題になりそうだった。

「すごいな。なんでもお見通しかよ」

「なんとなくだけどわかるようになってきたんだ。人がどれくらいの魔力を持ち合わせているかが」

 そういった能力は特殊なものではなく、能力の高い司教や魔導士なら自然に身につくものだった。

「ここにも魔法陣はあるから、俺と少し頑張ればいいか」

「ソルと訓練できるのか?」

「もう隠す必要はないし、事情が事情だからな。病院にもしばらく使ってない魔法陣があるんだ」

 半年会っていなかっただけなのに、ソルは少尉にでもなったようにビエントには見えた。

 二人で病院に入り、ソルはアルマにビエントを紹介した。

「なかなかいい目をしているわね。魔力がまだ弱いのもいいわね」

「魔力が弱いのが?」

 ビエントがアルマの言葉に疑問を口にした。

「元々の魔力が弱いなら、努力でなんとかするしかない。その努力という試行錯誤は人間を大きくしてくれるのよ」

 アルマは即答した。とりあえずビエントはソルについて働く事になった。ソルはもう一週間病院に残り、ビエントの指導をする事をアルマが司教隊と掛け合った。

 すぐに出産の現場に立ち会う事になったビエントは、なぜソルが厳しい顔になってしまったのかを理解できた。母親達の戦場にビエントも放り込まれた。

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