第37話 真実のヴィーダ
もう日付が変わる頃だった。大きな部屋のドアが静かに空いたかと思うと、細身のやや背の高い女性が立っていた。その女性がアルマだった。アルマは疲れ切っていたが、いい疲労感を感じているのか笑顔だった。
「お待たせ、ソル。こっちの赤ちゃんは無事に産まれたわよ。お母さんも無事。でもかなり消耗しているから、朝起きたらお母さんにリストーロをお願いね」
「朝ですか?」
「しばらくここにいなさいよ。訓練なんてどうでもいいから。しばらくここを手伝ってよ」
「えっ?」
「えっ、じゃないでしょ。ここがどういう場所で、人手不足なのはわかるでしょ。ソルは私達の指示通りに魔法さえ使ってくれればいいから」
「それじゃあ、士官学校は?」
「どうでもいいじゃない、あんな訓練。ベルーラスを倒すには実戦で経験を積まなきゃ無理よ。訓練なんか、雑魚の士官候補生のためのものだし。だいたいどうせソルはもう第三段階の魔法は極めているんでしょ。無駄な時間よ」
「戦法論や軍法学など、知らない事はまだたくさんあります」
「あなたの教官は誰?」
「サビド教官です」
「サビドさんかぁ。まぁ堅物だけど、人の話はよく聞いてくれる人だから大丈夫よ」
「でも、それじゃあせめて士官学校に連絡は?」
「護衛の人にでも言っておけばいいわ。とにかく私の言う事を聞いてちょうだい。いい? 人手不足だからあなたは私に誘拐されたの。覚悟して」
「誘拐!」
「そう誘拐。ソルを誘拐したと聞いたら、気が利かない司教隊も、しぶしぶ誰かを派遣してくれるでしょうから」
アルマの唐突な発案に、ソルは度肝を抜かれた。そんな大それた考えができる人物はなかなかいない。それに士官学校の訓練をどうでもいいと言ってのける人物は、アルマが初めてだった。
アルマとヴィーダはよく似ていた。しかし内面はそれほど似てなかった。
「十五年ぶりね。ソル」
「十五年ぶり?」
「あなたは私が取り上げたのよ。シエロは健康でお産をするには理想的な体型だったけど、ソルを苦しんで産んだのよ。ソルはなかなかお腹の中から出てこられなかったし、出産の後のシエロはひどく疲弊していたわ」
シエロの初産、ソルが誕生した時に立ち会った医師がアルマだった。
「ところで何しに来たの? 聞いたんだけど、忘れちゃったのよね」
どうやら多忙なアルマにとっては、これからソルが全体化の魔法を極めようとするのも、大した事ではなさそうだった。ソルは全体化の魔法を極めるために、自分が宇宙より大いなるものに守られている事を悟る必要があると伝えた。
「宇宙より大きなものか。ここに来たって事は……、お母さんの子宮かな?」
アルマも机のパンを食べ始めていた。束の間の休息時間に腹ごしらえをしていた。パンはそのために誰かが運んできていた。
「お母さんの子宮……、ですか?」
「ぴんとこないのね。男なら無理もないか。だってお腹の中に自分の子供が、人間ができるのよ。眼には見えない粒と粒とがぶつかって、人間になって大きくなっていくの? 私が不思議なのはね、どうして本当に小さな命をお母さんのお腹は育てられるんだろうって事。それって星が存在できる宇宙に似てない?」
この時代も宇宙の研究はされていた。
ソルは人体の仕組みぐらいは魔法学校で習っていた。言われてみれば、宇宙と女性の子宮はよく似ていた。
「似ていますね、確かに。じゃあここでお母さん達の出産に立ち会っていれば、自然と何かが掴めるかもしれませんね。司教魔法は自分を守ってくれているものと精神的につながる事ですから」
ソルの飲み込みの早さにアルマは驚いた。魔法の才能よりも、その飲み込みの早さがソルを成長させているのだろうかとアルマは思った。
「ここはとにかく忙しいから、覚悟してね」
アルマはソルを優しく脅す。
ソルにはさっきから疼いていた疑問があった。それをアルマにぶつけてみた。
「アルマさん、もしかして司教隊にいましたか?」
「ヴィーダを妊娠した二十四の時までね。二回ほど決戦にも参戦したわ。退官した時の階級は大尉よ。共和国の女の司教士官は、出産したら医師に専念する道も選べるのよ。うちは代々お産を専門にした医師だったから、私は迷わずこっちを選んだのよ」
共和国で第三段階の魔法を使える医師は、女医か、年配者が多かった。
「じゃあ、もしかして……、本当はヴィーダさんも?」
「とっくに気づいていたんじゃないの? ヴィーダも一応まだ司教隊の司教士官で少尉よ。今もソルの世話をするという任務を受けている。冗談じゃなくてね。もしもヴィーダが何の能力もない能無しだったら、司教隊はソルと一緒に暮らす事なんかさせなかったわよ。ソルが大きな怪我でもした時には司教魔法の使い手が必要じゃない」
下宿の魔法陣の間をソルが住むまで誰が管理していたのか、その謎が解けた。
「なぜヴィーダさんの任務はそうなったんですか? ヴィーダさんの若さならまだ士官候補生のはずです。それがもう少尉という事は……」
「その話はおいおいしてあげる。まずはソルも少し休みなさい。私も一度見回りをしたら、休むから。大丈夫、ちゃんと話はしてあげる。今夜は忙しくなりそうなのよ。ソルの魔力を回復させられる司教はいないんだから、休める時に休みなさい」
そう言ったアルマは話を打ち切り、巡回に行った、ヴィーダの謎が一気に気になりだしたソルだったが、アルマがいなくなってはどうする事もできない。
素直に空いていたベッドに勝手に横になったソルだが、うまく眠れるはずもなかった。
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