第36話 本気のソル
ソルとアルマが会ったのは、夏の暑さがピークの日だった。虫の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。共和国のとある病院の、医師の部屋にソルはいた。大きな部屋は散らかっていて、いくつかある机もベッドも汚れていた。途中で清掃員がそのベッドを直しに来た。
「あなた、誰? 新しい先生かい?」
清掃員は訝しげにソルを見つめた。
「司教隊士官学校候補生、一年十五番、ソル・ゴンザレスです」
名を問われてソルはしっかりと名乗り、敬礼した。
「こんなおばさんに敬礼しなきゃいけないなんて、士官候補生さんは大変ね」
清掃員の中年の女性は大笑いした。ソルはその笑いが収まると、アルマに会いに来た事を話した。
「ちょっと掃除を手伝ってくれる? アルマ先生なら当分ここに来ないわ。あなた何時にここに来たの?」
「二時半です。三時に来てほしいと言われました」
「残念ね。二時から産気づいた妊婦がいるって聞いたから、たぶん夜までアルマさんは来ないわよ。下手すりゃ、明日の朝かも。さっき聞いたのよ」
「えっ!?」
「そんな驚かないでよ。ここは赤ん坊が生まれる所なんだから」
清掃員はそう言ってまた笑った。明日も士官学校で訓練があるソルは、夜までには下宿に帰らないといけなく、本当に困ってしまった。
ソルは清掃員と片づけをしていた。五時を過ぎていたが、清掃員以外誰も来なかった。
大きくドアが開けられる音がした。看護婦が一人、ぜいぜいと息を切らしながら立っていた。看護婦は部屋を見渡すが、医師の姿がないのに青ざめた。
「アルマ先生は? あなた誰? アルマ先生はまだ戻ってないの?」
ソルは首を振った。
「先生なら二時から出産に立ち会っているわよ」
清掃員が答えた。
「グラリスの魔法が必要なの。今出産したお母さんが血だらけなのよ」
「グラリスですって?」
清掃員も病院で働いているせいか、魔法の名の意味がわかったようだった。グラリスは傷を治す魔法だった。
「司教隊の応援を呼んだら?」
「そんな時間はない。アルマ先生を呼んでこないと」
そう言って走って消えた看護婦だったが、すぐに戻ってきてソルの手を握った。
「魔法が使えるなら、早く言いなさい! 何やっているの! お母さんが血だらけなのよ! 走って!」
看護婦に引っ張られ、ソルは言われたように叱られながらも病院の廊下を走った。
病院にある分娩室の一つにソルは駆け込んだ。分娩室は床が血だらけで、半裸の女性が横たわっていた。一人の医師らしい男が第二段階程度の傷を治す魔法、グラリスを使っていたが、だどたどしく弱弱しい魔法だった。
「駄目だ、俺の魔力じゃ間に合わん! なんだ、そのガキ! アルマ先生は?」
「グラリスを使って、早く!」
ソルはまた怒鳴られた。ソルは怖気づけながら魔力を解放させていった。
「どこを治せばいいんですか? 傷?」
血だらけの女性のどこから出血しているのか、ソルにはまるで見当がつかない。
「お腹の中から出血してる! お腹の中だ! 早くしろ! できるなら全開でやれ! お腹だ! 子宮がやばいんだよ!」
男の医師にも怒鳴られながらソルは血だらけの女性の下腹部に手を当てた。事態が事態だけにソルは遠慮せずに魔力を全開にした。部屋がソルの魔力で壊れそうになる。
女性の出血は、時間はかかったが止まった。だが女性は尚も苦しそうだった。
「今度はリストーロ! 早く!」
ソルはまた怒鳴られながら、自分の魔力の半分を本気で使うほど、体力を回復させるリストーロを使い続けた。それほど魔法を本気で使ったのは、ソルにとっては初めての経験だった。やがて女性の容体は持ち直した。
夜になっていた。なぜ医師の部屋にベッドがあるのかをソルは理解した。自分もそこで休みたいと思うほど、ソルは疲れていた。
先程、分娩室でソルを怒鳴った男の医師がその部屋に戻ってきた。
「先程はありがとう。おかげでお母さんの容体は安定しだしたよ。君がいてくれて、本当に助かったよ」
そう言うと男の医師はソルに紳士的に握手を求めた。鬼気迫る顔をしていた分娩室とは全く別人になっていた。
男の医師はいつの間にか机に置かれていたパンを食べ出し、ミルクを飲んでいった。ミルクとパンはソルの分も用意されていた。男の医師はソルの事を知っていた。アルマに聞かされたと男の医師は話した。怒鳴り散らしていたのが嘘のように男の医師はソルに丁重だった。
「あの復活の魔法は使えるの?」
「復活の魔法を使えたのは五歳の時、一度きりです」
「やっぱりそうなのか。残念」
男の医師の顔はあまり残念という感じでもなかった。それから男の医師はソルに何度も謝りながら、ベッドで眠ってしまった。
また静かな時間が大きな部屋に流れていく。月がはっきり見える夜だった。
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