第34話 謁見の間
共和国政府の中枢に法王の神殿という場所があり、さらにそこに謁見の間という場所がある。そこにはいつも清らかな水が流れ、きれいな植木鉢の花々が所々に置かれている。白い大理石で作られた神殿のその謁見の間にソルはいた。魔法学校に通っていた頃は法王の書斎や、法王が認めた者だけが使える魔法陣の間で法王に会えていたソルだったが、共和国軍の司教隊士官候補生となったソルはもうそれらへは入れなかった。今法王に拝謁できるのは謁見の間に指定されていた。
法王は水が流れる謁見の間で花々に水をやっていた。ソルは法王の側で片膝をついて、首を垂れて法王に敬意を示していた。そうする事は士官候補生になってからだった。
ソルが初めて会った時の法王はまだまだ生気を漲らせていたのだが、ここ数年で法王は一気に老いを見せていた。
「齢はとりたくないな、ソル。最近はなぜか体のあちこちが痛くなってな」
十年前から長かった法王のひげが、一段と長く、そして白くなっていた。
「アクリラにだいぶんやられたようだな」
「軍の訓練と聞きました。不意をつかれました」
「そうか。確かに正式な軍の訓練だったが、あれを提案してきたのはアクリラだ」
ソルは何かおかしいと思っていたが、やはりそういう事だったのだと理解した。
「ペルフーメにはやりすぎにならないか心配していたが、ソルにはいい薬だと思ってな」
法王は平穏で澱みない精神をいつも崩さないが、その奥に厳しさを秘めている。その時も厳しい声で話をした法王だが、奥底には笑みがあった。魔力の泉から帰ってきたソルの顔つきが、また一段大人の男に近づいていたからだ。
「アクリラがくるとわかっていれば、勝てたのか、ソル」
そう問われてソルは法王に言える言葉がなかった。
「ソルならわかっていると思うが、ベルーラスもまた不意をついてくる」
法王は花々に水をやり終えると、今度は剪定を始めた。
「問題はアクリラにひどくやられたことではない。いつ全体魔法、全体化の魔法に目覚められるかだ。どうなのだ、ソル。その気配はあるのだろうか?」
アクリラは全体魔法と言っていたが、法王は正しく全体化の魔法と呼ぶように指定した。
「少しなら……」
「少し? どれくらいなのだ」
ソルの答えが意外だった法王は、ソルに顔の向きを合わせた。ソルは片膝をついたままだった。法王はソルが全体化の魔法に目覚めるのにはまだかなり時間を要すると思っていた。
「イメージは出来上がっております。実際に仮の対象に向けて、傷ついた小動物にですが、試しに使っています。しかし第一段階の全体化は可能ですが、第二段階になるとまだ魔法をかけられる範囲にぶれがでます」
「そうか……」
法王の眼差しがまた厳しく真剣なものになった。ソルが第一段階の全体化には成功しているという話が、本当かどうか、その真偽を確かめないといけないと法王は考えた。
法王は歩き、神殿の中心にあった椅子に座った。ソルは法王が席についてから、法王の前に移動し、また片膝をついた。
「今、見せてもらえるか。リストーロの全体化を。私は少し疲れているからちょうどいいだろう。ソルも毎日の訓練で疲れているだろう。私とソルに同時に第一段階のリストーロをかけられるか?」
「はい」
ソルは朝からの訓練で本当に疲れていた。法王も朝からの執務が老体に堪えていた。しかし魔法は無駄に使ってはいけないのは魔導士官と司教士官の鉄則だった。司教士官は自分に魔法を使うのも軍法では本来許可がいる。
「始めます」
ソルは法王にそう言うと集中力を上げて、魔力を解放していく。法王と自分とを思う心が整うと、一気に魔力を上げて魔法を唱える。
「コム・リストーロ!」
ソルは第一段階の体力の回復魔法、その全体化に確かに成功していた。法王とソルの体力が確かに回復していた。その回復力に法王は感心する。自分の体が軽くなるだけでなく、確かにソルの生気も回復したのが感じられた。
「なるほど、見事だ」
法王はソルにしっかりと頷いて見せた。笑顔など滅多に見せない法王の頷きは、確かな称賛を表していた。
共和国軍司教隊では誰も使えない、全体化の魔法にソルはもう目覚めていた。
「何をイメージし、全体化の魔法に目覚めた、ソル」
魔法を使うには、強いイメージが何よりも大切になる。例えると司教魔法なら誰かを助けたい一心が必要になる。
「色々なイメージを試してみましたが、全体化の魔法を使えるようになったのは、空や宇宙、泉や森など、自分を守るできるだけ大きなものを想像しているうちに使えるようになりました」
「なるほどな」
それを気づいたソルに法王は感心した。
「そのイメージが大切だと、いつ気づけた」
「この間、魔力の泉から帰ってきてからです。魔力の泉の行くまでに見た空や雲、改めて見た魔力の泉の清らかさや、父と話し込んだ翌朝の夜明けの空が心に染みこみ、魔力の泉から帰ってくると瞑想の中にも流れ込んでくるようになり、気づけたんです」
ソルの答えは魔法論理に適合していた。自分を守っている存在を思えば思うほど、魔法や魔力は強くなってゆく。
「して、第二段階の魔法の全体化はできそうか?」
第一段階の回復魔法は体力をやや回復させ、第二段階の回復魔法は体力を半分ほど回復させられる。そして第三段階の司教魔法は体力を全快にできる。だから第一段階の司教魔法を全体化したところで、戦場では使いどころが難しい。
「もっと大いなるものをイメージしていけばとしか言いようがありません。それが何なのか、掴めそうで掴めそうにないんです」
「宇宙よりも大いなるものか……。何か手掛かりはありそうか?」
法王に問われて、ソルは口籠った。ソルは法王から視線を外してしまった。十年もこうしてソルを教育している法王が、その行動を見落とすわけがなかった。
しばらく二人の間に沈黙が続いた。法王は何も言わない。もう手掛かりをソルは掴んでいると確信し、ただじっとソルの答えを待った。
仕方なく、ソルは口を開いた。
「なぜか瞑想には最近、母や下宿先のヴィーダさんがイメージで流れこんできます」
その答えを聞いて、法王は沈黙した。第三段階の魔法までは人を思う強さ、全体化の魔法からは宇宙のような大いなるものを思う強さが必要となるのは明白だった。その大いなるものの一つとしてなぜ母やヴィーダが出るのか、法王にもすぐには掴みどころがなかった。瞑想に流れ込んでくるイメージには、明瞭な答え、魔力の源となる根源が秘められている。
ソルが女を意識し始めたのかせいかと法王は考えたが、その程度の答えではないとすぐに打ち消した。宇宙のような大いなるものへの繋がりが、異性への意識では片づけられない。
「他にはないのか? 流れ込んでくるようなイメージは」
法王は深く考えてみたが、答えを出せなかった。そうしてソルにもう一度問い質した。
「なぜか、フロールさんが。ペルフーメのお母さんです」
シエロ、ヴィーダ、フロール。その三人の共通点を法王は探した。ソルも共に考えるが、まだ女性の事を法王の前で考えるのに恥じらいを覚えるほうが早かった。
「ソル、アルマには会った事はあるのか?」
「アルマ? ヴィーダさんのお母さんですよね。一度も会った事がありません。そもそも何をしているのか、それすら聞いておりません」
「アルマに会ってみるといいかもしれない。今のわしにはそれしか言えん。アルマはこの国の出産を取り仕切っている医師だ」
「医師? 出産?」
ソルには法王の答えがなぜそうなのか理解できなかった。
ともかく法王の命なら、ソルはアルマに会うしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます