第33話 心に溜め込んでるもの
ペルフーメの次にはソルへの説教だった。それはひたすら長かった。いつベルーラスと戦う事になってもいいように準備をしておけ、全体魔法はいつ使えるようになる、そもそも士官になる覚悟が希薄すぎるなど、とにかくアクリラはソルの弱点を細かく分析した。ソルは耳が痛かったが、この時のアクリラはとても真摯で適切なアドバイスをソルに伝えるので、ともかくソルは耳を傾けるしかなかった。
アクリラはとにかく全体魔法を使えるようにと厳しく言う。
長い説教が終わる頃、アクリラが魔法陣の中央に座っていた。
「久しぶりに見せてやるよ、ソル。私の本気よ」
「いいよ。もうわかっているから」
「まぁ、そんな遠慮するなよ。前よりもまたすごいものを見せてやるからさ」
そういうとアクリラは魔法陣の中央に向かっていく。アクリラの表情がそれまでの陽気なものから一気に真剣なものに変わる。アクリラはまだ魔力を解放していないのに、物凄い気迫をソルとペルフーメに伝える。
アクリラもソルとペルフーメと同じように魔法陣に座るが、その佇まいは威風堂々としていた。
アクリラが瞑想を始める。魔法陣の間が一度静まりかえる。そして魔力の解放に近づくと、アクリラの表情がまた一変して、ソルとペルフーメが畏怖を覚えるものとなる。
海が穏やかになるような一点がアクリラの精神に訪れる。アクリラが魔力を解放する。その魔力はソルとペルフーメが恐怖を覚えるほど強大なものだった。広い魔法陣の間の温度が灼熱となり、眩い光が充満する。頑丈にできていた魔法陣の間と建物が震動する。その魔力はそれからも増幅し、ついに魔力の泉辺り一帯が揺れるほど大きくなかった。
共和国でも最も立派で頑丈に作られた魔法陣の間も、アクリラの魔力をそこに留めておけなかった。
ペルフーメはこの世の恐ろしいものでも見た顔になっていた。動悸が起きて、しばらく収まらなかった。実戦訓練で襲われた時も、アクリラがかなり手を抜いたのをペルフーメは理解した。
もう魔法陣の間から三人とも引き上げようとした時だった。
「なぁ、アクリラ。なんでアクリラはこんなにすごいに、男なんかに現を抜かすの?」
「お子様だな、ペルフーメは」
アクリラはペルフーメを小馬鹿にするが、ペルフーメがそれを嫌がる様子はない。
「男と女が愛し合うのは、この世の一番の喜びなんだよ」
「そう男に騙されて、遊ばれているだけじゃないの?」
「大人になればペルフーメもわかるさ」
「そうかなぁ」
アクリラはペルフーメを鼻で笑ったが、ペルフーメは顔色を変えない。
「だって男は馬鹿な生き物じゃない。女に弱くて、戦い以外は家の事がまるでできない。寂しがり屋で常に誰かと自分とを比べる知性がない生き物だろ。それなのに傲慢だし。男が女に媚びるのはいやらしいだけだし。お母様なんて馬鹿な男がとにかく嫌いで、私が産まれてからお父様に指一本触れさせてないよ」
アクリラはあっけにとられた。十歳のペルフーメだが、男の馬鹿さ加減を熟知してきた。
「自分より下等な生き物のために、裸になるのがいいの?変な格好もするんでしょ」
ペルフーメはアクリラの精神を無邪気に叩きのめしていた。
「本当に、フロールさんは旦那と寝てないのか?」
「私とは一緒に寝てくれるけど、お父様は駄目だよ。男子寝室に入るべからずが、我が家の家訓だし」
アクリラは軽い衝撃を受けていた。確かにシエロや他の女から「男なんていい加減、よしなさいよ」と言い聞かされていたが、まさか十歳のペルフーメにここまで言われるとは思わなかった。不意をつかれたアクリラのプライドに軽くひびが入った。
「それにね……」
まだ何か言おうとしたペルフーメの口をソルが塞いだ。アクリラが怒りで震えていた。
食堂に戻るとフスティーシアがワインを飲みすぎて潰れていた。眠りながら、フスティーシアは涙を流していた。
「溜まりに溜まっていたよ、ソル。フスティーシアはあの悲しみを忘れてない」
潰れたフスティーシアを見守りながら、テレノが言った。
「フスティーシアの心はなんか麻痺している。昔は酒や女に溺れるような奴じゃなかった。まして士官を目指すような奴でもなかった。ソルみたいな平和主義者だったのによ」
テレノはまるで何かを訴えるかのようにワインを飲み続けていた。テレノが言うのはソルが最初の奇跡を起こした惨劇の事だ。
「あの時は俺もおかしくなったよ。アクリラは殺され、ソルも命が危なくなったからな。あの時から何もかも変わっちまったけど、俺にはお前達が生きている今がある。それだけでいい」
あの時からテレノはアクリラとソルをただ見つめるだけの、優しいが厳しくできない父親になってしまった。
その場からペルフーメをアクリラは引き離し、遠くであの惨劇の事を話した。
二人きりになったテレノは、ソルにワインを差し出した。十五歳になったソルは酒を飲んでも許される。
「今度の決戦、ソルも戦うのか?」
「わからない。まだ士官候補生の身分だから本当ならそれはないけど、でもいつだって軍の上層部は急に何かやりだすから」
「そうか。俺はあれから弱い父親になっちまったよ。アクリラの成長は見守れたが、ソルには何もしてやれなかった」
「父さんは父さんだったよ。弱音を言っても聞いてくれなかったし」
「それくらいしかできなかった」
テレノとソルが酒を飲み交わしだしたのは黄昏の頃だった。やがて夜がきても、二人は酒を飲み続けた。目を覚ましたフスティーシアも、再びワインを飲みだした。
「テレノさんと会ったら、やっぱりあいつを思い出してしまった。いや忘れた日なんて一日もなかった。あいつとの結婚式は村中で祝福されて、もちろんテレノさんも祝福してくれた。テレノさんは男らしく頑張れって言ってくれました」
虚ろな目でフスティーシアはワインを飲み続ける。
「今じゃ子供までいるのに、それでもあの頃に戻りたくなる。おかしいだろ?」
そう問われてソルは首を振った。
「僕もあの頃が一番幸せだったよ。ずっと家族で暮らせると思っていた頃が」
男達のワインの飲み交わしは深夜まで続いた。一番先にソルが潰れて眠り、次にフスティーシアがまた潰れてしまった。
「死ぬなよ、おまえら」
二人の寝顔にテレノが呟いた。
翌朝、ソルとフスティーシアは帰路についた。ペルフーメはそのまま魔力の泉に残り、修行をしながら、結界に魔力を送る日々を送るという。数日後にはフロールも呼ばれるという。
ソルとフスティーシアには護衛の魔導士官が一人ついた。ペルフーメの無邪気な笑顔があった。何かを心配するテレノとシエロのいつもの顔があった。何かを言いたそうなアクリラと、真っすぐにソルを見つめてくるクレエールの眼差しがあった。
「神の加護と己を知りましょう、ソル」
クレエールのその言葉に背中を押されて、ソルとフスティーシアは歩き出した。
決戦への坂道をソルとフスティーシアを歩き出した。まだ軍の上層部はソルに何も告げていないが、今度の決戦はかなり激しくなるという噂はすでに広まっていた。ベルーラスの群れが決着をつけようと相当な大群でくるという噂もあった。アクリラからも全体魔法を覚醒させるよう急がされ、ソルもいよいよ決戦に自分も参戦する気持ちになりつつあった。
あの惨劇を思い出せば、ソルは自分がいかに平和の中で生きているかに気づく。この時からその平和を守ろうとソルはただそれだけを思うようになっていく。
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