第31話 賑やかな食卓

 泉の側にはレンガ作りのやや大きい建物が二つ建てられていた。どちらも余裕で三十人の人間が暮らせそうな建物だった。一つの建物は赤く塗られ、もう一つは白く塗られていた。

「ここで皆、何をしているの?」

「共同生活をしながら、共和国を守る結界に魔力を送っているんだ。他にも時間があれば、皆魔法の修行をしているんだよ。本当はね」

 ペルフーメが質問し、ソルが説明した。建物はきれいに庭が作られ、草がきちんと刈られ、窓が光るほど磨かれていた。

 整然とした建物は一種の威厳のようなものを発している。

 ソル達は白いレンガの建物の中に入っていく。建物の玄関にも警備の魔導士が立っていた。

 開け放っていた玄関の扉を通ると、一人の背の低い老婆が立っていた。少し背中が曲がっていたが、目の力が強い老婆だった。

「お久しぶりです、クレエール様。ただいま到着致しました」

 ソルは跪いて深々と頭を下げた。

「ソル、この人は誰なの?」

 ソルの変わりようにペルフーメが聞いた。

「十年前、魔導元帥だったお方です」

 魔導元帥は大魔導師の次の地位だった。慌ててペルフーメとフスティーシアも跪き、ソルのように深々と頭を下げる。

「やめておくれ、皆。もうとっくに退官した身だよ。今はただの婆さんだよ」

「今も姉のアクリラに指導をしてくださっているじゃありませんか」

「老後のただの道楽じゃよ」

 クレエールはペルフーメに近寄った。

「フロールの具合はどうだい、ペルフーメ」

 クレエールから母の名が出た事にペルフーメは驚いた。

「お母様を知っているんですか? もうすぐ病院を退院します。まだ通院しないといけないと言っております」

 ペルフーメもさすがにクレエールには丁寧な口調になる。

「フロールは私の配下だった時期があってな。まだペルフーメが産まれる前の話じゃが。なかなか優秀だと思ったが、もう中将まで昇り詰めるとは思わなかった。まぁ、積もる話になるから、後にしよう」

 ペルフーメは若き日の母の話を聞けると知り、目を輝かせた。

「法王様の様子はわかるかい、ソル」

「病気ではないというのですが、最近は体力の衰えが激しいようです」

「そうか。それは仕方ないね。老化には魔力でも抗えないからね」

 クレエールは法王の衰えをすぐに受容してみせた。

「ともかく奥で食事にしよう。ソルの両親とアクリラが待っている」

 ソル達は建物の廊下を進んでいき、食堂に案内される。食堂は広く、大勢の者で食事ができる大きさだった。食堂のテーブルの側の椅子にシエロが腰かけ、クレエールと同じような老婆と談笑していた。テレノは食堂のキッチンに立ち、若い魔導士と何やら談笑しながら料理を作っていた。

「あらま、ソル、いらっしゃい。ずいぶんとかわいい子を連れてきたわね」

「久しぶり、母さん。トリクルの仲間の魔導士官候補生のペルフーメだよ。こちらが剣士官候補生のフスティーシア」

「待っていたのよ。いらっしゃいませ」

 シエロの穏やかな目元と優しげな口調はすぐにペルフーメを魅了する。なによりソルとアクリラの母親という存在を急に意識してしまうペルフーメがいた。

「ペルフーメ・ガルシアです。今日はよろしくお願いします」

「フスティーシア・カシージャスです。どうぞよろしくお願いいたします」

 ペルフーメとフスティーシアはシエロやそこにいる魔導士官達に丁寧にお辞儀をする。

「お腹すいているでしょう。まずは食事にしましょう。今日は父さん達が作る魔導隊伝統のカレーよ」

 シエロは陽気で、魔力の泉でも元気であった。むしろ久しぶりにテレノと暮らしているせいか、ソルと暮らしていた時よりも快活であった。

 食堂の長いテーブルにカレーが次々と並べられていく。食堂にカレーのいい匂いが充満していた。テレノは料理が得意で、子供の頃はテレノの料理をよく食べていたのをソルはそこで思い出した。

 ソルの両隣にテレノとフスティーシアが座り、ペルフーメの両隣にクレエールとシエロが座った。ペルフーメはちょっとしたパーティのような雰囲気になにやら楽しそうにしていたが、フスティーシアはかつての魔導元帥や現役の魔導士が集まってくるのに、ひどく場違いな気分でいた。

 皆が揃って着席したところに、アクリラが登場した。アクリラは淡い薄紅色のドレス姿で、胸元が大きくはだけていた。スカートもさすがに下着のところは隠されていたが、シースルーで長く白い足が透けて見えていた。まさに不埒な格好だった。

 ソルはアクリラに何か言いたかったが、口を開かない。もう魔導士達が集まっていたし、言って聞くなら男をたぶらかす性質はとっくに治っていると思ったからだった。

 神への祈りを終えると食事が始まってゆく。食堂は一気に騒々しくなった。

 テレノはフスティーシアがひどく気になるようだった。

「何年ぶりだろうな、フスティーシアと会うのは」

「あれ以来ですから、もう十年ぶりですね。本当にご無沙汰していました」

「後で一杯やらないか? どうせアクリラはフスティーシアには用はないだろ」

 テレノはアクリラのほうを一瞥した。シエロの横に座っていたアクリラは「何もない」と首を振った。

 ペルフーメは大勢での食事を楽しんでゆく。隣のクレエールに何か質問される度に、よく考えて、丁寧に説明していた。主に母のフロールの事を聞かれていた。

「ヴィーダさんとはうまくやっている? ソル」

 シエロがソルに質問してきた。

「別に普通だよ。失礼がないようにしているよ。今言わないでよ」

「そうじゃなくて、ソル。なんか進んでいないの?」

 ソルは最初からなんとなく周りがヴィーダを近づけてくるのを感じていたが、シエロの言葉にやはりそのためにヴィーダと暮らしているのだとはっきり理解した。周りはあまりにも露骨になってくる。しかしソルは男女の仲を進める思考や感情がまだ全然育っていなかった。

「母さんまでそんなふうに焚きつけるのかよ。何もないよ。訓練でそれどころじゃない」

「いいじゃない、焚きつけても。ソルもヴィーダさんもいい歳じゃない。それともヴィーダさんじゃ、不満なの?」

「不満とかじゃなくて、焚きつけられても困るんだよ」

「まだまだ子供だな。ソルは」

 アクリラが話に入ってきた。

「俺の事より姉さんの事のほうが先だろ。もう十八なんだからな」

「私は決意さえすれば、明日にでも結婚できる。心配するな」

「もう誰と結婚するか決めているんだ」

「それは言えないな。残念だが」

 騒々しかった食事の席がいったん止み、若い男の魔導士達がアクリラに意識を集中させていた。アクリラが誰を選ぶのか、気がかりでならなかった。

「まだ決めてはいないが、色々考えてはいる」

 男の魔導士達の視線にアクリラは圧倒されて、言い直した。

「とにかくヴィーダさんはいい人らしいな。もたもたするな、ソル」

 まだヴィーダに意識が足りないソルは、皆にいじられている気分にしかならなかった。しかしこれ以上自分の気持ちを言ったところで、誰もそれを聞かないのは明白だった。

 ソルなりにヴィーダを意識していたが、意識すると体が熱くなる感覚が嫌で逃げていた。ソルはまだ意識して女に近づくのに、熱が高くなって動けないままだった。

「それとも他に気になる女でもいるのか?」

「そんなのいるわけがないよ」

「じゃあもたもたするな。それも大事な男の仕事だ」

「わかったよ。だからもういいだろ。こんな恥ずかしい話」

 アクリラはやれやれと思っていた。内気で恥ずかしがり屋の五歳の頃から変わらないソルに、姉として発破をかけていた。

 それからはその話題はなくなり、皆それぞれ好きな話題を提供していった。大家族のような雰囲気だった。特にペルフーメがその雰囲気を楽しんで、はしゃいでいた。


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