第28話 初陣

 ペルフーメはまたほうきにまたがりながら、ふわふわと浮いていた。別に魔導士官が浮く事など珍しくないのだが、その魔導士官がまだ子供となると話は違った。

「いつから飛べるようになったの? お嬢様」

 ソルがペルフーメに聞く。

「三年前ぐらいですわ。七歳の時だったと思うの」

 さすがのソルもそれを聞いて驚愕した。アクリラでさえ浮くようになったのはつい最近の十六歳になってからだ。天才児と共和国の上層部から形容され、我儘が許される理由が、ソルにもわかってきた。

 そんな天才児だからこそ、高慢になりすぎているのだろうとソルは思った。それと同時にその高くなった鼻をへし折ろうと、上層部がこの訓練に何か仕組んできそうだなとソルはそんな事を考えた。

 ペルフーメは陽気に鼻歌を歌っていた。どこまでも陽気な少女だった。ソルとフスティーシアはその陽気さが怖かったが、口で言ってペルフーメが聞く耳を持つとは思わなかった。ペルフーメの陽気さで、訓練への緊張感が吹き飛んでしまいそうだった。

「このまま歩いてどのくらいかかる? ソルの下宿も森の中なんだろ?」

 フスティーシアがソルに聞いた。

「いつも下宿まで一時間はかかるから、一時間半ぐらいかな。森の北西側は深いから」

 ペルフーメは歌を歌うのに夢中で、まるで二人の話を聞かない。

「士官学校で人工のベルーラスの話は聞いたのか? ソル」

「詳しくは教えてもらえませんでした。やっぱり訓練だから」

「やっぱり、そうなんだな。俺も同じだよ。ただ大きな犬くらいだってぐらいしか教えてもらえなかった」

「大きな犬?」

 ソルは疑問の目をフスティーシアに向けた。

「どうした? ベルーラスは獣の化身だから、それくらいはあるだろ」

「そうじゃなくて、ずいぶんと小さいんですね。やっぱり人工のベルーラスはそんなものなのかなぁ。三年前の大戦の時に見たベルーラスは、ライオンよりは大きいベルーラスばっかりだったけど」

「ソルは本物のベルーラスを見た事があるのか!」

 フスティーシアはその事実に驚愕した。ソルはただの見学だったと話したが、十二歳の少年が戦場にいた事がフスティーシアには信じられなかった。

「本物のベルーラスはライオンよりも大きいのか……」

 その事実を確かめたフスティーシアは、自分の体が少し硬直するのがわかった。

 ソルはそれよりも大きい、像よりも大きいベルーラスがいるのをアクリラから聞かされていた。

「二人とも怖がりなのね。私の魔法であっという間に倒すから大丈夫ですよ」

 ペルフーメは話を聞いていないようで、実は話を聞いていた。

 季節はもう初夏だった。森の緑は青々とし、よく茂っている。森の西までの道は草が刈り取られて、それなりに歩きやすかったが、それでも森の中の道に変わりなかった。歩くたびに体力が奪われる。浮いているペルフーメだけが楽だった。

 太陽が一番高くなる頃だった。その日の暑さは真夏のようにじりじりと暑くなっていく。

 それまで飽きもせずに歌を歌っていたペルフーメが歌をやめ、ソルはフスティーシアとの会話をいきなり中断し、周囲に意識を集中させる。魔力を持つ者は自分以外の魔力を持つ存在を察知できた。

 どこかからか、ソルとペルフーメが今まで感じた事がなかった、邪悪な気配の魔力が三人に狙いを定めていた。

「もうすぐ来る、フス」

 ソルがフスティーシアに伝える。きっと人工のベルーラスなのだろう。邪悪な気配はゆっくりとソル達に近づいてくる。

 先程までの陽気なペルフーメはどこにもいなかった。ペルフーメは今まで体感した事のなかった邪悪な気配に息を飲んでいた。初陣を戦う者はまずベルーラスの邪悪さに圧倒される。

「お嬢様、フス、いくよ」

 二人にソルは声をかけた。

 ソルは左手に槍を持ち、右手を自分の顔の前に出し、その右手に意識を集中させた。静かにソルの右手から青色の光が発せられてゆく。

「ディフィーザ!」

 体へのダメージを軽減する第三段階の強化魔法をソルはペルフーメにかけた。緊張し、顔が強張っていたペルフーメを安心させるためだった。

 それが戦闘開始の合図となった。司教が強化魔法を使えば、その魔法に感知してベルーラスが襲ってくる。それは戦闘訓練で教わる基本中の基本だった。

 人工のベルーラスが一気にその姿を現した。その姿は本当に大きな犬程度だった。ソルが邪悪な気配が襲ってきたと感じると、もう目の前に人工のベルーラスがペルフーメを目がけて襲い掛かっていた。

 次の瞬間、フスティーシアが大剣で人工のベルーラスを払って、その前に対峙した。

「お嬢様!、遠慮なくいけ!」

 フスティーシアが叫ぶ。

 しかしペルフーメは突然始まった人工のベルーラスとの戦いに戸惑ってしまい、自分が戦わないと戦いが終らないのを忘れてしまう。

 人工のベルーラスがそんな状況を気遣うはずがない。次に人工のベルーラスは少し距離をとったかと思うと、第二段階の炎の呪文、フィアンマをペルフーメに使ってきた。人工のベルーラスは容赦をするどころか、どうすればソル達を倒せるか、よく理解していた。ペルフーメを倒せば、一気に人工のベルーラスが優勢になる。

「マジフィーザ!」

 人工のベルーラスはやや呪文を唱えるのが遅かった。その間にソルは素早く第三段階の魔法防御の魔法をペルフーメにかけた。フスティーシアも素早く、ペルフーメと人工のベルーラスの間に立ち、盾で人工のベルーラスのフィアンマの呪文を防ごうとした。

 人間が両手を広げたぐらいの大きな火の玉が人工のベルーラスから発せられる。ソルとフスティーシアは吹き飛び、ペルフーメに炎が直撃してしまった。

 しかしソルが使ったマジフィーザのおかげで、ペルフーメのダメージは大したものにならなかった。せっかくの洋服が台無しになったが、ペルフーメは少し熱さを感じた程度だった。

 熱さを感じてペルフーメはやっと我に帰り、そしてむかついた。せっかくのお洋服が焦げているのに気づいてむかついたのだった。

 ソルとフスティーシアは吹き飛ばされた衝撃から立ち上がった。そして二人が見たのは再び第二段階のフィアンマの呪文を使おうとするベルーラスと、第三段階の氷の魔法、ギアッチを使おうとするペルフーメの姿だった。

 第二段階の魔法と第三段階の魔法では、圧倒的な魔力の差があった。

 ペルフーメが唱えたギアッチの魔法は無数の巨大な氷の刃を作り、人工のベルーラスが唱えたフィアンマの炎の呪文をかき消し、人工のベルーラスに直撃した。

 「はぁはぁ……」と息を切らしながらペルフーメは立っていた。

「リストーロ」

 ソルは第二段階の体力を回復する魔法をペルフーメにかけて、その側に駆け寄った。

「大丈夫?」

 ソルが状態を聞くと、ペルフーメは頷いた。ペルフーメの体力はすっかり回復していて、その体には傷一つついてなかった。

「大丈夫です。なんともないわ」

 ペルフーメはぼそぼそとか細い声で答えた。

「怖かったです……」

 ペルフーメはそこで初めて少女らしい声を出した。少し涙目だった。

 ソルがペルフーメの状態を確認したのを見届けたフスティーシアは、ゆっくりと人工のベルーラスに近づいてみた。ペルフーメの魔法が直撃した人工のベルーラスは息絶えていた。

「終ったのか?」

 フスティーシアが言った。

「終ったみたいだ。人工のベルーラスの魔力は消えている」

 ソルも人工のベルーラスが息絶えているのを確かめた。

 ペルフーメは尚も呆然としていた。勝った事の喜びより、襲ってきた人工のベルーラスの迫力が凄まじく、その邪悪な気配に圧倒されたショックが大きかった。

「よくやったな、お嬢様」

「本当だよ。十歳の子供が本当に第三段階を使いこなしているなんて」

 二人がペルフーメを称賛した。

「子供扱いしないでちょうだい、ソル」

 そこで自分を取り戻したペルフーメはソルに言い返した。しかし戦闘前の威勢のよさはなく、どこかしおらしかった。

「だったら遅刻は直して。本番だったら俺もフスも死んでいたよ」

「うるさいですよ」

 ペルフーメはそう言ったものの、ソルの忠告を理解した。

「今日の訓練はここまでだ」

 ソルとペルフーメが安堵して軽口を叩き合いだしたところで、ソルの護衛であるロホが大きな声でそう告げて、森の中から現れてきた。アスールとペルフーメの護衛も一緒だった。

「見事だったぞ、三人とも」

 今日の訓練の教官は護衛の四人だった。護衛の四人はソル達三人が無事に訓練を終えられるのか、気配を消しながら見守っていたのだった。

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