第26話 再会
ヴィーダの沸す風呂はいつもやや温かく、熱くはない風呂だった。ソルはその風呂に朝と夜、二回入り、しっかりと体を解すのが習慣になった。風呂の温さはソルがゆっくり入れるようにとヴェーダの計らいであった。
その日の朝もソルは瞑想を終えると、汗だくになった体を流し、少し時間をかけて風呂で体を解した。
いよいよ模擬訓練初日が来ていた。
メンテは用事があり、朝食の席にいなかった。メンテは何かしらの仕事を任されているらしく、時々いない事があった。外でロホとアスールが見張りをしている。
「いよいよ今日が来ましたね」
模擬訓練と言え、ソルが初めて戦う日だとヴィーダも理解していた。
「そうですね。とうとう来てしまいました」
「怖くありませんか?」
模擬訓練とはいえ、ベルーラスと実際に戦わなければならない。
「怖いです。物凄く緊張しています」
どうしてもあの時のテレノの絶叫と、シエロの狼狽を思い出す。
「今日会う剣士の士官候補生、フスティーシアさんとは子供の頃に遊んでもらったんです」
ソルはサビドから聞かされた話を淡々と話し始めた。あれから数日経ち、冷静にこの国の悲劇を話す事ができた。
ヴィーダは顔色を変えなかった。もちろん聞くのが辛い話であったが、共和国に生きる人間として、過酷な運命がどこにでも転がっているのはわかっていた。
それにソルに下手な刺激も与えたくなかった。
「会うのがちょっと怖いけど、でも自分の知っているフスティーシアさんは優しくて、すごく男らしい人だった。自分のトリクルがフスティーシアさんで良かったと思ってます」
そう言うとソルはヴィーダに笑ってみせた。ヴィーダに重苦しい話をするつもりはなかったが、ずいぶんと心配をかけていたのをソルも気づいていた。
「帰ってきたら、いい話ができるといいんですけど」
そう言うとソルはヴィーダが作った朝食を食べていった。
「神のご加護を」
ソルが家を出る際、ヴィーダは共和国に伝わる無事を祈る儀式をソルに行った。
ソルがトリクルのメンバーと合流するのに指定されたのは、共和国政府の中央にあった噴水であった。
やや長い槍を一本、ソルは片手に持っていた。バレンとの訓練で使っていた棒が、今日は槍になっていた。どの司教もその槍で戦うのだが、飾りみたいなもので、とてもベルーラスにとどめを刺せるものではなかった。
ソルが噴水に着くと、精悍な男が一人、あたりを鋭い目つきで観察しながら立っていた。それがフスティーシアだった。肌が日に焼け、見るからに屈強そうだった。
フスティーシアはソルを見つけると敬礼をした。ソルも即時にそれに答えた。ソルの敬礼よりもフスティーシアの敬礼のほうが様になっていた。
フスティーシアは大きな剣と盾を持っている。
「久し振りだな、ソル。会いたかったぞ」
フスティーシアはそう言うとソルに握手を求めてきた。
「俺もです。これから、よろしくお願いします」
ソルはきちんと握手に答える。フスティーシアはテレノやバレンに比べればやや背は低かったが、筋肉が引き締まり、ソルの貧弱な体とまるで違った。
「少し話そうか。たぶん魔導士官候補生の子供様はまだ一時間はこないよ」
「一時間ですか? 集合まで後三十分ですよ」
「朝が弱くて、なかなか起きられなくて、支度にも時間がかかるらしい。魔導士官学校でも遅刻魔で有名だってさ」
「士官学校を遅刻ですか? ありえない」
「彼女には士官学校の重さなど関係ないらしい。遅刻して何が悪い、訓練を昼からにすればいい、自分は魔法など士官学校に通わなくても自分で覚醒できる。そう教官にも歯向かって、たじたじにさせているらしい」
「ただの我儘な子供ですね」
ソルは苦笑いを漏らしてしまった。そこまで高慢だとは思いもしなかった。
「本当だよ。俺達は彼女のお守だよ。まぁ、実際、司教と剣士は魔導士を守るために存在するからな」
フスティーシアも困ったような顔をしながら、笑った。
「とりあえずソルなら。大丈夫だろうな」
「何がですか?」
「ソルなら彼女、ペルフーメを置いて逃げられないだろう。本来ならそれでは司教失格だが、このトリクルならそれでいいだろう」
ソルは頷いた。仲間を置いて逃げるという考えがソルにはまだ受け付けられない。
「それでいい。今はあくまで仮のトリクルだからな。士官になって、正規のトリクルに誰となるかはわからないからな」
フスティーシアはソルと話すのが嬉しそうで、穏やかな顔をしていた。
「フスティーシアさん」
「フスでいい。戦場では対等な関係だし、俺の名前は長すぎる。言ってみろ」
「フス…」
「怖気るなよ。自分で言っておいて、呼び捨てにして怒るわけがないだろう」
「フスが意外と明るいのに驚きました。酒浸りであまりいい生活はしていないと聞かさせていましたから」
ソルは素直な感想をフスティーシアに話した。
「それ、途中までしか、俺の話を聞かされてないな。それはもう三年前までの話だぞ」
サビドにソルはまたしてやられていた。
「確かに酒浸りだったし、結婚していない若い女に悪い事をしていたけどな」
「悪い事?」
ソルに嫌な予感が走る。
「わかるだろ。共和国の十五歳はもう大人だ」
「まさか楽しませておいて、最後は泣かせたとかですか?」
「わかってるじゃないか」
アクリラがソルにうんざりするほどそういう話をしていた。
「どうもそういう事が好きな人間が身近にいるので」
「愛し合うのは人間の特権だよ。まぁ、最後に泣かせてきたんだが」
にやりと笑いながら堂々とフスティーシアは話したが、フスティーシアがアクリラと同じような面を持っていたのに、ソルは少し辟易する気分になった。
「それに今はもう、また結婚しているんだ。その前は仕事が終れば、飲み歩いて、時々喧嘩もしていた。休日は飲み疲れて寝ているだけで、ろくに食事もしてなかった。そんな俺を見かねて、食事を作ったり、掃除や洗濯なんかの世話をしてくれる女に出会ってな。そうなるとな、結婚する前に子供ができちまったんだな、これが」
ソルは少し頭を抱えたくなった。普通の人間の、自然な行動だとソルも理解できるようになっていたが、どうもアクリラを思い出してしまい、笑える気分になれない。
それでもフスティーシアに子供がいると聞いて、ソルは安心した。
「ソルにもいるんだろ。下宿に女がいるとか」
「どんな話を聞かされたんですか。一緒に暮らしているだけです」
「だから一緒に暮らしていたら自然とそういう関係になっちまうだろ、普通」
「なりませんよ。毎日忙しいですし」
「そういう目で見た事もないのか? もう大人だろ?」
「ありません。ヴィーダさんのお父さんも一緒なんですから」
ソルはだんだん苛ついてきた。ソルはもうわかっていた。大人達がソルとヴィーダをくっつけようと企んでいるのを。そうなるようにソルを焚きつけていることを。
だが結婚まで大人達に仕組まれるのにソルはなんだか反抗したかった。
「まぁ、この話はもうやめておこう。ただ覚えておけよ。女の気持ちに答えるのも、男の人生だよ。もし平和になったら、男はそのために右往左往するんだからな」
フスティーシアは真顔で言ったが、その時のソルにはあまり伝わらなかった。初心で純情だったソルは、ヴィーダを女として意識して、何かが変わってしまう関係性が怖かった。
「ところでフスはどうして士官候補生になったんですか?」
「ああ、その話か。まだ荒れていた頃に喧嘩を売って、ぼこぼこに負けた事があるんだ。バレン中将にな」
ソルはフスティーシアがバレンに喧嘩を売ったと聞いて、唖然とした。最近になって気づいたが、魔力のない人間でバレンに敵う人間などいなかった。そして本気になりそうなバレンの目を一度だけ見たが、とてつもなく獰猛な目だった。
「散々な目にあった後に剣士隊に呼び出されて、色々聞かれて、そんなにベルーラスが憎いなら、喧嘩をして命を落とすぐらいなら、剣士官になれって諭されたんだ。ちょうどその頃子供ができてな。それで人生を変えたくなって、士官学校を目指したんだ」
フスティーシアの年齢から剣士を目指す者は別に珍しくなかった。むしろ力がピークになる年齢だからこそ、体さえ強ければ士官候補生を志す者は多かった。
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