第25話 戦場への緊張

 五月末になっていた。毎日緊張感漂っていた士官学校の教室が、更に緊張感が増して殺気立っていた。もうすぐ士官候補生同士のトリクルが編成され、模擬訓練が始まる六月がくるからだ。

 司教士官候補生達はまだ会った事もない魔導士官候補生と剣士官候補生と模擬のトリクルを組み、人工のベルーラスと戦う事になる。

 六月になれば自分のトリクルと対面し、その日のうちに模擬訓練が行われる。

 その日を前にソルはサビドと個人面談をしていた。

「少し痩せたな。それに毎日バレンの奴に鍛えられているせいだな。色が黒くなった」

 面談を開始して、サビドはまずそう言った。

「ここは魔法学校のお遊びとは違うだろう?」

「はい、やはりきついです」

 眼力のあるサビドを前にして、ソルは畏れを抱いていた。法王と謁見する時とはまた違った緊張感をソルはサビドから感じる。

「何が一番きつい?」

「やはり戦闘訓練です。体力がないのできついです」

「入学試験でも最下位だったからな。まぁ、そのうちなんとかなるだろう」

 机を挟んでサビドはソルの成績表を睨むように見ていた。

「魔法学校では全くやる気のない生徒だと聞かされていたが、そうでもないみたいだな。どの訓練にも全力で挑んでいると聞いている。ただ……」

 サビドは少し考え、また口を開いた。

「まだまだ必死さ、情熱という面で他の士官候補生に劣っているな。どうも本気になりきれていない気配がある」

 そうはっきり言われたソルだが、言われても当然だなと思っていた。

「他の士官候補生はもっと上にいきたい、もっと魔法を使えるようになりたいと必死なのが、ソルからは伝わってこない」

 魔法学校でも言われ続けた事をまたソルは指摘されていた。

「そんなにベルーラスが怖いか? 戦うのが怖いか?」

 サビドはソルの心をずばり見抜いていた。ソルの心の中にある惨劇の日に覚えたベルーラスへの恐怖が、ソルの情熱を押さえつけていた。ソルはあんな思いをもうしたくなかった。強くなればなるほど戦場の体験が増えるのもソルの憂鬱だった。

「教官は怖くないのですか? 戦うだけの人生は虚しくありませんか?」

「怖いし、虚しいさ。それは虚しい。もっと別の人生が欲しかったと思った事もあった。だが司教に産まれた以上、戦わなければならない。それはわかるな?」

「わかります。俺達が戦わなければ、共和国は滅んでしまいます」

 サビドは初対面の時のような威圧する目ではなく、冷静な目でソルを見ていた。

「そこまでわかっていても、まだダメか……」

 ソルの心がなかなか動かないとサビドは察知した。ソルを戦いに駆り立てるためには、言葉ではなく、もっと様々な体験が必要だった。

「まぁいいだろう。実際に戦場で戦えばわかる。戦場に出れば、力などいくらあっても足りないという事が。足らないからほしくなる」

「今度の戦いは激しい決戦になるという噂があります。もしかしたら士官候補生が戦うなんて事があるんでしょうか?」

「上が持っている情報はよくわからんが、士官候補生が戦う時がくるとしたら、それは共和国の滅亡が来た時だな」

 共和国の滅亡と聞いて、ソルは唾を飲み込んだ。

「安心するな。ソルは特別だ。特別な者には、特別な使命が与えられる」

 サビドは実は合議で話されたアクリラと共にソルが戦うという話を聞かされていた。それをソルにどこまで伝えるかをサビドはまだ測りかねていた。

「慰霊の日に話した問いかけの答えは出たか?」

 アクリラとバレンを見捨て、生き残れるかという問いかけだった。

「今のままでは無理だと思います。どちらも見捨てて逃げるなんてできません」

 鋭い眼光のサビドは冷静であっても独特の怖さがあった。それでもソルは率直に自分の心のままを話した。どんな叱責を受けても、それがソルの本心だった。

「ではそれをどうしたらできるようになると思う? できなければおまえも死ぬ。司教一人でベルーラスは倒せんからな」

 その質問にソルは答えられなかった。そもそも誰かを見捨てる事など考えられない。

「これからも考えてみなさい。自分の心と向き合うのが生きるという事だから」

 サビドはそう言うと少し顔の筋肉を緩めた。サビドは本気でアクリラやバレンを見捨てられるような司教士官になってほしいと思う反面、見捨てられない人間らしい少年のソルでいてほしいとも思った。苦渋の決断をしないで、簡単に人を切り捨てられる冷徹さを人は持ってしまう事もあるからだった。

 最後にサビドは今度の模擬訓練でのトリクルについて説明を始めた。

「ソルと組む魔導士はペルフーメという十歳の少女だ。驚くかもしれんが本当に十歳で魔導魔法を十分に開花させた天才児だ。そしてソルが入学試験の時に会ったフロールの子供だよ」

「そんな天才の子がどこの魔法学校にいたんですか?」

「魔法学校には通っていない。魔導隊の特別プログラムで教育された子だよ」

「姉さん……、アクリラとは違って、魔力の泉で育てられなかったんですか?」

「フロールと引き離れるのを極度に嫌がって、無理だった。あの親子は一心同体のような親子だからな」

「教官はなぜそんなに詳しいのですか?」

「フロールの話か。隠す事もないか。彼女は私の昔のトリクルのメンバーだ。私とフロール、それにバレンの三人で十年戦ってきた」

 サビドとバレンが一緒に戦ってきたのをソルは聞いていたが、まさかそのトリクルの魔導士官がフロールとは思いもしなかった。

「フロールさんはどんな魔導士官だったんですか? 今は入院されていますが」

「女性だが勇猛果敢な魔導士官だよ。魔導士官として一流で、決してベルーラスを恐れなかった」

 ベルーラスを恐れないという点で、ソルは尊敬を抱けた。

「だが少し気が強すぎて、じゃじゃ馬なところがある。まぁその性格のおかげで、私とバレンが救われてきた面もあるが」

 入学試験の時の面接でソルはフロールにそんな印象を受けなかった。シエロと同じようにしっかりした母親のように思えていた。

「フロールの話はいいだろう。お前と組むペルフーメもかなりのじゃじゃ馬だ。母親以上だと言われているが、私は普通の子供だと思うのだがな」

「そこまで知っているんですね?」

「産まれた時からたまに顔を合わせている。最近は会ってないが、わしにはただの子供にしか見えん。もっとも魔導士としてはまさに天才児だがな」

 ペルフーメの話題はそこで終った。次に剣士士官候補生のフスティーシアの話題に移ったが。サビドはあまり語ろうとしなかった。

「フスティーシアという名に聞き覚えはないか?」

「子供の頃、ベルーラスに襲われる前、同じ村に同じ名前の人がいました」

「おおよそソルが知っているフスティーシアだ。本人はソルとは面識があったと言っている」

「俺が知っているフスティーシアさんなら、だいぶん年齢が上のはずです。遊んでもらった記憶がありますが、もう成人の大人でした」

「ああ、そうだ。今年で三十になる。ソルの住んでいた村が襲われた時に、妊娠していた奥さんを亡くして、それから酒浸りであまりいい生活は送ってこなかったそうだ。剣士士官候補生に志願したのも、平気でベルーラスへの恨みからだと言い放っているらしい」

 その話を聞き、ソルに一気に絶望感が襲ってくる。ソルは確かにフスティーシアを覚えていたし、お腹が大きかったフスティーシアの妻の顔も浮かべられた。一緒に遊んだ時のフスティーシアの爽やかだった笑顔を思い出す。ソルの知っているフスティーシアは穏やかな笑顔が特徴で、溌溂と生きている青年だった。

「憎しみを爆発させるのは良くない。悲しみはともかく、憎しみに支配されているのは。戦場で無謀にならなくてはいいが」

「奥さんはベルーラスにやられたのですか?」

「あの時、村中がベルーラスの放った魔力の炎で火事がひどかっただろう。フスティーシアの奥さんは家の中にいて、逃げ遅れた」

 絶望感はソルをすんなり包み込んだ。

 ソルの村が襲われたのは共和国の歴史の中でも甚大な被害の部類で、痛恨の極みだった。村を守りきれなかった士官らは、滅多になかった階級降格の処分を受けたほどだった。

 身近な人物がこの世からから消えていた事に、ソルは苦悶を隠せなかった。

「これがこの世界の現実だ。この現実をなんとかせねばならん」

 サビドの言葉がソルに届かなくなっていた。サビドはそれをきちんと察知していた。

「ソルは士官になれたとしたらその時の願いはなんだ?」

「この戦いの世界を終らす事です……」

 悲劇が頭に渦巻いていたソルは、無意識に答えていた。サビドに対する恥ずかしさなど覚えられなかった。

「そうだな。そのための運命は揃ってきているとわしは思っている。頑張ろう、ソル」

 だがその言葉もソルには残らなかった。

 フスティーシアとその妻が仲良く歩いていたのをソルは覚えていた。それだけにサビドから聞かされた事実はソルに相当のショックを与えた。

 その日の夜、様子のおかしいソルから事情を聞き出そうとしたヴィーダだが、それは無理な話であった。ショックを受けたソルをヴィーダはそっとしておくしかなかった。

 夜更けのベッドの中でソルはこの世界の悲しみを噛みしめるしかなかった。


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