第23話 英雄になるための日々
少年を英雄にする司教士官学校の毎日は苛烈だった。魔法論理、魔法実践、戦場医術、戦法論、軍法学、戦闘訓練、そして瞑想と訓練は多岐にわたり、毎日朝八時から夕方の六時まで士官候補生はみっちりしごかれている。
それに加えて朝四時からの個人的な瞑想とバレンとの訓練がソルには課せられていた。
いくら魔法に対しての情熱が他の士官候補生より劣っていようと、ソルは否応なく鍛え上げられていった。
ソルは戦場以外でも活躍できる可能性が広がる戦場医術の訓練を最も好んでいた。いつかこの戦いの世界が終れば、医師として生きたいと思うようになっていた。だが千年を超える戦いが終る日を夢見ているなど、ソルは口が裂けても言えなかった。そんな事を言えば、士官学校では子ども扱いされるだけであった。
戦場医術を好んでいた半面、体力のないソルは生身の体を鍛え上げる戦闘訓練を一番苦手としていた。バレンとの訓練同様に、ソルの体は辟易するほど追い詰められた。
その日の戦闘訓練は士官学校のグラウンドを三十分間走り続け、十分間休憩し、また三十分走るというものだった。ソルは他の士官候補生のスピードにまるでついていけない。周回遅れになりながら、息があがった苦しさを我慢しながら、とにかく足を止めないように努めた。太陽が沈む頃の、その日最後の訓練だった。
最下位のまま訓練を終えたソルに、腕立て五十回が教官から命じられた。その日もソルは女子の士官候補生にすら勝てなかった。
汗だくになった下着をソルは更衣室で着替えていた。春の頃で外はまだ明るかった。
「目が死んでいるぞ、ソル」
ソルに話しかけてきたのはベーヌという同級生であった。ベーヌは入学試験ではソルに次ぐ十六番目の成績で、クラスでもソルのすぐ後ろに座っていた。
更衣室には二人しかいなかった。他の者はすでに帰宅していた。
「また今日もビリだった。女子の士官候補生にも負けるなんて」
「意外と負けず嫌いなんだな、ソルは」
着替えを終えたソルは大きなため息を吐いた。
「幸せが逃げちまうぞ、ため息なんか吐いたら」
ベーヌはそう言ってソルに笑った。
「女子って言ったって、高等魔法学校をトップで卒業してきたような奴らで、三年間もみっちり体力作りをしてきた奴らだからな」
「いつまでも負けているのは恥ずかしい」
「俺達はまだ入学して一カ月が経っただけじゃないか」
教官達からは情熱がないと言われながらも、ソルなりに意気込んで士官学校の訓練を受けていた。
「戦場訓練ぐらい俺達に勝たしてくれよ。瞑想の時間、ソルの瞑想を体感するたびにこっちは劣等感でずたずたにされるんだから」
ベーヌの士官学校での成績は特別何かが抜きんでているわけではないものだった。ソルと同じクラスだけあって優秀だが、今一つ個性がなかった。
「別に俺がすごいわけじゃない。先祖に賢者がいただけだよ」
ソルはクラスメイトに丁寧な言葉を使わなかった。使えば子供だとなめられると思っていた。
「賢者がいたって、そんな事言っていいのか?」
「別に秘密じゃないですよ。俺に関わっている人は皆知っているよ」
「そうか。まぁ、でも、いくら才能がすごくたって、努力しているのはソルなんだぞ」
「そうだけど。なんか何やっても、できて当たり前の世界だからさ。士官学校は」
魔法学校のレベルはソルには低すぎた。ソルは生まれて初めて、極限まで努力する時期にきていた。
「まぁな。できなきゃ死んじまうんだもんな。俺達」
「できない事があると、それが一番憂鬱なんだよ」
「さすがエリートは言う事が違うな」
「やっぱりそう言われるんだな、俺。エリートって」
「嫌なのか? 誉め言葉だぞ」
「司教として産まれるにしても、もう少し普通が良かったとたまに思うんだ」
特別待遇や、どこに行っても一目置かれる事にソルは重圧を感じていた。何をすればいいかわからないのに、何かをしなくてはいけないという思いにかられていた。情熱はないソルも、周囲の重圧は十分に感じて生きてきた。
「少しわかるな」
「わかるの? 自分の才能や努力に敬服がないとかって怒らない?」
「ソルの昔話は聞いているんだ。ソルが自分の才能を愛せないのはなんとなくわかる。才能があるって、その分責任や努力を求められるからな」
更衣室の長い椅子に座りながら、二人は話しこんでいた。
「俺は田舎の高等魔法学校でずっとトップだったんだ。魔法学校の終わりぐらいから急に成績が伸び始めたんだ。すると周りが色々変わっちゃったよ」
寂しそうにベーヌは言った。
「一番変わったのは親かな?」
「親?」
「うちは両親が二人とも司教隊の士官なんだ。親父が少将でおふくろが中佐。子供の頃は二人とも優しかったのに、俺の成績が伸び始めてから鬼のように厳しく接してきたんだ。何やっても怒られるようになったよ」
ソルの家族とは逆だった。厳しかったはずのテレノとシエロが、ソルに気を遣うようになったのとは正反対だった。
「でもすぐわかったけどね。いつか戦場に出る可能性が出てきたら、親はそうなるって。戦場で生き残ってほしいから、親は厳しくなるって」
ベーヌは今の厳しい訓練も当たり前と受け入れていた。
「俺さ、高等魔法学校の時、もう結婚したんだ。それで今一歳の息子がいる。妻は今高等魔法学校を休んで、子育てしている。来年学校に復帰して、高等魔法学校を卒業したら医師になる予定だよ」
「もう子供までいるんだ」
高等魔法学校で結婚するなど、この世界ではごく自然な事だった。
「それでさ、子供が男で良かったと思っているんだ。もし娘で司教になるかもしれなくなったら、自分の親みたいに厳しくできる自信はなかった。だけど本当は男でも厳しくなんかしたくないけどね」
どこの家庭も様々な思いを抱えるのをソルはその時初めて知った。
「ソルにはいないのか? 結婚する相手」
「いないよ。魔法学校の友達とも会わなくなって、今は音信不通だから」
「特別仲が良かった子とかいなかったのかよ」
「そういう子はいなかったよ。色々と忙しかったから」
「早く見つけたほうがいいぞ。案外人生は短すぎるから」
この時のソルはまだ女性をそういう目で見る習慣さえなかった。
ソルとベーヌはそれだけ話すと、お互い別々に帰路についた。短い青春の会話だった。それでもそういう話ができる相手がソルにできたのは大きかった。疲れた体を早く休めたいと、ソルは帰宅を急いだ。
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