第21話 それぞれの思い
テレノとシエロは一晩この家に泊まり、明日の朝に夫婦揃って魔力の泉に行くという。ソルにとっては久しぶりで、束の間の一家の団欒だった。賑やかな食卓で、会話は弾んでいく。
慰霊の日なので誰も酒を飲まなかったが、それでも十分に楽しい一時だった。
「姉さんは今年も結界を守るために残ったんだ」
「それもあるが、あいつは式典の大事さをわかってないのさ。どんな態度で式典に出るかわかったもんじゃないから、ちょうどいいんだよ」
「なんか聞く度に性格がねじ曲がっているんだよな、姉さん。母さん、この前から姉さんと暮らしているんだろ? どうなの?」
「謙虚な司教と高慢な魔導士なんて言うけど、あんなふうになっているなんて。お父さんが一緒にいた意味がまるでないわ」
そう言うとシエロはテレノをじっと睨んだ。テレノはシエロから目を逸らした。
「大丈夫、ソル。私がなんとかするから。女には女よ」
シエロの威勢の良さに、メンテとヴィーダが惚れ惚れしていた。
「それにしてもあんまり似合ってないな、その制服」
テレノが再びソルをしげしげと見つめて、そう言った。その日は黒い喪服用の制服だったが、士官候補生の普段の制服との違いは色が白いかどうかだけだった。
「やっぱり軍の制服なんかソルには早すぎだったな」
テレノはそうも言い、豪快に笑った。ソルはそれがちょっと気に入らなかったが、まだ士官候補生に染まっていない自分にどこか安心する。
「ソル君は後二年もすれば、立派に軍服が似合う青年になりますよ」
メンテがそう言い、ソルをかばった。実に楽しい談笑の時間だった。
食事後、ソルとヴィーダが一緒になって食器を洗っていた。ソルの両親はまだメンテと会話を楽しんでいた。
「楽しいご両親ですね。昔からなんですか」
「昔は姉さんがいたからもっと騒がしくて、母さんの口癖は静かにしなさいでした」
ソルから色々な話を聞けたヴィーダは、家族が別れて暮らす事になった事に、ソルが強い憤りや寂しさを感じてきたのをすんなりと納得できた気がした。
ソルは今日一日ヴィーダの元気がなかったのが気がかりだった。思い切ってその理由をヴィーダに聞いてみることにした。
「ヴィーダさん、今までに何かあったんですか? 今日はずっと暗い顔をしていましたけど」
いきなりソルにそう聞かれて、ヴィーダはどう答えていいかわからなくなった。ソルから視線を外して、ヴィーダはうまい嘘を探そうとした。
「ごめんなさい。言いたくないならいいです。余計な心配でしたね。」
ソルはヴィーダのあまりの表情にその話を取り止めた。ヴィーダはほっと一安心しながらも、記憶にある忌まわしい過去をまた思い出し、苦しんだ。
それぞれ順番に入浴を済ませると、テレノはソルの部屋で、シエロはヴィーダの部屋で眠る事になった。
ソルのベッドの横の床に布団を敷いて、テレノがごろんと横たわった。
「いい家だし、いい部屋だな。森の中のせいだからか、ずいぶん落ち着くな」
久しぶりに父と枕を並べる時間だった。ソルはまだランプを消さなかった。
「どうだった? 士官学校の初日は」
ソルはサビドからいきなり問い詰められた事を話した。
「やっぱり士官学校に容赦はないな。でも当然だな。ソルはあのトラウマを乗り越えないといけない。これからベルーラスと戦うんだから」
ベッドに腰けて、ソルはテレノを見下ろしていた。テレノはもう若くはないが、中年の力強さがあった。
「先が思いやられるよ。二年間もこんな日々が続くのかなぁ」
「もう弱音かよ。少年を英雄にするためのしごきなんだろ? 英雄になれよ」
言いながらテレノは本当に憂鬱そうなソルを見て、おかしくって笑っていた。
「何がおかしいんだよ。父さん」
「ソルもとうとう大人の仲間入りだなって思ってさ。本気で悩んでいるおまえを見て、自分の若い頃を思い出したんだよ。俺もじいさんに仕事でしごかれたな、ってな」
テレノは過去を振り返り、懐かしそうな顔をした。ソルの祖父はソルが産まれて間もなく亡くなっていた。
「まぁ、それくらい厳しいほうがソルにはちょうどいい。今までぬるま湯にいたんだから」
「ぬるま湯って、法王様から受けた講義やレッスンだって厳しかったよ」
「でも弱音も吐かなければ、そんな顔もした事なかっただろ?」
そう言われるとソルは何も言い返せなかった。
「それにな、ソルがもし俺と同じ普通の人間で、俺がやっていた農業を継いでいても、俺はその教官と同じぐらい厳しくするつもりだったぞ」
テレノはソルには時に厳しくても、いつもは優しい父親だった。今日のように震え上がるほどの思いなどテレノから受けた事のなかったソルには、テレノの本当の厳しさは想像できなかった。
「農業は自然との戦いだからな。優しくなんか教えてられない。けど戦場はもっと厳しい世界なんだから、甘えなんか許されないだろ」
久しぶりに会ったテレノは珍しく多弁だった。それが父親としてできる精一杯だった。
「もうすぐ今年の慰霊の日も終るな。来年、ソルの名前があそこで呼ばれないようにしてくれよ」
そう言うとテレノはごろりと寝返り、ソルに背中を向けた。
「俺がアクリラと一緒に魔力の泉に住み始めた頃から、ソルはもう俺から巣立っていたんだよ。巣立った子供を親は守ってやれないからな。俺はとにかくソルの無事を祈るよ。本当は大人になったソルに色々教えてやりたいんだが、俺の手の届かないところにいっちまったからな」
そしてテレノは最後に一言付け加えた。
「この国を救ってくれよ、ソル」
その言葉はソルの心にずしんと響いた。それっきりテレノは喋らなくなる。ソルはランプの火を消し、眠りに入っていった。
翌朝、日の出の頃にソルが目覚めるとテレノもシエロももう起きて、メンテとヴィーダの仕事の手伝いをしていた。ソルは朝の瞑想を行い、それから汗だくになった体を風呂場のぬるいお湯で流した。そして下宿の玄関を出た。朝の光がこの世界にもう充満していた。
家の前ではテレノがバレンと立ち話をしていた。
「ソルの瞑想もなかなかなんだな。外からでも揺れが伝わってきたぞ」
「父さん、瞑想の事なんてわかるの?」
「アクリラも瞑想をしているからな。アクリラの瞑想はソルより凄いぞ。その時間は魔力の泉の辺り全体がゆれるからな。それに比べたらソルはまだまだだな」
テレノは笑いながらそう言った。ソルはその時初めてアクリラに嫉妬を覚えた。
それからソルは日課になったバレンからの訓練をランニングから始めた。
「父と何を話していたんですか?」
走りながらソルはバレンに聞いた。
「男同士のただの雑談だよ。おまえをよろしく頼まれた」
「それだけですか?」
「それだけだよ」
いつものように広場に行き、ソルは棒をバレンに向ける。あの日からソルは必死になってバレンに向かっていくが、意外にも図体のでかいバレンは俊敏で、未だにソルが振り回す棒はバレンにかすりもしなかった。
「これでも歴戦を戦ってきたからな。ベルーラスの魔法に比べれば、おまえの動きなんて遅くて敵わん」
そう言ってバレンは挑発して、ソルの意気を高揚させようとした。最初は聞き流していたソルだが、だんだんとなぜ挑発するのかと腹が立っていた。
訓練を一通り終え、ソルは下宿の家に戻った。バレンは任務があるとすぐ帰った。
朝食もまた五人で食べる楽しいものだった。
「安心したぞ、ソル。バレンさんみたいな人に鍛えられているなら安心だ」
「だけどバレンさんは挑発をするし、限界までしごいてくる。まいっちゃうよ」
「それでいいんだよ、ソル。だんだんと戦場が近づいているんだから」
テレノは少し怖い顔をする。ソルはまだバレンのしごきの意味を理解しているようで、理解してなかった。
「ソルには弱点が三つあるからな」
「弱点? 三つも?」
「過去と家族と、魔法への情熱のなさだよ。どれも戦場では命取りだな」
そうはっきりとテレノに指摘されてもソルはピンとこなかった。
「やる事はやっているよ」
「その答えがまだ学生なんだよ。士官候補生にすらなってない」
テレノにはっきり言われて悔しかったが、ソルは言い返す事ができなかった。
「ソルはもっと自信を持て。自分の魔法に情熱を持て。おまえはもうあの日のおまえじゃない。家族はどこにいようと、いつだって家族だ。士官候補生になれて、誰かを守れるようになれたらおまえは俺の誇りだよ」
いつもはあまり言葉を口にしないテレノが、真っ直ぐに言葉をぶつける。
久しぶりの父と子の会話をシエロは楽しそうに聞いていた。メンテはテレノの言葉に関心していた。しかしヴィーダには落ち着かない会話だった。
朝食後、テレノとシエロに見送られ、ソルは護衛のロホとアスールと一緒に、士官学校に向かおうとしていた。いよいよ士官学校の本格的な生活がその日から始まる。
「一秒も気なんか抜くなよ」
「体だけは大切にしなさいよ」
そう二人に声をかけられてから、ソルは道を歩き始めた。ソルを見送った後、テレノとシエロはメンテとヴィーダに丁寧な挨拶をしてから、魔力の泉へと帰っていった。それは桜が咲いた頃の、ソルが十五歳の青春の朝だった。
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